GW(Goki・War)
春も深まりやうやう温かくなりけり。世間はゴールデンウィークを迎えたが業務委託の身に祝日の概念はない。僕は在宅仕事を黙々と行なっていた。
日も暮れて部屋も薄暗くなり、そろそろ電気を付けるかと思ったその時、
ゴソッ カリッ
キッチンの方から音が聞こえた。
それは家鳴りのような自然に起きた音ではなく、一人の人間がこっそり何かを行った際うっかり音を立ててしまったような、確かな存在感のある音だ。一瞬空き巣を疑うほどだった。
しかしこんな隠れるところのない家に人がいるわけがない。恐る恐るキッチンの方へ向かった。
音がしたのはシンクのあたり。そこには水が貼られた納豆パック(ヌルヌルを落としていた)、そこにオリーヴほどの大きさの黒い豆のようなものが付いている...?
よく見えないから電気を付けよう。パチン。
ゴ「あっやっべ、見つかっちった」
ゴ!!!
ゴ!!!!!
そこには見まごう事なきイカしたアイツがいた。
昔実家に現れた「モリチャバネ」の2倍くらいズングリしていてこわい。
名前すら見たくないという方のため、奴のことは以下「ゴッサム」と呼称する。
ゴッサムも急に明るくなったせいか「逃げろーい」とばかりに納豆パックから降りて移動を開始する。が、一手遅かったようだ。
こちらは光の速さでアースジェットを手に取っていた。スペシウムの如く繰り出される殺虫成分がゴッサムに吹きかけられる。シンクを登れないゴッサム。勝負は一瞬でカタが付いた。
いやビックリした。一人暮らしを始めて約一年、これまで姿を現さなかったゴッサムと初めて対面した。こんなに存在感があるとは思わなかった。
さてこれでこの戦いは終わったと思いたかったが、世の中にはこんなロクでもない言葉がありますね。
"1匹いたら30匹はいると思え"
そんな大袈裟なと言いたいところだが、奴らの繁殖力が本物であることはナショナルジオグラフィックなどでよく見ている。ゴッサムシティがどこかに建造されている可能性は十分にあるだろう。
あのゴッサムが最後の1匹だとは思えない...。こうなったら徹底的な殲滅戦だ。ここをゴッサム対策組織『G-force』の本拠地とする。
先程仕留めた亡骸をしげしげ観察したところ、完全な大人になる前のクロゴッサムの幼体であることが判った。
こいつが外部から侵入してきた個体ならまだいいが、この家で生まれ育った個体であれば話は変わる。マザーがどこかにいるということだ。
まずは我が家の物陰をひたすら観察。冷蔵庫と壁の隙間や洗濯機の下など、いかにもな場所をひたすらライトで照らしたりなどした。
結論としては奴らは見つからなかった。が、代わりにおおよそ自分から排出されたものと認めたくないほどの毛やら埃やらを見つめることとなった。エントロピーの収束点がこんなところに。ちゃんと掃除しよう...
残念ながら目視では奴らを確認できなかった。こうなったらアレを投入するしかない。フェイズ2だ。
ありがたいことに
僕は薬局へ走り最終兵器"アースレッドW"を購入した。部屋中を毒ガスで埋め尽くす極悪化学兵器である。
使い方を見る。なにっ、2時間は外にいないといけない!?
すでに時間は夜遅し。決行は翌日の日中に行うことにした。夜中、脅威を感じ取ったアサシンゴッサムに寝首をかかれないか不安だったがなんとか無事に起きれた。事前準備開始。
アースレッドの成分がベッドやら家電やらに付くとよろしくないのでカバーをかける必要がある。
本当は新聞紙が良いらしいのだが、うちは新聞をとっていない。家電にはゴミ袋をかけたが寝具にかけるものがもう無い。どうしようかと思ったがとりあえず捨てる予定のジャンプを敷き詰めることで事なきを得た。本当に得たのか分からんが、その後咳込んだりすることはなかったので良かったのだろう。
換気扇も切り、いよいよアースレッド起動。モシュッと音が鳴ったのを確認し急いで退散した。
2時間暇。せっかくなのでコナンの映画を観た。
服部がバイクを乗り回しキッドが空を飛びコナンがスケボーをかっとばす。じつにコナンだ。
もはや推理ものという枠を超え、物理法則を無視したアクションとお約束を楽しむ新たなジャンル「コナンもの」として楽しんでいる。さながら歌舞伎+インド映画だ。面白くないわけがない。
しかしそんな劇薬のような映画を観ている間も「帰った時廊下の真ん中にデッカい死体が落ちてたらどうしよう」という余計な思考がちょくちょく頭をよぎってしょうがない。俺たちの戦争はまだ終わっちゃいないんだよ。ゴッサム許すまじ。
コナンも終わり時間もちょうどいい。“答え合わせ"の時間だ。
恐る恐る扉を開ける。とりあえず死体は落ちてなさそうだ。ひたすら息を止めながら換気作業に移ったのだが、これが一番大変。肺活量がコマゴメピペットくらいしかないので息止めが続かない。たまに呼吸をすると刺激臭ですぐさま咳込んでしまい全然息ができない。
ゴッサムを全滅させるはずが自分が死んじゃいましたー、なんて死に様が地元の新聞に載ったりしたらそれはそれでめちゃくちゃ面白いのだが親に申し訳ないのでなんとか耐えた。次から充満タイプは最終手段にしよう。
ではでは全滅したであろう虫の死骸を回収するパートに入ろうかね。僕は死骸を観察するのは好きなので(反撃されないから)、ホウキとチリトリで丁寧に隙間という隙間のゴミを回収した。
しかし。
一匹も死骸が見つからなかった。ゴッサムどころか蜘蛛すら見つからない。そんなはずはない、と隙間という隙間を照らしては掃いたが、あるのは己の抜け毛と埃ばかり。どうやらゴッサムシティは存在しなかったらしい。疑ってごめんよ。
あまり面白くない結果だがとりあえず安心した。この事件はこれにて終了としよう。
そしてゴッサムは害虫でもないのになぜ嫌われるのか、という疑問の答えが今回判ったような気がする。
ヤツらは人間に近いのだ。ヒトの家に住み、ヒトの飯を狙い、ヒトに見つからないよう行動する知恵を持つ。
生き物にはそれぞれ独自の知恵があるが、ゴッサムのそれはヒトに似通っている気がする。納豆パックに蓄えられた水を飲むゴッサムの姿を見て、ふとそう思ってしまった。
一歩間違えばこの空間の占有権を取って代わられてしまうのではないか、という恐怖心が僕がゴッサムに抱いた殺意の正体だと思う。なんだか深い結論にダラダラ至ったが「同族嫌悪」の4文字で済むような気がががが。
縄張り意識の哲学と「日々の掃除を心がけよう」という当然すぎる教訓が身についたゴールデンウィークだった。