【短編小説】マッチ売りの障女 後編
あらすじ
時は昭和か平成か。夕暮れ間近の駅に少女の声が聞こえてくる。「マッチはいりませんか?」お腹を膨らませた妊婦にマッチを差し出す。妊婦は、訝しみつつもマッチを受け取り、住んでいるアパートへと戻った。そしてマッチを一本擦ってみると……。
どこからかあどけない声が聞こえてくる。
「マッチはいりませんか?」
夕暮れ間近の駅は人でごった返しており、少女の声はいとも簡単に雑踏にかき消された。
「マッチはいりませんか?」
片手にカゴを掲げた少女は、買い物帰りの妊婦にマッチを見せた。
「……マッチ、ね……う~ん」
困った様子の女は視線を落とし、自分の大きくなった腹を撫でた。
「そうね」と、自分の膨らみきった腹と少女を見比べる。
「……いいわ、一つ買うわ」
「ありがとうございます。ですが、お代はいりません」
「え?」
少女はカゴの中から一つのマッチ箱を取り出した。
「どうぞ」
「あら、まあ綺麗な模様」
女は手渡されたマッチ箱を受け取ると、マジマジと見つめた。
なんとも言いようのない幾何学模様と、ステンドグラスの様な繊細な色使い。光に反射した部分はキラキラと妖しく虹色に輝き、見る角度によって万華鏡のように模様を変える。おそらく、この世で誰も見た事がない芸術的なマッチ箱だ。
「素敵ね。この箱だけでも価値があるわ」
「特別製ですから。つい最近入ったばかりの一点ものなんです」
「一点もの? じゃあ、けっこう高いんじゃない? もらえないわ」
「値段は元々ついておりません。ですが、コレは是非とも奥様の手にとっていただきたいものなのです」
「私に? どうして?」
不思議そうな顔の女に、少女は今までで一番良い笑顔を浮かべてみせた。
「宝物だから」
「え?」
「大事な宝物」
少女は女の腹に目を向けた。
「……」
女は眉間に皺を寄せ、「ありがとう」と形ばかりの礼を言うと、そそくさとその場を立ち去った。
「っふう……」
アパートまで着くと、女は持っていた買い物袋を持ち替え玄関の鍵を開けた。
大儀そうに歩き、買い物袋を台所のテーブルに置くと、女は目についたマッチ箱を手に取った。
「……」
先ほどのやり取りを思い出す。
「特別製のマッチだって」
腹の子に語りかけるように言うと、女は箱を開け、マッチ棒を一本取りだした。
何の変哲もない、ごくごく普通のマッチ棒だ。
女は躊躇なく擦ってみた。瞬間――
「ギャッ!」
悲鳴のような音が鳴った。それも、男の。
「ひ、どい音……だけど」
橙(だいだい)に温かく揺れる炎は、女の目を強く惹きつけた。
「綺麗……」
ジッと見つめる間に炎はたち消え、女は自然と二本目のマッチ棒に手を伸ばしていた。
「ギャッ!」
また悲鳴のような音が鳴る。
しかし、女はもはやどうでも良くなったのか、憑りつかれたようにもう一本、また一本とマッチ棒を擦っていった。
「ギャッ!!」
「……あの男(ひと)ったら、いつになったら帰ってくるのかしら……」
女は揺らめく炎を見つめながら呟いた。
「もうすぐ生まれるっていうのに……」と、腹を撫でる。
「警察からも全然連絡が来ないし……。――やっぱり女ができたのかな。……ふふふ」
自嘲した瞬間炎が消え、女はまたマッチ棒を擦った。
「帰ってきたら八つ裂きにしてやるんだから。全部ぐちゃぐちゃにしてやる――そうだ、火あぶりが良いわ。このマッチで、あの浮気野郎を燃やしてやるのよ」
炎が大きく揺らめく。
「きっと一段と綺麗に燃えるわよ……? ね」
そう言って、女は優しく腹を撫でた。
夜の闇にあどけない声が聞こえてくる。
「マッチはいりませんか?」
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