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やり残した事
7/25 期末試験が終わり今学期が終了。
4月からの長いようで短い学期が終わった。
中間試験と期末試験が短いスパンできて
その期間は毎日大量の課題と勉強の嵐で
押し潰されそうになった事があったけども
それを何とか乗り越えた。
偉いよ自分…君はよくやった。
4/6-7/25までの3ヶ月と半分位
100日と少し。
細かくする具体的な数字にすると
自分が過ごしてきた時間は大事にしてきたのかと
考えさせられる。
自分の大学は日本の一般的な大学と比べて
課題量や年次『3年後期』に対して圧倒的に多い
日本の3年後期だとある程度の過程を修了して
ゼミや就職、卒論について行動を起こす時期だと思う。日本の大学を経験したことがないから、あくまで推測に過ぎないが。
自分の大学は四年生の前期まで授業が詰まっていて、とても日本の就職事情や卒論などを重ねて考えると、かなり不条理で時間などを就職に振り分けられない可能性もある。
公欠で参加する事は可能だが
一つの授業を休む事によって授業の進捗具合がだいぶ早いのでついていけなくなる可能性も容易に考えられる。
極端な話だが、公欠なので休み扱いにならずに
試験を受けるのも可能になる。授業の中身や詳細を全く理解出来ないのに、、一般的に考えたらその試験に対して良い点数を取るのは天才的頭脳やテストのプロで分析に特化した様なものではないと無理だと思う。
日本の大学は受かってからが最後
就職までの通過点として、形として授業やゼミがある…個人的観点ではあるが『人材育成養成機関』の様なイメージがある。
僕の大学は最後の最後まで勉強に特化した
『学問研究機関』のような物なのだろうか。
無論、大学であるのであれば
自分は人材育成養成機関よりは学問研究機関のような、アカデミックな学術機関の方が存在価値はあるだろうし、そうシフトするべきだと思う。
学びて時に之これを習う、亦また楽しからずや
孔子の論語に出てくる言葉であるが
勉強ができる機関や施設に在籍しているのにも
関わらず、その権利を放棄するのは機会損失に繋がるし、社会人になって自分の時間が減少した時に思うのであれば…後悔するだけである。
話を戻すが、この期間の自分の行動を振りかえる
自分は本当に時間を大切にしてきたのであろうか。
誰でもそうだと思うが、自分のこれまでを振り返っても決してYESとは言えないだろう。
もっと自分にできることは沢山あったであろうし
如何に自分の時間に対する生産性が悪いと言うのも今客観的にフィードバックする時になったら多々見つかる。
勉強から逃げたい時、美味しいものを食べたり見たりして現実から逃げている時間。沢山ある。
でも後悔はしていない。
それも一つの大学生活の思い出になっているし
一つの経験として自分の糧になっているのも事実。
しかしその期間やりたかった事も多々ある。
学校の内容以外の事も接触して学びたかった。
自分とはまた世界線が違う物に触れたかった。
もう本を読んでみたかった。
沢山の社会人と話して自分の人生を想像したかった。
などある。
やり残した事。それを今後如何に無くして
来学期が終わる頃には笑顔で達成出来るように
自分の行動に責任感を持ち、客観的に視野を置き、分析をしたい。
彼女と手を繋ぎデートをしたり、クラスメイトとカラオケに行ったり、勉強合宿をしたり、コーヒーショップでお話ししたり。
彼女ととの生活もクラスメイトとの時間も
きちんと作り楽しく過ごせたなと満足感もある。
クラスメイトや学校の人には常に感謝と尊敬を
彼女には普段から行動的に愛を
表し続けたい。これからも変わらずに。
みんなありがとう。これからも宜しく。