あなた個人の思いや考えを形にする事には十分価値がある(と信じている)
一個人が思った事を書いてどうなるんだろう・・・
そう思うことってブログやnoteを書いていると一度ならず二度、三度・・・いやもっとかな。何度も何度も湧き上がってきます。
そのたびに、その想いをねじ伏せて書き続ける。
そういうスタイルを貫いてみるのも良いかもしれませんが、そういうねじ伏せ型のスパルタ的自己教育スタイルはあまりいい結果を生まないというのが僕の経験上思う事です。
ちゃんとそれには価値があるということを認識して、それを胸に秘めて発信するほうが長期的に見て良い結果になると思っています。
その胸に秘めるべきは、個人の考えや感想は記事として形にする価値が十分にあるということです。
なぜなら、それが目に見えないものだからです。
目に見えないものには普遍的な価値があるのです。
それが歪でも多少間違っていても、自分の価値観や感性から生まれたものには価値がありますよってことをつらつらと。
面白いものは大抵目に見えない
「面白い」と感じるモノは何かを十把一絡げで定義するのは難しいですが、まず間違いなく「見えない何か」というのは面白いと感じる要素だと思うんです。
例えば・・・
小説などが面白い理由
小説が面白いのは見えないからです。
文字から想像を膨らませて、自分の中で絵と話を組み立てていく。
そうすることで全体が見えてきますし、その想像の中で人物や物事があれこれと動くことが楽しかったりします。
漫画などが面白くないという意味ではありません。
昨今の漫画の楽しみ方として、見えない部分を見ようとする楽しみ方というものが確立していると思います。
ワンピースとは何かとか、進撃の巨人はどういう風に終わるのかとか。
その謎の答えを知るために作品があり、読者はその謎がどう着地するのかを想像してワクワクしているのですから、漫画と言えども見えないモノを楽しむという要素が今は大切になってきていると思います。
未解決の課題や問題
いわゆる謎と呼ばれるものは全般的に人の興味や関心を引くと思う。
未解決事件の番組やコンテンツが人気なのもそうですし、幽霊やUFOが居るのか居ないのかが盛り上がるのもそうです。
ちょっと古いですが、昭和に起きた大事件の3億円事件や江崎グリコ事件がいまだに盛り上がりを見せるのは、犯人がわからないからです。
なぜ?が分からないというのが面白いのだと思うんです。
突飛な発想や独自の発想
文脈からは想像できないような、でも、整合性があるような発想も面白いです。
芸人さんの話やギャグ、大喜利なんかはそれだと思いますし、エッセイストとして有名になる方も、人とは違う角度から論を展開する面白さだったりします。
マツコ・デラックスさんはもともと面白いエッセイストとして人気を集めてますし、テレビに出るようになってからも、相変わらず面白い着眼点とワードセンスを発揮されています。
人と違う発想や切り口は面白いものになります。
そう言えば、知の巨人 立花隆さんが、結局人間は何はどうあれ寿命まで生きられるという結論に達したという話をされていて、僕にはさっぱりそれが分からなかったことがあります。
病気の治療をするしないに関わらず人は与えられた寿命までは生きるとわかったみたいな話で、その背景にある理論が僕には理解ができなかったのですが、でも、こういう他の人に到達できない意見というものも面白いな・・・と思った記憶があります。
”わからない”ことによる恩恵など
思えば、人間が”わからない”を楽しめる生き物であるが故の次のような理論やトレンドの傾向があります。
人間関係における”わからない”恩恵
ジョハリの窓という心理理論があります。
一般的には自分も他人も見えない視座というものがあるので、そこが明らかになると驚きがあるし、印象に残りやすいみたいな理論なのですが、人間関係の面白さの根底にあるのはこれだと思うんです。
いつも一緒に居ても新しい発見がある、みたいな。
パッと見からはわからない、本人も自覚していない、でも付き合っていくうちに明らかになる。
それがあとどれぐらいあるのかがわからない。
だから、その人に興味が絶えないのだと思います。
体験重視という考え方
今の世の中、体験重視だと言われます。
ビジネスの世界では、体験を売ろうとも良く言われます。
これは体験が目に見えないからだと思うのです。
文字や写真、動画といった目に見える形にできるものは情報として共有されやすくなりましたが、相対的に情報になったものは価値が下がっていってると思うんです。
でも、体験は言語化したりするのが難しいから価値が落ちにくいという側面があると思うんです。
同じ時間と場所で体験を共有することはできても、そこでAさんが体験したから、そこに行ってないBさんも体験したとはなりません。
体験は共有できないから、これからの時代は体験が重要だよみたいな話になるのだと思っています。
そんなわけで
見えないものって面白いし、だからこそ見えないものを形にしていくのかは高い価値があると思うんです。
あの人が何を考えているのかわからない、あの人はその体験をどう思っているのかわからない。
だから、それを分かるように形してくれたものには価値があります。
個人的に思ったことや感じたことをただ言葉にしただけだと本人が思ったとしても、他の人から見たらそれは十分に価値があるものなのです。
見せ方の工夫でその価値は上下します。
「プロXXが思う○○のレビュー」みたいなのは興味や関心を高める見せ方ではありますが、それも個人が思ったことや感じたことをレビューという形にしたにすぎません。
”わからない事がわかる”や”わからない事が知れる”、”知らなかったことを知れる”というものは常に一定の価値があります。
だから、あなたがブログやnoteを書くことが無価値になることはありません。