”愛“と”やさしさ“の話。
この一年、友達から相談を受けることが増えた。人生の話、就活の話、人間関係の話。
どうやら周りから見ると僕は能天気馬鹿だけどちょっと真面目な変人に見えるらしい。能天気って言われるのも、変人って言われるのも好きだな〜
そんなのはどうでも良くて、能天気で変人な僕からすると、相談しに来てくれる人みんな大変だなぁ、真面目に悩みと向き合ってて偉いなあとか思っている。
そんなことを思ってる時期に、
Queer Eyeという番組を見たり、
御田寺圭さんの記事を読んだりした。
そこから共通して感じたのは、「こんなにも”愛“と“やさしさ”を受け取れてない人が多いのか。」という事。怒られるかもしれないけど、正直すごくびっくりした。友達の相談にのるって言っても、僕が想像できる範囲でしかなかった。「あぁ、確かに〇〇さんならそれ悩むよね〜」みたいな感じで。
でも、Queer Eyeを通して分かったのは、自分が生きづらさを抱えている事を仕方ないと思っていたり、自分らしく生きる事をいつの間にか諦めてしまっている人が、自分の想像をはるかに超える範囲にいるということ。自分や他人、環境によって自分を無意識に縛り付けちゃっている人がこんなにもあるのかと。悩んでないのならいいのかもしれないけど、無意識のものでも解けることで生きやすくなるのであれば、それにこした事は無いと思う。
更に、御田寺さんの記事を読んで、それが個人に、社会に、いかに大きく深い傷を生み出しているか分かった。僕は、やさしさって日常に溢れているものだと思う。駅で落とし物をしたら拾って声かけてくれる人がいたり、八百屋のおじちゃんがサービスって言ってピーマンを一つ増やしてくれたり。でも、最近は人と人の繋がりがどんどん薄れてきて、そういうやさしさに触れる機会もどんどん減ってんだろうなぁと思う。
そうすると、個人の自己肯定感は上がらないし、いつの間にか社会全体でピリピリしちゃうんだろうなぁと。周りがピリピリしてると自分も余計ピリピリしちゃうし、自分がピリピリしてる時は相手にやさしさをあげられる程の余裕はなかなか無い。
そんなことを考えていたら、いつも一緒に練習してるあいつが、今授業で前に座ってるこいつが、お店で丁寧に商品紹介してくれたあの人が、もしかしたら悩んでいるのかもしれない、と思った。「自分に優しくしてくれる人なんていないんじゃないか。」、「自分を愛してくれる人なんていないんじゃないか。」何よりも、「自分を愛せない。」と。色んな人のあの時の表情、あの時の言葉が頭の中をよぎっては消えた。
“愛”とか“やさしさ”って何なのさ。
何なんだろう。そんなの僕にも分からない。違いも分からない。というか、難しくてそんなのどーでもいい。笑 とりあえず言えるのは、両方とも僕がつくりたい「明日も生きたいと思える世界」には必要不可欠だと言うこと。
愛を受け取るから、「あ、自分は生きてていいんだ。」と思えるし、やさしさをうけとるから、「自分もやさしさを誰かに渡そう。」と思える。それは確実に生きるエネルギーになるし、明日を生きる理由になると、僕は思う。
僕は“愛”と“やさしさ”をまきちらしたい。
自分で言うのも恐縮だが、僕はめちゃくちゃに恵まれてると思う。両親からは申し分ない愛を注がれ、友人からも愛を存分にもらって、その他にも親戚や先生、色んな人から愛を受け取ってここまで来た。おかげさまで僕はこの世界に生まれてきて良かったと思ってるし、自分で自分の事を愛してあげられてると思う。
だからこそ。
今まで沢山の人から、沢山の愛を受け取ってきた僕だからこそ、その分、いや、それ以上に周りの人達に優しさをまき散らしたい。僕にとって大切な人達が、どんなに状況にあろうと包み込んであげられるほどの愛と、誰にでも、ふとした瞬間にあげられるやさしさを持ち合わせていたい。
その人が「あ、自分も生きてていいんだな。僕も誰かにやさしくしよう。」と思ってくれるなら、いくらでもその為に僕の愛とやさしさを使いたいと思う。そうやって愛とやさしさの循環が生まれたら、どんなに素敵だろうか。どんなに生きやすい社会になるだろうか。
もちろん、誰にだって自分の嫌いなところ、醜いと思うところはあるし、それは他人に対してもある。でも、それもひっくるめて自分の事も、他人の事も愛してあげられる人がもっと増えたらいいなと心から思う。
でも、“愛”も“やさしさ”無限には配れないって話。
いくら「まきちらしたい」と言っても、僕にも完全なるエゴな部分だってあって、他人よりも自分を優先したい時だっていくらでもある。そうすると、いつ、どこでも、100%の愛とやさしさをまきちらす事はできない。
だから、僕はなるべく自分の持ってるやさしさを有効活用したい。
あー、なんかここに書きたかった事めっちゃ言葉にするの難しいから諦めた笑笑
上手く言葉にできたら書き足すかもしれないです。
愛で溢れた、やさしい世界になったらいいな。
ここまで、とりあえず僕が書きたい事を書いてきたけど、まだまだ書きたい事はあるのです。
やさしさとか愛ってかなり鋭い刃だと思ってて、やさしさがあるからこそ傷ついている人もいると思う。それを書いてる「愛と拒絶は表裏一体だと思う。」ってものを今書き溜めてる。あとは、僕が”愛”を持つの”強さ”ってのが必要だと思ってて、それについても少し書いてる。
なんか”愛”とか”やさしさ”って考え始めるとキリの無いテーマだと思う。でもだからこそ、こうやって言葉にして、たまたま読んでくれた人と一緒に色んな話できたらいいな。
ちなみに冒頭で紹介したQueer Eyeは、日本でやってるQueer Eye in Japanもあるので、是非観て欲してい。僕は全回で泣きました。