0.999...の世界
私達の住むこの宇宙、この世界というものはどのようなものだろう?
科学的なことを調べてみても
宗教を見てみても
イマイチよくわからない。
だからそういう本などを見ながら自分なりにも考えて出た答えをできるだけ簡単に表現したいと思った。ここまでくるのに30年以上かかった
自分の住んでいる世界のルールがわからない
これは恐怖でしかない
全てはエネルギーからできているという考え方
宇宙を含めた全ての世界は「なんらかのエネルギー」によってできている。まず、自分の手を見てみる
この自分の手が、どのような細胞からできているかを考えてみる
手があって皮膚があって
皮膚の細胞があってDNAがあって
さらにさらに1つを切り取って拡大1つを切り取って拡大していく
現在の科学ではもうこれ以上は分解することができないというところまで拡大する。それが多分「素粒子、量子」とか呼ばれる世界 電子とかね
それらがすっごく細かく何かを見た時の「エネルギー」と呼ばれるものなのだ全てはそこから作られており、それが元となっている。
宇宙の起源とは、最初は何もなかった。「絶対無」という1つのもの。完全な形、何もない本当にないっていう1つの形
その何もない無の状態でエネルギーがまったくないところから「何か」がキッカケとなりどういうわけかエネルギーが爆発的に拡散していった。これが世にいうビックバンなんだと思っている
それが私の言っている0.999...の世界
まるで、エラーコードのように絶対的な「無」という1からX(何か)がキッカケで0.999999999999999...という無数、無限とも思えるエネルギーが作られていく。これが、現在の世界だと私は思っている。
式にすると 「1=X+0.999...」
こんな感じの世界
完全なものが何か1つ欠けてしまった。宇宙は大きくなり続ける。
これは0.99...0.999...0.9999と増えても絶対に1にはならない
しかし、宇宙全体がエネルギーが隙間なく詰まっている。いや、イメージ的には無限のエネルギーの広がり=宇宙 という感じ
私の目の前にある何も見えない空間にもウイルス、空気や有害物質などがびっしり詰まっているんだ。
ありとあらゆるエネルギーはこの無の状態から始まった
目には見えない本当に小さな小さなエネルギー 世界はこれでできており、埋め尽くされている
だからどんどん細かくして細胞レベル量子レベルで小さく小さく見て考えて見ると、電信柱もビルも人間も他の動物も、全て同じだということがわかる。生命も物質も、全て元は同じエネルギーで作られている。
絶対に変えられないルール
この世界には絶対に変えることのできないルールがある。
それは「このエネルギーは常に変化していく」ということ
この世界は0.999...の世界
エネルギーは常に増えており、常に違うエネルギーとくっついたり離れたりしてまた何か違うエネルギーになっていくんだ。
これを私達は絶対に止めることはできない。
どんなに立派な家を建てても1万年も時間が建てば必ず壊れているし、人間だって100年もすれば大体死ぬ。死んだら灰になって骨になって煙になっていく。
エネルギーは常に変化していき、それは絶対に止めることはできない。
なくなったと思えるそのエネルギーは、なくなっているのではなく、違う何かに変化しただけ。と考えるべきだろう。
完全なプラスだけの世界でマイナスはない。満たされている世界だと思う。
それは海のようなイメージで目には見えてないけどそこら中にエネルギーがあり、時間を食べて常に変化するもの
そこで私は1つの気付きを得ることができた
私はなぜ生きるのか?
私は、寝て、起きて、ご飯を食べて、うんこして、また寝る
来る日も来る日も同じこと繰り返して、ただただ
「死ぬ」
これは全ての人間の共通の宿命だと思う
それではなぜ私は生きるのだろうか?なぜ私は生きているのだろうか?何か使命があるのだろうか?人の生きる意味とは?私は役割って?この世を生きる価値なんてあるのだろうか?
こんな考えが頭をよぎり続けて20年以上が過ぎ去った・・・
しかし、最近ふと気付いた
私達が「生まれた」という時点ですでに目標は達成されている
あなたの生きた意味はすでに保証されているようなもんだ。少なくとも生まれた時点で!「生きている」という時点でそれはもう達成されている。つまり、生きている状態にあるってだけで死んでいる状態よりも物凄く多くのエネルギーが毎日変換されているってことだ。これは宇宙がエネルギーをひたすら変化させるのをお仕事としていると考えるとわかりやすい
死んだ状態よりも生きている状態の方がエネルギーの変換量が多いのだ
つまり宇宙から見ると私達が死んでいる状態よりも生きている状態の方がエネルギー変換効率が良いということになるのではないだろうか?
