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【マネーの虎・堀之内九一郎流『成功する商売』とは?】

2000年代前半にやっていた人気番組
『マネーの虎』に出演していた
堀之内九一郎社長。

当時は【生活創庫】という会社の社長であり
番組に出演していたのは54〜55歳くらいの頃。

【生活創庫】は年商120億円を稼ぐ会社と
なっていて
出演していた虎たちの中でも
最も稼ぐ虎として注目されていました。

しかし、同時に、
出演回数は一番多いにも関わらず
ほとんどお金を出さない事でも有名で

『なぜ、堀之内社長はお金を出さないのか?』

という事を問う様な回が放送された事が
あります。

それがYouTube上に残っていましたので
貼っておきます。↓

まぁ、かなり長い動画なのですが

要約すると、

堀之内社長は鹿児島県内の裕福な家に生まれるが
両親が早くに亡くなる。(19歳頃)

両親が亡くなった寂しさに加えて、
多額の遺産が一気に入った事で

遊びに、女性に、あらゆる自分の欲を満たす為に
毎日、浴びる様に遺産を使って遊び呆け

ほぼ無一文となってしまう。

ゆいいつ、堀之内社長の商売の才覚などを
見抜いていた女性と結婚し(20歳頃)

そこからは、地道に働きながらも
片手間に『コレだ!』と思った事業を
立ち上げていった。

その嗅覚は鋭いモノがあり、
大抵の事業は上手くいったものの

度重なる仲間の裏切りや、遊び癖が抜けず
倒産を繰り返す事、30社以上。

最後には妻や子どもにも見放され
出ていかれてしまう。(35歳頃)

死のうとするも死に切れず
取り敢えず、すべてを捨てて東京へ向かって
失踪する。

静岡あたりで力尽き、ホームレスとなる。

寒い冬の中、公園のベンチで寝ていると
一つの壊れたストーブが捨てられているのを発見。

修理が得意な堀之内社長はそのストーブを
直して、暖を取る。

すると、別のホームレスがやって来て
「そのストーブを売ってくれ!
少ないけれど、金はあるから」と言われ
少額の金と直したストーブを交換する。

当時はバブル期で、あちこちに
何かしらまだ使えるのに少し壊れたからと
いって捨てられているモノが沢山あった。

堀之内社長は片っ端からそういった
捨てられていて、直せそうな家電製品等を
拾い、直し、

近くの中古屋に売る事で、少しづつ
食事を買えるくらいのお金を手に入れられる
様にまでなった。

『ゴミを直せるホームレスがいる』、と
ホームレスの間で有名になり、
沢山のホームレスが堀之内社長のところに
ゴミを持ってくる様になり

それをまた片っ端から直しては中古屋に売り、
金に換え、自分や仲間のホームレスの為の
金を得ていった。


ここからがこの話の最大の山なのですが、


ある夜の事、

堀之内社長とホームレス仲間のある男と
雑談をしていた時。

堀之内「俺、ゴミ拾いで金貯めてさ、
商売始めたいんだよ」

ある男『おっ、エライッ!』

堀之内「色んな事業をやって来たけどさ、
今の世の中で何か、すごい金儲けになる
商売って無いもんかな?」

ある男『…そんなアンタに商売は
出来っこないよ』

堀之内「何?俺は今はこんなだが、
今までいくつもの会社を成功させて来たんだ!」

ある男『商売ってなんだ?
人は何の為に商売をする?』

堀之内「金儲けだよ。
人は金を儲ける為に商売をするんだよ」

ある男『いいか、あんちゃん。
商売は、自分が楽しいと思った事を
とことんやるんだよ』

堀之内「楽しい事…?」

ある男『人は、ほんとうに楽しいと思った事には
いくらでも労力を惜しまないだろう?
それだけ、頑張れるってもんだ。
そこに大きな夢をかかげて、真っ直ぐに進む。
それが商売ってもんだ』

堀之内「…」

ある男『金儲けを一番に考えるあんちゃんは
今まで自分がほんとうに楽しいと思った事を
商売にして来たのかね?
そこに夢はあったのかね?』


この夜の出来事から、
堀之内社長は、今まで自分は商売を
立ち上げる際、
金が儲かるかどうかのみを考えていて
自分がその商売を好きか、楽しめているか、
を一切考えていなかった事に気付かされる。

そして、ホームレス期間にやっていた
【ゴミを拾って直し、それを売る】
という行為。

これに関しては儲かるかどうか
そんな事は一切考えずに楽しくやっていたと
思い出す。

そして、これならゆっくり長く続けていけるし
好きな事だからやめないだろうと確信する。

そこでいわゆる『中古屋』を開業するに至る。
堀之内社長の選んだ土地の近辺には
約42社の同業者(ライバル社)があったが

価値観の変わった堀之内社長には
そんな事は関係がなかった。

昔なら、そんなにライバル会社がいるなら
ムリだろうとあきらめていた筈だが

逆にそれだけあるなら商売として
成り立つのだろうし
前述の様に、自分の好きな事をやるだけ
なのだから何の問題もない。
最低限の生活が成り立つくらいの金を
稼げればいい、というつもりで
小さくはじめたという。(41歳頃【1988年】)

そうして始まった【生活創庫】は
マネーの虎出演時(2001年)には
年商120億円の会社になっていた。


あえて、僕の意見的な事は書かずに置きます。

今回は以上です。
ありがとうございます!また、次回。


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