定年退職後の私の日々 (健康編10:ウンコを漏らすのはつらいと思う)
新型コロナ禍に対応する非常事態宣言がどうやら延長されるようだ。多くの日本人はそれぞれの立場で一生懸命頑張っていると思うのだが、対応がうまく噛み合っていないような虚しさが蔓延している。
そのような悲しい状況にもかかわらず、またウンコの話だ。私はとにかくウンコが気になってしょうが無いのである。ウンコについては同世代の連中と膝をつき合わせて議論したいのだが、新型コロナ禍の影響でそれはままならない。・・・というか、話に付き合ってくれそうなのは数人しか思いつかない。これはこれで問題だと思う。
・・・でウンコの話だが、先日読んだ老人問題エッセイの中での記載で「ウーン」となってしまったのである。話題は加齢による「ウンコ漏らし」だ。
自慢ではないが、私は社会人になってからもウンコを数回漏らしたことがある。特に一番悲惨だったのは、客先プレゼンの直前にウンコを漏らしてしまった時だ(当日は超下痢状態だった)。
客先のトイレに駆け込み必死に処理をしたが、当然パンツは捨てざるを得ない。したがって、スーツの下はノーパンというハチャメチャな状況で、ハチャメチャな精神状態となり、結局ハチャメチャなプレゼンをしてしまい、帰りに上司にハチャメチャに罵倒される・・・というトラウマがある。あれから数十年が経ったが、パンツにウンコが漏れてゆく感触が今でもはっきりと残っている(なんだかなーー)。
とにかく、私はウンコが苦手だ。漏れるのも処理するのも大の苦手だ。したがって、今後加齢により自分の意思に逆らってウンコがコンスタントに漏れてしまう・・・という状況になったら、生きてゆく自信がない。「いい年したジジイが、そんな事で甘えるな」とこれまた罵倒されそうだが、絶望的な思いは拭えないのだ。
1.どうやら苦手な人とそうでない人がいるらしい
現時点において、ウンコについて気軽に議論できる相手は5歳下の妹くらいである。彼女の考え方は「ウンコを漏らすような人は、既に惚けてるから苦手もへったくれも感じないわよ」というものである。
私も「そんなもんかな?」とは思っていたが、件の老人問題エッセイを読むと必ずしもそうではない事が判明した。
そのエッセイには、ウンコを漏らし、それを他人に処理してもらうことが苦痛で、日々真っ当に羞恥心と戦っている男性高齢者の事例が紹介されていた。件のジイサンの苦悩は十分過ぎるほど理解できる。
一方でこんな事例もあった。同様にウンコを漏らして他人に処理してもらうことに問題を抱えている男性高齢者なのだが、このジイサンは「ウンコを漏らして他人に処理してもらう」事に対する羞恥心的な感情で悩んでいるのではなくて、処理してくれる女性の対応が不親切だ・・・ということに苦悩というか立腹しているのだ。対応している女性に、「もっと、テキパキやれ」みたいなことを言うらしい。
このジイサンのメンタリティというか自信はどこから出てくるのか?驚愕の事例である。ウンコを漏らして情けない状況なのに、この自信。凄いな・・・と思う。
私は明らかに前者のジイサンと同じメンタリティである。世の中には、ウンコ一つとっても生きにくい人とそうでない人がいるらしい。