「怪物」への怒り


 豚の脳みそは白子みたいで美味しいらしい。豚の脳みそと人間の脳みそを交換したら、それは豚と人間のどちらかになるのではなく、そもそもあなたでは無くなってしまう。



 坂元裕二の描く物語に自分の居所を見つけてきたし、この物語が私みたいな人間を別のどこかで救っているんだろうなと思ってきた。最高の離婚の光生を愛しいと思う人が世の中にいるんだったら、その嬉しさだけで私は気持ちが軽くなる。
 カルテットの、すずめちゃんが親の死を看取らず、真木さんと一緒に蕎麦屋で丼ぶりを食べるシーンが大好きだ。あそこで稲川淳二がかかるせいで、稲川淳二もなぜか好きだ。カルテットのせいで唐揚げに添えられたレモンを見ると緊張し、パセリを見ると小宇宙に接続される。
 大豆田とわ子の、かごめの家でちゃちゃっと作ったご飯を、下瞼いっぱいに涙を貯めて食べるシーンが大好きだ。かごめの死はたくさんの小宇宙へと繋がっていて、ドアが風で鳴ったときだったり、キッチンの戸棚からパスタが降ってきたときだったり、ふとした瞬間にかごめを感じる。やっぱりかごめは生きている。坂元作品のこの考えに、私は何度も救われた。
 初恋の悪魔は正直荒削りだったと思う。だけど、最終回のラストのラストに、とっておきのプレゼントが残されていた。

「会えてなくても離れてない人はいる」「いつか暴力や悲しみが無くなったとき、僕の耳かき一杯分も含まれていると思う」

 今度は坂元裕二は私かと思った笑 ほんとうのほんとうに、私は会ったことのない誰かにいつも思いを馳せているし、それに世界が少しでも良くなればいいと思っている。記憶の死が訪れる2人の会話に、こんな素敵な言葉を登場させる彼のことがもっと好きになった。

 だから、「怪物」を見て私は混乱した。




 世の中のことに気を取られると簡単に沈んでしまう。でも、他者との触れ合いで私は簡単に幸せになれもする。2人だけで散歩、急に発生した深夜の電話、お互い知り尽くしている友だちと会う、誰かのことがものすごく好きなときとか、その人とどうでもいい会話のラリーが続いているときとか!夢みたい。好きな人と会う予定があるだけで無敵状態。だけど、それがずっと続かないことにも気づいている。素敵な関係は、続かない。奇跡みたいな空間は、時間が、社会が、破壊しにやってくる。私だけが取り残されて終わる。

 だから、私は是枝さんが大の苦手だった。「幸せだったのは確かなのだ」を免罪符にして、それが続いていく予感を全然見せてくれない。残された者が、これから喪失感を抱えたまま生き続けなければならないことへの想像力が、ないんじゃないのか。分かっている、是枝さんもきっとなんらかの喪失感を抱えて生きてきて、それへの鎮痛剤みたいに、確かな幸せの記憶に救いを求めているのだろうと。でも、その喪失におびえ続けて生きている私には、あなたの作風は合わない。ただ、それだけのこと。


 だから、坂元さんと是枝さんのタッグに、私は緊張していた。


 私は少しずつ年を取っていくなかで、素敵な関係というものを続けることがどんなに大変で、苦しくて、危うくて、もしくは、もうこれ以上の人とは出会えないだろうと思う人と簡単に糸が切れてしまうこと、切れてしまいそうなのを頑張って繋げては、傷ついていること、に向き合っている。し、今も慣れない。みんなは兄弟がいるからいいじゃない。なんだかんだ普遍的な家庭的なやつってものを築けそうだよね。私は両親と年が離れているから、みんなよりも親との死別が早いんだよ。なんて、見えない何かにあたっている。ああ、世の中の人間は、みんな偉いな。そんなことを思いながら、これが大人になること? なんて思いながら、でも、それでも前を向いて生きていこうとしているのに。



「怪物」では、なんで少年を殺したんですか?


 
 未練は、あったかもしれない小宇宙への妄想であり、その妄想の本は閉じられるべきもので、閉じたら、さあ今を生きる意味を模索する。ねえ、なんで子どもがあんな目に合わなきゃいけないの。三部構成の最後、真実かのように語られた少年の恋。周りへの違和感、自分はどうやら周りとは違うらしく、君にしか自分の居場所はないみたい。そんなことない。あなたの世界の外には、素敵な風景や人や食べ物や匂いやしょうもない日常が待っているかもしれないのに。それで、人と出会って別れてを繰り返して、傷ついて、今世界で自分だけが一人ぼっちな気がして、それでも寝ると時間がたっていて、起きたらお腹が空いててとりあえず菓子パンを食べる。それでいいんだよ。



 同時期に見た「トリとロキタ」も、映画の中で子どもが死ぬ。素晴らしい映画だった。私は、子どもが死ぬべきでは無いと言いたいわけじゃない。「トリとロキタ」の子どもの死は、この世の中で起きていることを映しただけで、それはスクリーンという距離を隔てた安全圏にいる私への投げかけだった。じゃあ、「怪物」の少年の死はなんだったんですか? 死であることも匂わせに留まらせ、結局生きていたのかな? なんて。生ぬるい終わらせ方しやがって。許せない。あの少年二人は、少年二人だけが世界で、でも校長みたいな、世の中が複雑で原因と結果の因果律で説明できないことを理解している大人だって、いたじゃないか。死という簡単な終わらせ方をせず、周りの人間と違うことに胸を張れる(そう簡単に胸を張れるようにはならないけど)そんなハッピーエンドを、どうして登場人物が少年になると、描けないの。ねえ、あなたの描く大人は、周りの人と違う人間は、とても愛くるしかったじゃない。



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