【大人女子宅建】所信表明「令和7年宅建受験シーズンでやりとげたいこと」
みなさんこんにちは。
宅建ダイナマイト合格スクールのおーさわ校長です。
宅建受験講座「大人女子宅建」令和7年度受講生募集しています。
宅建ダイナマイト歴では11月から新年ですので、今回は、「令和7年の宅建受験シーズン」でやり遂げたいことを記してみます。
もちろん、自分への備忘録も兼ねてww
合格率にこだわる。
合格者数とも言える。
ちなみにだが。
いまの時代、どの宅建受験スクールも「ウチの合格率は」みたいなことを言わなくなってます。
みなさんも目にしないでしょ。
でもね、ワタクシが講師稼業に足を踏み入れたころ、つまり若い衆(粋な感じで「わけーし」と読んでね)だったころは、宅建受験系の大手スクールはどこもかしこも「ウチの合格率は80%」だとか、まぁーほんと、これぞまさにキングオブ「いけしゃあしゃあ」でしたわ。
パンフレットにも堂々とね。
そうこうしているうちに景品表示法違反となった(←笑えるでしょ)。
宅建受験系の大手スクールでの合格率を全部足すと100%どころか500%くらいになってたのではなかろうか。
あ、ここでいまワタクシは「しゃあしゃあ」という言葉を使ったが「しゃあしゃあってなんだろう」という人もいるかもしれないから解説しておくと「普通の人なら恥とすべきことを恥とも思わないで、ずうずうしく平気でいる様子(新明解国語辞典/第8版)」という意味だ。
「いけしゃあしゃあ」か「ぬけしゃあしゃあ」のどっちを使うかちょっと迷ったんだけど、新明解国語辞典/第8版での用例が「顔向け出来ないはずなのに、いけしゃあしゃあと現われた」とあったので「いけ」としました。
ま、それはそれとして。
なんで宅建受験業界での合格率がおバカ丸出しの全体で『500%(←もちろん大げさに言ってますよ、ウケ狙いですからね)』になってんのかというと、たとえばですね、ハガキや電話で単に資料請求してた人(当時はインターネットなんてないからね)の「合格」が判明すると「自分とこの合格者」にカウントするわけです。
この手のことを、そこらここらでやってたもんだから、かような笑えるおバカ丸出し状態となったわけです。
その笑える「合格率」をだね。
あ、そんでね。
その笑える「合格率」をだね、宅建ダイナマイト合格スクールは、なんと令和7年の目標数値に掲げようかと。
合格率ということだから「合格者数」が大事で、でもウチは水増しなし。
そこははっきりさせようじゃないか。
宅建受験講座「大人女子宅建」の受講者として大人女子を100名集める。
限定だ。
で、その100名の大人女子を分母に、彼女らの正味の合格者数を分子にする。
これで勝負したい。
どうだ、不正の余地はないだろ。
がはは〜\(^o^)/
・・・ってか、当たり前なんだけどね。
ではどれくらいの率か。
そんなおバカ丸出し時代でもね、なかにはですね、心ある宅建受験予備校(っていうか心ある宅建講師)というレアキャラが、当時もいたことはいたので、彼ら(宅建講師稼業の先輩にあたります。たぶんみなさん鬼籍にお入りだと存じますが)から聞いたんだけど、「3倍」をめざせと。
なんの3倍かというと、その資格試験での全体の合格率。
つまり宅建試験だと「15%」なのでその3倍。
つまりは45%。
合格率45%だったら、その講師は上出来、いい講師だったと。
そういう判断基準だったわけです。
あのねみなさん。
冷静に考えたって、合格率100%だの90%だのなんてありえんだろうが。
長年の講師稼業をナリワイとしてきた身としての“実感”でも、たしかに「3倍」はいい線だと思う。
もちろん、なかなか“率”がいかない年もある。
ベンキョーしない受講生が多い年だと、講師もがっくりだわね。
ま、それはそれでしょーがない。
めぐり合わせという名の運命だ。
ついでにここで文句も言っておくが。
ワタクシがいた某大手専門学校では、「講師仲間での判断基準」が「ギャラの評価基準」になっていなかったので、3倍以上の合格率を叩き出しても、ギャラに反映されることはなかった。
いまあらためて、むかつく(笑)。
というのもだね、ここで自慢を。
平成2年。
オレは絶好調の26歳の青年&熱血の宅建講師で、人気沸騰中(←もちろんオレの体感&自称だが)のころ、まさに飛ぶ鳥落とす勢いで、実際に鳥が落ちてきたらアタマっから食い散らかしてやろうというくらいテストステロンも充満していたころ。
その年、オレは池袋校の火曜・金曜の昼クラス(午後2時〜5時)の担当となった。でさ、平成2年っていったらそりゃあんた、バブル真っ盛りで、ニッポン全国1億人のみなさん全員が不動産投資(投資じゃなくて正しくは投機・ギャンブル資本主義だったけど)をしていたころだ。
景気よかったなー。
不動産バブルでみんなカネまわりがよかったし、だったら宅建でも勉強してみっかという人も激増した。
