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【自己開示の大切さ】

note を始めて半月が経ちました。

この2日、連休だったのですが
勢い余りすぎて平均2,000文字程度の記事を
9つも書いてしまいました。

僕は文章を書くのが好きです。
決して上手い訳ではないし、整った構成で
組み立てられる訳でもありません。

ただ、延々と書いて居られます。

今、最後のちからを振り絞ってこの記事を
書いて居ます。

何処(どこ)かの書籍で読みました。

イーロン・マスク氏は服を着替えている間にも
アイデアが思い付いてしまい、
服を着るのを忘れて駆け出していってしまう。
着替えすら満足に出来ない程の
行動魔である、と。

僕もややそういう所はあります。
別に人間性全体で言うと大して行動的ではない
のだけれど。

何かこうスイッチが入ると
とんでもないゾーンにブワッ、と突入する事が
あります。

〜〜〜

閑話休題。
すぐ脱線するので戻さないと。

自己開示の大切さについて。
これはnoteの他の方の記事を読んでいて
学んだのです。

僕は長年ライブドアブログをやって居ましたが
あんまり他の方の記事を読んだりはして
居ませんでした。

しかし、noteは割と他の方の記事を
読みやすいデザインをしている為か
ついつい沢山読んでしまいます。

皆さんの様々な思考や行動、人生が知れて
面白いです。やっぱりnoteはよかった。
もっと早く始めれば良かったな。
こういう声も自己開示。


僕はそもそも表裏のあるタイプではありません。
しかし、自己開示を十分しているか、と言うと
そうでもない気がして居ます。

嘘は言わないけれども、空気を呼んで
嫌だな、と思ったらふわっと逃げたり、
何となく中庸な事を言ってフラットに
戻したりする立ち回りをし勝ちかも知れません。

ほんとうは多分、結構な自我の塊みたいな奴の
筈であるのに、ね。

自己開示しない人は信頼も応援もされない。


最近も何となくそれを気付かされる様な
出来事があった気がします。
詳しくは忘れてしまったけれど。
あまり根に持たないタイプで
寝たらすぐ忘れますのでね(笑)

この37年間、僕はどれだけ自己開示して
来ただろう。
そう考えると、してそうで、していない気もする。

まぁまぁ、いい歳になりました。
もっと若い頃は周りに何を思われるかと
怖い事もあった。

でも、段々それもいい感じに
ぼやけて来ました。

別に何したって誰も気にしないよ。
一度きりの人生だ、少しでも自分の
好きな様に生きてみたら?

そう、自分自身に許可を出せている様な
感覚に目覚めて来ている。

何が黒歴史だ。何がデジタルタトゥーだ。

これだけ街中に監視カメラがあって
マイナンバーカードとかスマホとか

もう何処からだって情報なんて
抜き取られているさ〜

何も隠すもんなんてない。

誰よりも失敗して、誰よりも話題が豊富になって
そういう人が推されるんだろう。

僕もそうなりたいと思う。


みんな象を必死で隠しているって
誰かが言ってたな。

自分の飼っている象を、見つからない様に
必死で自分の背中の後ろに隠そうと
するんだと。

でも、象みたいな巨大な動物を
隠す事なんて出来ません。

詰まり、みんなバレてるんだ。
バレてないと思っているとしたら自分だけ。

だけど、心配しなくても側に居てくれる人達は
その象も含めて、理解した上で
あなたを愛してくれている。

だったら最初から何も隠さない方が、
何も遠慮しない方が話が早いかも知れません。


アラフォーになったけれど
今、僕はかつてなく燃えている。

どんなに嫌われてもいい。
ほんとうの僕を、一度世の中に問いたい。


死ぬ前に。

何が悪いなんて、何が優しいなんて
何が汚いなんて、何が正しいなんて

そんな基準、誰にも決められないんだ。

困っている人を片っ端から助けたら
優しい人なの?

困っている人が居ても
見て見ぬふりをしたら冷たい人なの?

そんな簡単なもんじゃないと思います。

だから、僕は僕の道をゆく。

今の僕はサナギラス。
しかし、40歳までにはバンギラスに
脱皮して居たい。

いや、…しなければならないくらいの
気持ちなんです。

なぜそう思うのかは分からない。
僕の魂が叫びをあげている。

何だかポエムっぽくなって来てるなぁ。
そんなつもりは無いのだけれど。
眠くて脳が溶けそうだ。

兎に角、noteを始めた事は
確実に引き金になっている。

僕のサナギにヒビが入る音が聴こえる。


もう寝ます。流石に疲れた。
おやすみなさい。



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