【0035】開眼法要
今日6月6日は僕が参加している勉強会?コミュニティ?村?である「知心会」にとって、記念すべき日であった。
会の代表である岡本さんが私財を投じて、みんなの拠り所となる場をオープンしてくださったのだ。根底に「日本人はもっと優しい民族のはずだ。相互扶助の心を取り戻したい」という思いがおありで、会の発足から約1年で、大きな扶助を形にしていただいた格好だ。
その名も「知心寺」。
もともと日本において、勉強の場であり、困りごとを解決する場であり、相互扶助の精神的・物理的拠点であったお寺を、現代においてもその役割を復興させるべきとの思いも込められて、敢えて「寺」と名づけられた。
宗教法人でもなんでもなく、株式会社が運営しているので、税金も納めていただいているのだが(笑)、そういったお寺であっても、新しくお寺を建立する際には、地域の氏神様をはじめとする土着の神仏に対してご挨拶をすべきである、ということから、本日のオープンに際し、開眼法要(かいげんほうよう)が執り行われた。
一説によれば、2040年には全国の寺社それぞれ約8万前後が3分の1に減る、といわれているこの令和の世にあって、新しいお寺のオープンを目の当たりにできるだけでもありがたいことだ。
今日は法要にあたり、代表、正適僧正、代表の師匠のお三方から講和をいただいた。
代表のお話からは、
「なぜ6月6日なのか。6を指を折って数えると、指が起き上がる。2回転んでも起き上がる日」
なのだと聞いて、なるほど!と思った。験をかつぐ大阪の商家らしい発想だ。
また、「開眼は読んで字の如く、目がくわっと開くイメージを持ちがちだが、そうではなく、眼が開くように切れ目を入れる、きっかけにすぎない」ということを教えていただいた。そうなのか。そこから先は自分の心がけひとつなのか。
僧正からは、出会いの奇跡について教えていただいた。「コロナは普通の見方をしたらマイナス以外のなにものでもないが、そのコロナ禍がなければ知心会も発足しておらず、今日のこの出会いはなかった」と言われ、確かにそうだと思った。悪いコトばかりではない。
師匠のお話では、
「相手目線とは、相手の後ろ側に立って、こちらを見ること。話すとシンプルだが、これは相当難しい。自分のこだわりではなく、相手が欲しているものを提供する、支援する、ということにこだわったら、ビジネスも人間関係も成功する」
というお話を聞かせていただき、これまた大きな気づきであった。
いずれにしても、知心会のメンバーであるからこそ聞くことができたお話だ。
月並みな言葉であるが、出会いに感謝して、今後も精進していきたい。
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