一流になるには一流の分析力を持つことが必須なのかも
一流の芸人が賞レースを分析していました。
ラジオでゲストで呼ばれ、M-1やTHE Wの優勝者の分析をしていたのですが、これが非常に的確で、聞いていても唸らされた。
一流の芸人は、芸をそんな角度で分析しているのか…と。
そして、改めてこうも思いました。
シッカリと分析できるだけの知識と観察眼を持つこと。
それがその世界で生きていくためには不可欠なのかもしれない。
つまり、一流になるには、一流の分析力を持つということは必須条件なのかもしれません。
歴代M1王者の分析による2021年の漫才賞レース
THE Wの優勝者オダウエダの賛否が分かれた理由
パンクブーブーの佐藤さんが「ナイツ・ザ・ラジオショー」で、THE Wの2021年優勝者が賛否両論に分かれた理由を説明していました。
なぜオダウエダは賛否が分かれたのか、なぜ票が割れたのか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3ac9573254f18cdfe3f52f7c4ad4ed066809bcc2
それは、オダウエダのネタが”その感性を持つ人にしか面白さが伝わらない”という、賛否両論が起きて当然のネタの作り方をしていたからだそうです。
センスで勝負する天才肌の人がやりがちなことらしいのですが、この手のネタは、それを面白いと感じる感性を持っている人にはハマるけど、その感性を持ってない人にはさっぱり理解できない。
今回の審査員はたまたまその感性を持っていた。
でも、審査員のメンツによってはその感性を持つ人がいないこともあり得るので、一票も入らなかった恐れもあるネタの作り方をしている。
そのようなハイリスクハイリターンのネタの作り方はしたくない凡才や秀才は、基本に忠実なセオリー通りのネタ作りをする。
ボケがおかしなことを言ったらツッコミが常識人の立ち位置で修正する。
”常識”という共通認識のもとで笑いを構築する。
常識は全ての人が持っているものなので、理解も共感もしやすい。
だから一般受けしやすい。
これがTHE Wで起きたことなのだそうです。
M1-2021がイマイチ盛り上がりに欠けた理由
「ナインティナインのオールナイトニッポン」でノンスタイルの石田さんがM1の総評をしていました。
各組の漫才についても色々と細かく分析をされていましたが、面白い着眼点だったのが、”出番の2番手がランジャタイだったことが、実は鍵になっていた”という分析です。
大きなボケ、角度のある斬新なボケを高速で畳みかける漫才を2番手で見せたことによって、以降同じような個性を持つ組は全て物足りなさが出てしまったというものです。
例えば、インディアンスは高速でボケてツッコむ漫才ですが、ランジャタイがそのスピードですでにネタをやっているので、お客がスピードに慣れてしまっているのでウケが想定より弱くなっていたかもしれないというものです。
全体的にゆったりテンポの中にインディアンスが来ていたら、もっとウケたんじゃないか?そうなると印象も空気ももっと味方していたかもしれない。
全体の流れを見て、その流れによって得した損したという分析力の高さを見て、「なるほど、だからノンスタイルは賞レースを獲りまくれているのか・・・」と感心させられました。
そんなわけで・・・
一流の人は、事細かに分析し、分解して考えるというプロセスが好きなんだろうな・・・と感じました。
漫画か何かで見かけたのですが、一流になるには眼が大切なのだそうです。
インプットしたことをアウトプットしているのだから、観察力、観察眼が弱いとインプットされる量も質も弱くなるので、当然アウトプットも比例して弱くなる。そういう考え方です。
まさにそういう事なのかもな・・・と思う、歴代漫才賞レース王者の分析でした。
後ろにある構造を見抜いて何が起きているのかを把握する。
こういう事が出来る分析力を磨くことが、その世界で頭一つ抜けるためには大切なんだな・・・と痛感しました。
分析力、大切ですね。