眠気で踏む空気(偽日記32)
文フリにいった。
人がたくさんだった。
それ以外のすべてを、「文フリにいった。」と「人がたくさんだった。」の間に押し込めてしまう自由がここではあるし、基本的に行使するけれど、でも、ぼんやりと像が結べそうで結びたいが結べないひとたちに予想外に会えてよかったし、あたらしく視界に飛び込んできたひとも像が強くてよかった。私は基本は箱男でいようかな、とおもっていたけど、徹底しないと無理だ(と学んだ)し、ダンボールを被らないほうがいい場合のほうが多いのかもしれなかった。どちらでもいいのかもしれないのを出た賽を良いとする緩慢だけいま眠気のなかにある、新幹線かえりの席だった。既に何回か会っていて、知人な気でいつつも緊張するひとにちゃんと挨拶できなかったりしたのだけ、私の手捌きに対する自己評価が痛い。
それからおれは板橋にいって、友達に会った。
金ないからサイゼリアに行こうぜといっても嫌な顔しないのは、べつに空間だけ、様式だけあれば良いとむかしから同意できる仲だといまでもおれがおもっているからで、もう変わっていたらごめんとおもうが、でもそれはそれで仕方のないことで片づけて別に感傷的になるような歳でもなかったお互いに。
サイゼリアで100円のワインをしこたま飲んだ。いまの時空での、希望の金の話とかになって、降ってきた数万円のおれと年収1,000万円になりそうな友達の、落差よりも受容しあいの感覚が強まりつつ、お互いの若干の無理さや拒否感が弱いのは、そもそもどちらもどちらに強くはおもいとかを他人にベットできない人間の種類の区画で仲良くなってきた歴史があるからか。
転職するんだ、と友達がいい、おれは猟師か無職のままか代理店のつての道、という。蜃気楼に甘えているわ、肉以外の甘えられる、生命以外の寄りかかれるぜんぶに、補助金とか。
でもやっぱ、サイゼリアの重圧程度しか耐えられんおれは情けなくはあり、目の前の人物の情けなさとかを振り払える友達に、その能力を使わせたことがより情けないような機微で、つまみのエスカルゴほじった。友達の彼氏が300万借りっぱなしでいるのをきいてまだ返済されてないのかよと笑った。
偽物の日記は、なんか遊びと書く前の慣らし運転と雑な思考を雑なままでやってあとで回収するための機能が私に対して発揮されているっぽい感慨があり、内容面で稀に心配されるが、偽物っていってるから逆に本物っぽくなる日記のよく知られた性質とかは別に読んでいるあなたは無視してよく、変な影とかは抱かなくていいっすと、軽口を、なんかたまにこれらを読んでくれている1人とか2人とかのあなたにだけいっておくけど、さらにこれを無視する自由もある。でもなんかを心配したならごめん。も置いておく重めに。
友達の彼氏が300万を友達に借りている話を、なんか笑える感じでおれらは話したが、そう取れるように書くのは難しいから、「友達の彼氏が300万を友達に借りている」がつよすぎるので、「友達の彼氏が友達からへその緒を借りている話」や「友達の彼氏がインド象になった話」や「友達の彼氏がすべての空き瓶にジミ・ヘンドリックスの点描を描く話」や「友達の彼氏の呼吸がぜんぶケムストレイルである話」とかに改造してしまえば、逆説的に空気だけ本物で伝わるかもしれないが空気はおれのものだけでもよく、よってこれらはぜんぶ何の意味もなく自己の練習の意図だけある綴り。
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