9人のゴッホがいる銭湯(偽日記14)
銭湯にいく。アパートのガス代がとても高いからだ。ほとんどシャワーで済ませているのに月に1万円は請求されている。都市ガスではなくプロパンガスで、とりわけ悪質な価格設定の業者が私のアパートにガスを通しているせいで、年中ガス代をどうにかする算段を立てなくてはならないし、冬は凍えながら暮らさなくてはならない。
ガスが高くなくても銭湯にはときおりいっていただろう、というくらい風呂好きな私は、昨日も銭湯用のセットをカバンに詰めて19:30くらいに自転車に乗った。夜風はまだ冷たいけれど、芯まで暖まったからだであれば、これから1時間半後くらいの私であれば、この冷気を恩寵として帰り道を辿るだろう。
家から1番近い銭湯は、看板もない古びた、一見するとなんの施設か判別のつかないビルのなかにある。道に面して滅びっぽい雰囲気のコインランドリーがあり、そこをくぐって怪しい階段をのぼると暖簾がある。不思議なことに入り口は2階なのに湯船自体は1階にあるので、ここの銭湯にはいるとき我々は裸で階段をいちいち降りなくてはならない。また湯船の構成も特殊といえば特殊だ。電気風呂、超音波風呂、ぼこぼこ風呂(あれなんていうの?)、水風呂があり、通常の風呂が存在しない。私は通常の風呂が1番好きなので超音波風呂の音波が届かないところに身を寄せるか、ぼこぼこ風呂に入る。そのあとそのうち爆発事故が起こるんじゃないかと心配になるサウナ室に入り、水を浴び、また湯に入るを2回繰り返す。鼻の毛まで焼けるようなサウナでの呼吸で、私はなんとか自律神経を立て直す。平日に殺されないために。
脱衣所でからだを拭く。すみの電気コンセントに張り紙がしてあり、『勝手にコンセントを使用しないで。使用が判明した場合相当額を請求致します』と書いてある。また、トイレにも『綺麗に使ってくれてありがとうございます。次の人が困るのでトイレットペーパーは盗まないでください。』と張り紙がある。
この銭湯にはゴッホがいる。ゴッホというあだ名で、特段売れるわけでもない絵を毎日毎日描いて、たしかに少しだけ顔がゴッホの自画像に似ている往年の男性などが入り浸っているわけではなく、なぜが段ボールにゴッホの自画像が貼り付けてあるのだ。それも9人分。まだ耳のあるゴッホと、ないゴッホがまばらにいる。9人のゴッホ、18個のゴッホの眼が裸の私をみる。ゴッホ、おまえなら俺の肉体のどこを不要だと切り捨ててくれるんだろう。ゴッホ、きっと生前は売れるどころかこんな日本の、東北の、古びた銭湯によくわからないディスプレイとして飾られることなんて想像もしていなかっただろうゴッホよ。
古びた銭湯だが、閑古鳥が鳴いているわけでもない。脱衣場の向かいから、女性の甲高い声がきこえてくる。意外なことにおばさんではなく、大学生くらいの若い女性客と、おそらく日本語学校に通っているだろう東南アジア系の外国人女性客が多い。
フルーツ牛乳を飲みながらタバコを吸う。フルーツ牛乳はそんなに好きじゃないのに、もう絶滅しかけている、とおもうとついつい飲んでしまう。私はちゃんと期間限定やいまだけのものに弱い。それおいしくなくない?と隣でタバコを吸っていた人にいわれる。たぶん脱衣所ではしゃいでいた東南アジア系の女性群のひとりだ。そうだねという。国と名前をきいた。ベトナム出身で、名前は忘れた。
