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せっかくの札幌行き。北海道新聞を買う。北方領土土地訴訟20年

先週末に開催されました札幌での登録実務講習。
そのお手伝い(というか「賑やかし」っすね)で東京組の我々も札幌入りしまして、で、こちらがメインといえばメインなんですけど『札幌の“街宅建”(←宅建的視点での街歩き)』を堪能してきました。

雪の札幌。美味しいものを食べたりして堪能。
朝昼兼用の「ブランチ」でハンバーグサンドとウィンナーコーヒー。
この直後、こんどは「ランチ」でスープカレー。
こんな日々ですが、気持ちはダイエット中です。

▼札幌開催の登録実務講習の様子はこちら


北海道新聞:令和6年2月24日(土)22面・第2社会面

堪能ついでに、新聞好きな血が騒ぎ、せっかくだからコンビニで北海道新聞を買いました。
すると、こんな記事が。

北海道新聞:令和6年2月24日(土)22面・第2社会面

四島財産権 議論置き去り 北方領土土地訴訟20年
自分の土地、登記変更できず

79年前の旧ソ連の進行により北方領土を追われた元島民の故桝潟喜一郎さんが、北方四島に残してきた土地の登記を巡って国と争った「北方領土土地登記訴訟(桝潟訴訟)」で、最高裁が原告の訴えを棄却して24日で20年になった。

北海道新聞:令和6年2月24日(土)22面・第2社会面

おー、北方領土かぁ〜!!

我々にしてみると「四島返還」という文字自体が新鮮。東京では見かけない。

なんの話かというと、平たくいえば「自分の土地なのに登記(住所の変更登記)ができないというのはどういうことなんだ」と国を訴えたわけです。

北方領土って日本の領土でしょ。
なのにどうして不動産登記法による登記ができないのよ!!

・・・たしかに。

最高裁での判断は「棄却」なんだけど、なんと一審の釧路地方裁判所は「我が国の領土内の土地は不動産登記法に基づく登記の対象となる」として〈原告の訴えを認めた〉と同記事。

やるなー釧路地裁。
とはいえ、これって、ある意味、すげー判断。

でもすかさず〈二審札幌高裁は「北方領土は日本の統治権が行使できない特殊な地域」で、登記官の実地調査ができないとした国の主張を認め、一審判決を取り消した〉とのこと。
そんで最高裁も〈上告を棄却、原告側の敗訴が確定した〉という流れ。
以来20年だそうです。

ちなみにですが、ここだけの話しに留めておいてほしいんだけど、〈所有者の住所変更は登記官の実地調査がなくても広く行われている〉らしいです。

いわゆる“大人の事情”とでもいうべき“判断”なのでありましょう。

現実問題として「北方領・露が観光地化」という記事あり

令和5年11月25日(土)の読売新聞の夕刊に『「ムネオハウスにバー」北方領 露が観光地化』という記事がありましてね。

案の定、だよね。
ロシアが実効支配。
記事を一部引用します。

北方領土の観光地化が加速している。実効支配するロシアが宿泊施設など次々と建設し、ウクライナ侵略後に距離を縮めている中国からの観光客も増えているという。
(中略)
日本の訪問団の宿泊先だった国後島の「友好の家」。日本政府が4億円超の資金を出し、1999年に完成させた。当時、衆院議員だった鈴木宗男参院議員の秘書による入札妨害事件の舞台となったことで「ムネオハウス」とも呼ばれた。この施設もウクライナ侵略後、ロシア公営企業による営利転用が進む。昨年末には、施設の一角に10台余りのスクリーンが並ぶスポーツバーがオープン。

令和5年11月25日(土)の読売新聞の夕刊(1面)

・・・と、為す術なしのニッポン。
さらにこんな発言も(笑)。
記事からの引用を続けます。

「友好の家」の営利転用については「人道支援や交流のために贈った施設であり、目的外使用だが、施設が放置されて将来的に使えなくなるよりは、維持費捻出のための転用も認めざるを得ない」

令和5年11月25日(土)の読売新聞の夕刊(1面)

・・・だそうです。

さらに〈来月上旬にはロシアの「オーロラ航空」が政府補助金を受け、ウラジオストクと択捉島を結ぶ旅客便を始める。択捉島ではホテルや温泉施設が続々と建設されている〉とのこと。

こんな動きに対し、ニッポンの外務省も黙ってはいられない。
そりゃそうだ。
よし、強く抗議しよう。
記事によると〈日本の立場としては受け入れられない〉とロシア側にやんわりと伝えてはいるそうです。

は、なんじゃそりゃ(笑)

北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)の敷地に立っている

ところで北方領土の登記簿ってあるのだろうか?

