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【「ブルー・ライト・ヨコハマ」から学ぶ臨機応変さ】

僕はメロディーを作るのが好きです。
ですから、何かのアーティストやバンドの
曲やアルバムが出来上がるまでの過程を示した
ドキュメンタリー番組や書物などには
たくさん目を通して来ました。

作曲好きにとって、デモテープ段階の作品を
聴けるというのは
よだれが出るほど嬉しい事なのです。

絵描きが、好きな画家のスケッチやドローイングを
観るのを好きなのときっと同じ感覚です。


さて、今回は僕の大好きな作曲家のひとり
筒美京平先生についてです。

言わずと知れた、日本一、曲を売った男。

その筒美京平先生のほぼ始めてといっていい
最初期の大ヒットにして

筒美京平先生の歴史全体で観ても
最高の名曲のひとつに間違いなく入るであろう
この「ブルー・ライト・ヨコハマ」

その制作秘話を話してみます。

これは、いしだあゆみさんという歌手の
デビュー曲として書かれた訳ですが

とにかくまだデビューして間もないという事で
歌にも慣れていない、
ましてや、自分らしい歌い方や楽曲の世界観を
掴んでどうのこうの…

そういうモノとは随分距離のあった時期です。

いしだあゆみさんいわく、
作詞家の橋本淳さんに死ぬほど叱られたらしく

レコーディングの想い出としては『最悪』
だったらしいです。

で、今回のポイントなのですが
いしだあゆみさんはとにかく言われるがままに
歌メロを辿るのに必死だったそうですが、…

出だしですね。

街の灯りが♪

という部分。

ここを何回歌っても「違う!間違ってる!」と
言われたそうなんです。

筒美京平先生という方は非常におとなしい人で
怒鳴ったりしませんから
おそらく周りの別のスタッフや橋本淳さんなどに
言われたのでしょう。

この

街の灯りが♪


のメロディーは当然、筒美京平先生が
考えられた訳ですが

実は正解は、1分43秒からはじまる
間奏のメロディーなんです。

しかし、いしだあゆみさんは何度歌っても
今、我々が知っているメロディーに
なってしまったといいます。

その時、筒美京平先生は
『いいんだよ。それがキミの歌いやすいメロディー
なんだから。それでいこう』

とOKを出したのです。

どうでしょう。
間奏の部分のメロディーが歌メロだったとして
果たしてこの曲は売れたでしょうか?

そうなんです。
ちょっと専門的な話になりますが

筒美京平先生の考えたほうのメロディーは
やや器楽的なんです。

簡単にいうと人が歌うような感じのしない
メロディーなんです。
悪いメロディーとは言いません。

ただ、人が歌うラインかな?
というところなんです。

楽器で奏でるようなメロディーというか。

こういう事はあまり歌を歌わない人が
作曲した場合に起きやすい事象なんです。

あまり歌を歌わない人にとっては
この事象について変だとは
気付きにくいんです。

筒美京平先生も後のインタビューで語って
いましたが
『僕が歌を歌う人間だったら
もうちょっと違う感じの作風になったのかも
しれない』と。

ですから、この「ブルー・ライト・ヨコハマ」
の場合も

歌手であるいしだあゆみさんの感覚のほうが
より冴えていて
歌メロとしてふさわしいラインに
無意識に改変したという訳なんですね。

で、頭の固い人はこういうのに我慢できなくて
意地でも自分の考えた風にやらせようと
するんですが

時には相手のアイデアのほうが何倍も
優れている事もあるのです。

筒美京平先生はその辺
かなり客観的な視点をもたれていましたし
優れた人でした。

きっとこの経験を活かして
以後のヒット曲はいわゆる声楽的なメロディー
(人の歌うメロディー)
になるように
気を付けたに違いありません。

といって、実はというか
やっぱり筒美先生は自分では歌わない人なので
結構、メカメカしいメロディーに
なっている事も多いんです(笑)

それはそれで【味】なんですが。
それを情緒的なモノに変換していたのが
相棒の作詞家、松本隆さんだったという訳です。

そんな事で、相手と意見が食い違った時は
いったん引いてみて
相手の意見も吟味してみるのも一興ですよね

という事でした。

では、今回はここまでです。
ありがとうございます!




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