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【人間関係の極意、人を真に観る】

すべての悩みは人間関係である。


色んな悩みがある様に観えて、
実は深掘りしていくと結局
人間関係の悩みだった、という事が
ほとんどです。

人間関係は難しい。
そもそも、人間が難しい。

しかし、逆に言うと
この最も難しいモノを上手く出来たら
すべてが上手くいく。


『愛の反対は無関心である』


マザー・テレサは言いました。

愛が最も大切で、一番ダメなのが無関心。

そんな事かとも思います。
ただ、すべてに対して愛を向けるのは
難しいというかムリだと思います。

正直、嫌いな人も居る。
遠ざかりたい人も居る。

そういう人からは僕は距離を置いて
いいと思ってます。
何もムリする必要なんてありません。
どうしても【相性】というのはあって
こればっかりはどうしようもない事があります。

ただ、好き度合いが普通レベルの感覚の
相手に対して(もしくは好きなら尚更)

さて、どういう風に接していくか
という事なのです。

これは、抽象的になってしまうのですが

『その人を観る』

という事に尽きると思います。


この【観る】というのが
説明するのが非常に難しい。


例えば、アナタが上司だったとする。
今月、アナタの部下の成績が良かった。

アナタはその部下に話しかける。

『〇〇君、今月の成績、すごい良かったね!
さすが!これからもその調子で
頑張ってね!おめでとう!』

これ。必ずしも間違いではありません。
〇〇君はアナタが自分の出した成績について
評価してくれている事を認識するでしょう。

ただ、この声かけだけで

自分は〇〇君を観ている。


となっている人は注意した方がいいです。
実際、現代社会においては
大体、こんな感じの事が多い気がします。

ハッキリ言ってこれだけでは
〇〇君を観ているには程遠いのです。


これとよく似たパターンで
親と子ども、先生と生徒、夫と妻、彼氏と彼女、
友達同士、…

みんなこんなパターンに陥って
ケンカになったり、上手くいかなくなって
問題が起きたり、
別れたり、疎遠になったりします。

人をちゃんと観れている状態でなければ
先ほどのような声かけも
まったく意味を成さないのだという事を
理解する必要があります。

『人を観る』というのは

その人の生き様や今までどんな風に
生きて来たのか、
どこで生まれてどんな家庭で育って
家族構成はどんな感じで、
どういう事に興味があって、
どんな志(こころざし)があって、
どんな事が一番嬉しくて、
どんな問題をかかえていて、
どういう未来を欲しているのか、


そういう感じの事なのです。

勿論、プライバシーやセンシティヴな事は
ありますので
相手が明らかに嫌がっているのに
ムリに掘っていく必要はないです。

しかし、そういう事を認識し、
しかもただ認識するだけではなく、

それらの情報をもとにその人の感情の地図の
ようなモノを
自分の中に限りなく描いてみるんです。

ハッキリいうとすごい労力が要ります。
思考も神経も使います。
かなり疲れます。

しかし、絶大な効果があります。


自分がそれほどの意識をもって
相手に接しているという事は

間違いなく相手に伝わります。

ですから、同じ褒めるのでも
その人の感情の地図を認識している状態で
褒めるのと
そういうのがまったく無く
ただ、褒めるのとでは

天と地ほどの差が生まれます。

まぁ、有り体に言えば【信頼関係】
というやつです。

これが無ければ
先ほどのように〇〇君を褒めても


『何がこの調子で頑張って、だよ。
俺だっていつもいつもこんな成績出せる訳じゃ
ねーんだよ。俺はアンタの歯車じゃねぇよ!』


ひどいパターンなら
これくらい思われてしまうかも知れません。

というか、思われます(笑)




僕はですけど。。

〇〇君のバックボーンをどれだけ
聴き出せるかってのは分からないので
仮に〇〇君の今までの成績の流れくらいしか
知らないとするならば…..

『あ、どうもどうも。
〇〇さん、元気ですか?
体調はよろしいんですか。ああ、良くない?
なんかありましたかいね。
(話題が出たらそっちにシフトしていく)
最近、季節の代わり目だから大変!
暑くなったり寒くなったりするでしょう?
ねー。あ、何しに来たかというと
コレなんですね、成績。
すごい良かったという事でおめでとうございます。
あんまりムリしない様にという事で。
どうもお時間いただきまして
ありがとうございます。ではでは、ハーイ。
ありがとうねー』


ゴメンなさい。これがお手本とかは
言いません(笑)


でも、僕はこんな感じですね。
話が長くなりがちだけど(笑)

いや、ぶっちゃけね、
僕は〇〇君が良い成績を出した事自体には
さほど興味が無いんですよ。

〇〇君という、その人自体に興味がある。
だから、成績が良かった事は話すきっかけ
でしかなくて

それ以外の〇〇君の一面を知るために話す
というか。
そんな感じなんですね。




いや、なんだよそれ。

実利はどうした?成績だって大切だろ?



そういう声もあると思います。

ただ、僕にとっては『〇〇君を観る』
というのは

〇〇君の感情の地図をどんどん自分の中に
描き込んでいく事だと思ってまして。

それが鮮明になればなるほど
そんなわざとらしく
『成績が良かったね』とか褒めなくても

そんな事よりももっと〇〇君と
親しくなれるというか
〇〇君にとって安心出来る存在に
自分がなっていくというか。

そういう事かな、と思うんですよね。

まぁ、何でも当たり前と思うなよ、
という感じなのかな。



部下が今日、会社に出勤して
働いてくれている事。

親が居てくれる事。

子どもが元気に学校に行ってくれている事。

恋人がそばに居てくれている事。

夫婦(パートナー)が自分を
支えてくれている事。

自分が今、健康である事。



全部、奇跡的な事です。
それに感謝するという事も含めて

すべてを愛のまなざしで『観る』という事。

勿論、どうしても嫌いな人には
ムリに近付く必要もありません。

自分がムリしない程度に、です。

ではでは、今回は以上です。
ありがとうございます!





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