とくに女性たちの意欲が高かまっていたのかもしれません。
ほんとに女性だらけだったのだよ。
オレが担当した「池袋校の火曜・金曜の昼クラス」だけど、時間帯が「ぜいたくの極み」でしょ。
平日の日中で、それも週2回の計6時間、期間も1月から10月の試験直前までという、ほぼ1年間。
いい意味で「暇な人」じゃないとぜったいに通学できぬ。
当然そこに通うのは経済的にも時間的にも余裕のあるみなさんだったわけだ。
でもね、彼女らは単なる暇な専業主婦じゃなかったような気がする。
秘めたるパワーがあったようにも感じる。
場所が「池袋」だったから交通の便もよく、東武東上線と西武池袋線の沿線在住で、結婚と同時に購入した「新築マイホーム」にお住まいで、夫は高収入のサラリーマン(リゲイン飲んで24時間戦うっていうあの時代の男性ら)です、と思しきみなさんが、大挙いらしたわけです。
当時はほら、女性は「寿退社」といって、新卒入社して2年くらい働いて社内結婚して専業主婦になって妊娠して、というのが黄金のシアワセコースだったしね。
それも結婚は24歳までにね。
なので「短大」が大流行で「四大卒」の女子はあまりチヤホヤされてなかった。
具体的にいうと年齢がネックとなり、就職がむずかしかった。
採用する大手企業としても「なんで採用しないのかというと男性社員のお嫁さん候補になりにくいから」だ。
当時の世相として「クリスマスケーキ」っていう話、聞いたことある人もいると思うけど、なに疑うことなく、世の中の人はほんとうにそんなことを言ってたのだよ。
つまり、世の中を仕切っている中高年の男性陣の、ある種の“理想の社会”に、女性らも従っていた時代ともいえよう。
でもね、そんな状況に飽き足らず、というかそんな状況だからこそ、目の前に立ちはだかる「世間の壁」をぶち壊そうとして、「池袋校の火曜・金曜の昼クラス」に、彼女らは来てくれていたのかもしれません。
出席率も脅威のハイアベレージでした。
オレも「自分の売り」でもあった「明るく激しく楽しい宅建受験講座」を存分に展開させてたので果てしなく楽しかったし、ゆえに受講してくれてたみなさんもきっと楽しかったのであろう、と思います。
もともとはいろんな意味でポテンシャルが高い(=世の中の尺度におさまりきらない)みなさんだったこともあるんでしょうけど、休み時間の教室で飛び交う会話も「ウチの主人がどうのこうの、あらやだ、ウチはね、まぁほんと、そしたらその彼ったらね」と「株と不動産とビジネスの話&ついでに男の話」で、そんで、いまも覚えているんだけど、開講当初はみなさん落ち着いたメークやファッションだったのだが、しまいにはバブル世代よろしくパリピー全開ド派手の極み。
ということもあって、夕方、授業が終わった後、みんなでメシを食いに行ったりして、じつに楽しかったです。
池袋や新宿界隈が多かったけど、ときたま、タクシーで六本木とか青山とかとか。
当時はキングアンドクイーン(青山)とかマハラジャ(麻布十番)とかが流行ってて(あ、ディスコね)、みんなワンレンボディコン(どっかで着替えてたな確か)だったし、なので「人生ってほんとすばらしい」という日々ですわ。
いま思えば、だけど、オレを含め、みんな「自分のなかにある“秘めたエネルギー”をこぞって発散させたかった日々」だったというふうに言えるかもしれません。
そんでね、「せんせーせんせー」なんていわれてオレもチヤホヤされたもんだ。
講師ってもてるなー。
その誤解がいまも原動力になっている。
でね、肝心な話を。
正確な数は覚えてないけど、50人クラス中48人が確か女性で、46人が確か合格。
2名のうち1名は出産で、1名は体調不良だったから、どーだ実質的にはほぼほぼ100%だ。
・・・と、そんなこともあったが、ギャラは固定給だったのでインセンティブなし。
それどころか、「おまえのクラスだけ異常に合格率が高いと講座全体のバランスが悪くなるので学校としては困る」と言われて、減給されそうになって焦った。
・・・と、そんなこともあったが、当時のこの件でオレが暴れて器物損壊しそうになったことなどを覚えてる上司や経営陣は、上述のとおり、全員、もう鬼籍入りだろたぶん。
あっはっは。
でもオレは生きてる。
合掌。
そんでね。
オレは「50%」を叩き出したい。
50名の大人女子を宅建士にして世に送り出す。
ちょっとずつだけど、業界を変えていく。
・・・そのとおり。
おじさんが決めない社会。
それをみなさんに作ってもらいたい。
結果に裏打ちされたパワーで牛耳る快感を、ぜひ。
もちろんそんなことは不動産業界に限った話ではないんだろけど、でもオレの願いとしては、まずは手っ取り早く宅建士になって、業界で存分に暴れまわってほしい。
夢を託します。
ということで、今回は「合格率50%」をテーマにあれこれ記してみました。
最後までお付き合いくださいましてありがとうございます。