だから生きているだけ、すでにこの時点でこの世界のルールに従って生きているということであり、それはもうすでに合格点にいるってこと
仮にそこから死んだとしても、違うエネルギーに変化していくんだからそれも良いだろう
では、生きてても死んでてもいいってことになるか?
この世界のルール上の1つの物の見方を見れば
「生命の生きる死ぬには価値はなく、エネルギーがただ時間と共に変化していくのみ」
と言うことになってしまうが、私は違うと思う。
明確に何が違うかというと
生きている状態ならば、私が何のエネルギーに変換していくかは自分である程度決めることができるということに気付いた!
私がどのような食べ物を食べてエネルギーを吸収しどのようにその貯めたエネルギーを放出していくのか?社会奉仕か?お金を稼げる仕事か?遊びか?なんだっていい。
どうせ、エネルギーは何をやっても変化していく。
じゃあ自分の大切なものや大事だと思っているもののために使うのはどうだろう?
つまり、私は人間だからこそ、人間のために役に立つことによって人間に有利なエネルギーに変換してそしてそれを次に繋いでいくってこと
そんな難しく考えなくていい。家族のために身近にいる人のために精一杯生きて何かすることは死ねばできなくなってしまう
どんなに良いことしても家族のためにと言ってみてもどうせ
人は最後 死ぬ
だからこそあなたの意志で生きている間にどのような方向のエネルギーをあなたが放っていくのかが大事であり、どのように死ねばあなたは満足か?を考える必要がある。
自殺というのは選択の放棄であり、確かにその方法でもこの世界のエネルギーは変化していき確かに何も変わらないが、自分からその権限を放棄してしまうのはとてももったいない行為であると思えるし、恐らくは「知識」が足りないのだろうと思う。
私の友人も借金を苦に10代という若さで自殺したが、今考えても大した金額ではなかったし選択肢はいくらも合った。彼にはそれが見えなかったと思う。
仕方のないことではあるけども、一人でも多くの人が
なぜ生きないとダメなのか?なぜ私は生きてるんだろう?と思い詰めて、何も学ばずに死を選ぶことのないように願っている
私が感じていることは、最近の人々というのはあまりにも「生命の生死」を見ていない。感じていないように思える。例えば自分で大切に豚を育て大きくしてそれを殺して解体して食べるという1連の当たり前の流れを実際に見て見るといい。それはもうむごくて非情な光景となるだろう。しかし、だからこそそこから得られるエネルギーによって私達は生きていることが実感できるものだ。
それは農業であっても、畜産であっても昆虫であってもいいと思う。このような人の生死について悩んだ時、もっと他の生命の生死をしっかりと目に刻んでおけば、好き勝手に生きているわけではなく、生きるべくして生かされているのがわかる。
あなたが何もしないようにがんばっても、あなた自身の細胞1つ1つはあなたの無意識中にきちんと命を繋ぐために働いていることがわかる。
呼吸をして、血液を循環させ、座っていれば足がしびれ、時間が経てば腹も減る。夜になれば眠くなる。
あなたが何もしなくてもこのようなことが体の内から聞こえてくる
飯を食え!寝ろ!うんこしろ!などなどあなたにどれほどの細胞があなたを生かすために動いているのであろうか?
言ってみれば、自分というこの意識は1国の大統領のようなもんなんだ
もし、日本の総理大臣が「この国なんてもうなくてもよくない?」なんて発言したらどうなるだろう?たちまち炎上してしまうことだろう。
だからこそ、あなたは1国の大統領として、毅然とした態度の振舞いをし、あなたの体内の細胞という国民の声に耳を傾けて誠実な意思決定を実行しなければならない。
生きる意味はあるか?なぜ死ぬのか?
答えは、「それが問題ではない」
生きているとあなたが良いと思えるエネルギーに変換していくことができる。そして、あなたの体が死んでもあなたは消えることがなく、どこかの世界の1部分のエネルギーとして活動していることだろう。
この世界のエネルギーは減ることはない
そして変わらないエネルギーもないんだ
だからこそ、来るべき変化「死」についてしっかりと考え、覚悟を決めて
「生」の状態のうちに何をするか?
あなたなりに考えてほしいと思っている。
そう、「考える」
このことこそ!むしろこのことだけ!これこそが
「人生の特権」だということがわかる日がくるだろう