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【ビートルズ『リボルバー』について語る②】やる気のポールと迷いのジョン
ポール・マッカートニーは『リボルバー』が
大好き
これは絶対にそうだと思うんです。
例えば、1984年に自身が主演した映画の
サントラとしての役割もあるアルバム作品
『ヤァ!ブロード・ストリート』を
出していますが、
収録内容として、ビートルズ時代の
自作曲をいくつか再録してます。
そこに、
「Good Day Sunshine」
「Here,There And Everywhere」
「For No One」「Eleanor Rigby」
と『リボルバー』から4曲も選曲してます。↓
他はというと、
「Yesterday」「The Long And Winding Rord」
があります。
ウイングス時代の1979年からスタートした
ツアーや
1989年からの自身のツアーにおいても
「Got To Get You Into My Llfe」を
序盤の重要な位置で演奏したりと
『リボルバー』収録の自作曲を
かなり優遇しています。
なかなか他人の曲(自分の曲もですが)を
褒めないジョン・レノンが
「Here,There And Everywhere」
「For No One」「Got To Get You Into My Llfe」
についてはベタ褒めしており
そういうのも関係しているのかも
知れません。
一方のジョンはアルバム『HELP!』において
「たすけて!」と叫んでいた様に
あの時をピークに迷走期間に突入して
居ました。
作品だけ観てますと
『ラバーソウル』も『リボルバー』も
シングル曲も全部、素晴らしい訳で
「どこが不調なんだよ」と
いう感じだと思いますが
ジョンの心の中はポッカリ穴が空いてしまって
割と深刻にどん詰まりになっていたのです。
それが、1966年の3月4日に
イギリスはロンドンの
【イブニング・スタンダード紙】に載った
ジョンの長めのインタビューの中にあった
「僕らは今やキリストよりも人気がある」
という発言です。
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実はこの時にはいつものジョンの毒舌だろうと
エンタメとしてスルーされたのですが
同年7月頃に「デイトブック」という
アメリカの10代向けの割とシリアスめな
雑誌に切り取られた事によって炎上。
アメリカでは引っかかってしまいました。
「あいつは何様だ!」「失礼な奴め!」と
キリスト信者から猛批判が殺到する事態に。
世界中でビートルズのレコードが
燃やされるという事件が起きます。
『リボルバー』は1966年8月発売では
あったのですが
しばらくはジョンは燃えに燃えていて
実際、この事もビートルズが
ライブを止めるキッカケのひとつだと
思われます。
ジョンはこの【イブニング・スタンダード紙】
のインタビューで、
「僕はただ、ここで立ち止まっているだけだ。
バス停みたいなものさ。
僕が毎日考えるのは、ヘンゼルとグレーテル
の家に住んでいる自分だ。
欲しいものが見つかった時に、
ほんとうの意味で自分の家を手に入れる事に
なるだろう。
詰まりね、僕がやりたい事や
やらなきゃいけない事は他にあるんだ。
それが何なのか、自分には分からないだけ。
だからこそ、いつも、絵を描いたり、
テープを作ったり、文章を書いたりして
いるんだ。
ほんとうに求めているものがその中に
あるかも知れないから。
分かっているのは、今の状態が
それじゃないって事だけだ」
と発言して居ます。
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そして、1966年11月に
オノ・ヨーコとの運命の出逢いがある訳です。
『リボルバー』の録音期間は
1966年の4月〜6月となっており
いわゆる炎上中に製作していた訳では
ないのですが
どんよりと黒い影がビートルズに
落ちつつある、みたいな時期だったとは
言えます。
ポールについては、俄然、この作品から
本領発揮して来て
ついに作曲数ではジョンを追い越します。
ただ、だからと言って
ジョンの『リボルバー』作品がダメかと
いうと全然そんな事はなく、
そんな裏背景を聞かされなければ
「いや、普通に絶頂期なんじゃないの?」
くらいの勢いです。
ソリッドなジョンにメロウなポール。
そこにもう一味、トリッキーなジョージと
いう布陣は相変わらず最強で難攻不落。
ポールが後期に連れて活気付いて来たのは
恐らく、ライブの事を考えなくてよくなり
極度に作り込んだ作風を展開出来るように
なったからでしょう。
ポールはそういうのが大好きですからね。
音楽理論にも明るいですし
スタジオで色々実験できるなんて
最高だぜ!と思っていたに違いありません。
ライブや映画活動となると
いってもジョンを立てなければ
なりませんが
スタジオでの作り込み作業となると
十分にイニシアチブが取れる。
ポールにとってはそれも美味しい展開だった
と思います。
しかし、ビートルズの
スタジオミュージシャン化は
例えば「Taxman」のギターソロを
上手く弾けずに2時間も粘っていた
ジョージの事をポールは小馬鹿にして
2テイク程度でスルッと弾いてしまい
ジョージは大人ですからこらえましたが
いわゆる「ポールの嫌な奴の部分」
「コントロール狂」的な面が
助長されていく流れにもなりました。
ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンにも
刺激を与えられ、
どうやってギャフンと言わせてやろうかと
ライバル心を燃やしていたところだった筈。
リーダーのジョンがどんどんビートルズの
活動に興味を失っていく中
その尻を叩き続け、「おい、起きろよ、ジョン!」
とやっていたのがポールです。
ジョンは「寝かせて。。何をそんなに
急いでるんだい。「I’m Only Sleeping」」と
いう訳ですね(笑)
ハイ。今回はここまでにします。
ありがとうございます!