夜風が気持ちいい。私はもうなにもない。銭湯と夜風しかない。金はないし、女はどこかに行ってしまった、家族とも縁を切り、銭湯と夜風しかない。新しい仕事を始めたが、どうも性に合わない。期待されすぎているのか、はいってすぐに荷重な案件を振られて、社内システムに慣れる前ゆえに地獄を見ているが誰も気づかない(もしくは気づこうとしないのかもしれない。声はあげているのだから)前の職場よりも、からだはともかくメンタルを削られている。私をその職場に誘ってくれた友人は、こころを病んでやめてしまった。彼の手は、ストレスによる蕁麻疹できれぎれになり、日によっては血が出ていた。さいきん小説もまともに読めない。冬にひとから預かった原稿がふたつあり、どちらも読み始めて、面白いのに途中で後ろから頭をつかまれて頓挫してしまう。短いセンテンスが続くようなものならなんとか読めるので、ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』とオルガトカルチュフの『逃亡派』をゆっくり、しかし決死の気持ちで読んでいる。なんとか私は私を留めておかないといけないとおもう。回復しなくてはならない。回復できるとおもっていたのだ。そう簡単ではなかった。からだは発泡スチロールのようにぎこちなく、目は疲れて重く、眼球が机の上にすぐ転がってしまうので、拾い上げていちいち眼窩におさめなおすのに苦労する。
自転車をアパート前にとめていると、背後にちいさい気配がある。振り返ると2匹のゴッホがいる。脱衣所からついてきてしまったのだ。アパートはもちろんペット禁止だが、犬とか猫じゃないんだからうるさくはしないだろうとおもい2匹のゴッホを家にあげた。美芸術に詳しくないので、ゴッホがなにを好むのかはまったくわからなかったけれど、とりあえずバドワイザーとかたあげポテトを出すと喜んでいるようだった。オランダ語かフランス語かわからないけれど、バドでポテチを流し込みながらげらげら何かいっている。口から垂れたビールとポテチの砕けたカケラが口髭に溜まっている。そのうち3、4缶あけたころにはゴッホ通しでわけのわからない踊りを始めて、ああ私はゴッホと暮らすのにはあまり向いていないかもしれないと後悔した。
ゴッホたちが夜通し騒ぐものだから、今朝隣に住むEXILE風の男が文句をいいに私の部屋のドアを叩いた。私はふつうに私が悪いので平謝りしたのだが、私の顔は疲れ切っていて生気がない(これは疲れていない時もそうで、いつも疲れて眠そうだと思われる)からか、謝罪の破棄のなさにキレて上着を脱いで私に掴みかかってきた。タンクトップの二の腕になにやらみたことのある外国人の顔があるな、とおもったらすぐさま部屋の奥からゴッホが駆け出してきてその刺青の外国人にキスをした。ゴッホの勢いにおされてEXILE男は退散してくれたが、そのまま一匹のゴッホは帰ってこなかった。部屋に戻って調べると刺青の外国人は、どうやらゴーギャンの自画像だったようだ。私の部屋に残ったゴッホは窓から遠くをみつめていた。彼には耳がなかった。
ゴーギャンを追いかけたゴッホは耳のあるゴッホだった。私は少し寂しくおもった。
どこからともなくゴッホが筆とカンバスを取り出した。私は椅子に座った。ゴッホが私をみている。銭湯の18個の目より、その目は澱んでいながらも鋭利におもえた。ゴッホが描き出してすぐに沈黙に耐えられなくなり、私はfiretvを起動してyoutubeを開いた。ゴッホが私の手からリモコンを奪い、『夜のドライブでききたい宇多田ヒカルmix』をかけた。予期せぬ愛に自由奪われたいね? とThis is loveのサビに差し掛かったとき、ゴッホの筆がとまった。ゴッホは私の部屋を見渡して、みつけた鋏を手に取った。
俺のどこを取り除こうというんですか?
除くわけじゃない、とゴッホはいった。何一つとして損なわれはしないんだ。
ゴッホの鋏遣いはおもったよりも優しく、私は心地よくばらばらになっていった。そして予告通りパーツを余すことなく組み立てられた。
出来上がった絵をみると、そこには何も描いていなかった。
白紙ですね。
違うよ、とゴッホはいった。
何が違うんですか?
おまえにはもうおまえがみえないんだよ、これからずっと。ほんとうに。
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