登記簿自体はある。
釧路地方法務局根室支局に保存されているそうです。

今回の札幌行きでたまたま手にした北海道新聞の記事に「北方領土の登記」の話があったわけなんだけど、じつはワタクシ、この件について前々から関心があって、ちょっと前になるけど、こちらの書籍も購入しております。

こちらの書籍によると、登記簿は釧路地方法務局根室支局に保存されているとのこと。

で、ワタクシはなにに関心があったかというと、敗戦後のドサクサに乗じて攻め込んできたソ連側に一方的に北方領土が占領されてしまったとき、誰がどうやってそこからから不動産登記簿を持ち出したのかという点。

通常、という言い方の是非はありますけど、敵国の軍隊に攻め込まれたら我が街は徹底的に破壊されるだろうし、役所関連の行政文書など「我が国が統治していた」という痕跡も跡形もなく焼却だ。
そして占領だ。

逆に言うと、占領するソ連にしてみれば、北方領土の不動産登記簿(日本の領土としての痕跡)なんてあってはならないわけで、そんなのが残っているなんてことになったら目も当てられない。

でも不動産登記簿はある。
しっかりと残っている。
本書によると、こんな感じ。

防火シャッターで厳重に囲まれた保管倉庫の中の「北方領土」として区切られた部分に国後郡泊村、紗那郡紗那村、蘂取郡蘂取村などと分類して、二百四十一冊のバインダーがずらりと勢揃いしていた。

「北方領土」上陸記

本書のP.78に「命がけの登記簿持ち出し」という章があるので、一部引用しつつ記します。

奇跡を起こしたヒーローは浜清さん。
国後島からの決死の登記簿運搬という偉業を成し遂げた。

書籍(P.78)から引用しますと〈敗戦後にソ連側が一方的に攻撃してきて占領したというのに、四島の役所の永久保存資料が無事にこうして今日まで保管されているのは奇跡としは思えない。あんのじょう、その陰にはひとりの役人の壮絶な決断とドラマがあった〉と。

彼は根室区裁判所(現・釧路地方法務局根室支局)に勤務していて“登記所さん”と呼ばれる島の名士だった。

そんな彼に、敗戦の年の8月28日、国後郵便局に勤務していた長男から「ソ連軍が択捉島の紗那村に上陸した」との一報が入る。
となると、国後島までやつらが押し寄せてくるのは時間の問題だ。

予想通り、9月2日に上陸してきたソ連軍の将校は「日本人はなにも心配することはない。従来通りの業務に従事せよ。この島に定住せよ」と告げる。
弱腰の北海道根室支庁からも「できるかぎり現地に踏み留まれ」と足止め命令。

・・・だが。

4年間も戦争してきたやつらの言葉なんて信じられるかっ!!
おそらく不動産登記簿は没収され焼却されるだろう。

だから、オレが守る。

まず、地下に隠し、そして密かに船に積み込み脱出だ。
律儀な彼は「不動産登記持ち出しの件」を根室区裁判所に電報をうち、判断を仰ぐ。

しかし状況が状況だけに、一向に回答がこない。
じりじりと時が過ぎ、四島占領を終えたソ連軍は武装解除した日本軍の小銃などの回収をはじめている。

・・・しかたがない。

彼は独断し、夜明けとともに船に乗り込み国後港を後にする。
かくして、北方領土の不動産登記簿は完全な形で、ソ連の監視をかいくぐり根室港を経由して”上陸”を果たしたのであった。

そんでね、ここから先が・・・。

決死の覚悟で、まさに虎の子の不動産登記簿を根室に運び込んだ、我らのヒーロー浜清さんなのだが、そんな彼に対し我が国は「許可なく書類を持ち出した」として謹慎処分を課したのであった。

は、なんじゃそりゃ(笑)

融通の効かない、バカくさい組織の理論っすか。
がっかりした彼は、ほどなく辞表を提出したそうです。

ということで今回は、不動産登記についてあれこれ思うことを記してみました。
最後までおつきあいくださいましてありがとうございます。

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