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なぜ、どっちかに寄ろうとするのか

世の中には右派と左派がいる。甘党もいれば辛党もいるし、肉食もいればベジタリアンもいるし、小麦派もいれば米派もいて、犬派がいれば猫派もいる。GLAY派がいればL'Arc派もいる。

それでいい。それでいいじゃないか。でもふと思う。人は結構、どっちかの「派」に寄り過ぎる傾向にあるんじゃないかと。寄り過ぎて、真ん中あたりに戻れなくなってるんじゃないかと。

日頃からカジュアルな服を着こなすのが好きな人だって、スーツを着たっていいじゃないか。
辛い物好きを公言している人だって、パンケーキを食べたっていいじゃないか。 
猫が好き猫が好きと言う人だって、YouTubeで犬がお風呂に入ってきれいに洗われてる動画を見たっていいじゃないか。猫を膝の上に乗せながら。

いいはずなのに、いいはずなのに、そうしない。まったくもってつまらない。
どうして、人は、どっちかに寄ろうとしてしまうのだろうか?

公園でひとしきり走った後、タオルで汗を拭い、ベンチに腰を掛けて自販機で買ったよく冷えたポカリを口にする。
ふーっと一息ついて視線を遠くにやる。なんとなく上のほうを眺めると、葉っぱの間からきらきらと木漏れ日が差し込んでくるではないか。
ああ、なんていい日なんだ。やっぱり晴れって最高だ。

そう言うと、雨教の人が手を挙げる。

雨の日も負けてないよ。
君は、雨の日のことを憂鬱の対象としてしか見ていないんじゃないか?確かに、空は暗いし、濡れるし、外に出るのも億劫になる。でもね、よく耳を澄ませてごらんよ。
雨の音は一様ではないんだ。ずーっと雨音が一定であるなんてことはありえないんだ。強くなったり弱くなったり、速くなったり遅くなったり。徐々に変化していくリズムを聞いてみなさいよ。
それに、雨が落ちる音。これもまたひとつひとつ違うのよ。葉っぱに落ちる音。車に落ちる音。屋根に落ちる音。傘を差して外に出てごらんなさい。雨って自然のオーケストラみたいじゃないか?(ちょっとくさかったなぁ)

確かに…と晴れ教の人はうなる。今まで考えたこともなかった、雨の日を楽しむなんて。ちょっと雨の日が待ち遠しくなったかもしれない。

雨教の人が笑顔でうなづく。いや俺も晴れの日にどっかお出かけしたくなったよ。やっぱり気持ちがいいものだよね。あー言い忘れてたけど、もちろん、強すぎる雨風の日には外に出るなよ?ちょうどいい雨の日ってのがあるんだ。それを楽しみに待つのもいいもんだよ。

そうして2人はさわやかに別れた。

しかし、このような結論を迎えることは、そう多くはないのが現実だ。

左派は右派を叩き、右派も左派を叩く。決して交わることなく、意見を曲げることもなく、らちが明かないと判断した方が、先に離脱する。
そうすると、残された者が自身を勝利者と誤認し、また限りなく曖昧な自信を宿し続けてしまう。

本当か?本当に思わないのか?本当に1ミリも猫のことをかわいいと思わないのか?
YouTubeの猫動画に、「猫とか目が気持ち悪すぎ、やっぱり犬最強」とコメントを残す者よ。

自分が築き上げてきたポジションがボロボロと崩れていくのに耐えられないだけではないのか?そしてそのポジションを守るために、不要な二項対立を煽り、結局自分の首を絞めているのではないか?

甘党としての矜持。
それがあるのならば、インスタで話題のコンビニスイーツを食べればよいではないか、その美味しさをみんなに伝えればよいではないか?

なぜ、辛い物は邪道。と言っちゃうんだ。なぜ好きなものを守るため、他のものを貶めてしまうのだ。

なぜどっちか片方に寄ってしまうんだ。どっちも好き。比べられないよ。ではまずいのか?教義に反するのか?

日頃、甘党の党首として活動を続け、辛党にネガティブな言葉を送り続けていたあなたは、きっと今後永遠に、火鍋パーティや麻婆豆腐めぐりに誘われることはないでしょう。

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