なぜゴジラ−1.0にハマれなかったのかの海馬整理
「モンスターハンターワールド アイスボーン」の最強モンスター「ミラボレアス」と戦いまくってたら2ヶ月ブログを書いていなかった。
既にプレイされた方は「3年も前に実装されたモンスターと何を今更戦っているんだ」と思われるかもしれないが、実際3年前も戦ってはいたのだ。
ただ強すぎて強すぎて「これはちょっと一回冷静になって戦略をじっと練ろう」とコントローラーを置いてたらぽっくり3年くらい経ってしまったのである。いや見事に忘れていた。なんなら次作の「モンハンライズ」をがっつり楽しんでいたりした。
そして今年、夏も終わって涼しくなってきた秋ごろ、ある日突然「そういえばミラボレアス倒してなかったな...」という思いが隆起した。明日を気持ちよく生きるため、過去の心残りとはケリをつけねばならぬ。
あまりの難しさにPS4コントローラーをぶん投げたかつての自分よ、「ライズ」のあまりの快適さに「アイスボーン」の存在を忘れようとしていた自分よ、案ずるな。2023年の僕が君たちの仇を取るぞ。
ということでミラボレアス討伐のための試行錯誤の日々を過ごし、先日見事に討伐を果たすことができたのである。いやあよかったよかった。実にスッキリした。
と、ここまで書いて思いだした。「ゴジラ−1.0」の感想を整理しておきたい。
もしかするとミラボレアスを急に倒したくなったのも「ゴジラ」を見たからかもしれない。そうだそうだ、そうに違いない。似てるしな。話を無理矢理つなげているとか全然そういうことではない。
こんな流れで言うのも申し訳ないが僕は「−1.0」(大変書きづらいので以下「ゴジマイ」)はあまり刺さらなかった。
かねてよりデカい生き物がギャースカ暴れ回る映画、いわゆるモンスターパニック物や怪獣映画は大好きでゴジラシリーズも数多く見ている。
今回の「ゴジマイ」も凄まじい映像技術と大いなる暴れっぷりを披露してくれたのだがなんだか心に残らない。何故だろうか。
今回は「己が何をおもしろ基準にしてゴジマイを見、そしてハマれなかったのか」を考えていきたいと思う。自分用の整理記事なのでおそらく読みやすさは度外視するぜ。
あと例によってネタバレ祭りなのでまだ映画を見てない人は映画館へGOだ。
「ツッコミどころ」の話
「ツッコミどころ」という言葉は非常にむつかしい。
人によって基準はまちまちで、ある人の許容範囲がある人のNGゾーンに入っていることもある。
さらにその「ツッコミどころ」が「味がある」として評価点に入ることもあるのだ。
僕の中では「シリアス・現実的な作風であれば批判点、コミカル・仮想的な作風であれば評価点」という例が多い。下のグラフのような感じである。
高評価になる例は極めて稀だが、パッと思いついたのは「暴太郎戦士ドンブラザーズ」。
なんであんな支離滅裂と言ってもいい作風だったのに毎週楽しみにできていたのだろうか。
かなぐり捨てられた意味深要素や不条理すぎる世界観、強引に捩じ込まれるロボ戦など本来批判されそうな点を逆に楽しんでいる自分がいた。いまだによく分からない不思議な作品だ。上記のグラフではもちろん左下に入る。
ゴジマイは軍事体制の描写やゴジラの倒し方から「現実的かつシリアス」な右上の枠に入る作品であった。そしてツッコミどころの多い作品ではあったので感情の乖離が激しかったのだろう。
ツッコミどころの例を一つ一つあげると精神衛生上よろしくないので詳細は省くが、決定的な転換点としてワダツミ作戦の序盤。
「おい、あそこを見ろ!」→「もうあんなに近くに...!?」(めちゃめちゃ近くに迫るゴジラの背びれ)のシーンで、
イッテQの「ダイスケ、あれを見てみろ!」→「エーーーッ!?」の流れを彷彿としてしまったあたりから心の乖離が決定的になってしまったことはハッキリと言える。も っ と 早 く 気 づ け。
さて先ほどグラフでも示した基準について、「怪獣が出るから仮想的」という基準の人もいると思うが、ゴジラくらいの生き物なら存在していても不思議ではないのでそこまで決定的な要素にはなり得ない。ワープとかやり始めたら「仮想的」に入るかもしれない。
ゴジマイのジャンル
ゴジラシリーズはそれはそれはもう数多くのシリーズが存在しており、製作陣の試行錯誤っぷりにより多様なジャンルの作品が作られてきた。
僕の中でのゴジラシリーズは「ゴジラが脅威となるモンスターパニック路線」「ゴジラや他の怪獣が敵(ゴジラ)と戦い結果的に人類が助かるヒーロー路線」「シンギュラポイント」とざっくり分けられている。
「モンスターパニック」はゴジラが人類の脅威として現れ、その脅威に対して人類が如何に対処するかを描いた作品である。初代ゴジラやシンゴジラ、アニゴジ3部作の1作目「GODZILLA 怪獣惑星」などが該当する。
「ヒーロー」は人類の脅威となる怪獣や宇宙人が現れ、それをゴジラが倒してザブザブ海に帰っていくような作品だ。ハリウッドの「キングオブモンスターズ」や「ゴジラvs◯◯」系に多い。オールスター大乱闘映画「ファイナルウォーズ」もこちらに該当させている。
「シンギュラポイント」はシンギュラポイントである。他に割り当てようがない。というかジャンルを割り当てられるほど理解できているかどうかも怪しいところがある。
「モンスターパニック」「ヒーロー」はそれぞれ期待する内容は異なるため、評価基準も大いに変わるだろう。
「ゴジマイ」はまごうことなき「モンスターパニック」な内容だったのでそちらの評価基準で見ることにした。
モンスターパニックに求めるもの
モンスターパニック作品を見るときに僕は何を楽しみにしているかを考えた。その結果
「モンスターの発生理由」
「特異な生態」
「モンスターに対し人類がどう対処するか」
のどれかが面白いとグッとハマる印象があると考えられた。ここが面白ければ他がどうあれ「なんかいいもの見たなあ」という印象が残っている。気がする。
これらの要素がある好きな作品としては「シンゴジラ」や「トレマーズ」や「アタックオブザキラートマト」が挙げられる。
ここでマイゴジを思い返してみると
発生理由:大戸島の怪物が水爆実験に巻き込まれたことで巨大化したように捉えられるが、そこに尺を取られてはいなかった。
特異な生態:熱線吐いて再生する時点で特異といえるが、最近のバリエーション豊かな設定のゴジラと比べるとあまり新鮮味はない(シリーズの視聴経験が邪魔するパターン)。想定の外側から殴られる感覚がなかったといえる。
でも背びれのガコンガコンや深海魚が浮かんでくる演出は面白かった。
※生態とはやや異なるが最初の大戸島でライトに照らされる初登場シーン、怖すぎて凄く好きだった。ある程度の大きさの生物だと「殺される」感が凄い。銀座の時より怖かったかも。
人類がどう対処するか:深海に沈めて再度浮上させる案は「今できる苦肉の策」として面白かったが、あんまりゴジラの生態に対して向き合った策ではないので「なるほど!」とはなりづらかった。敷島(神木隆之介)の「それで本当に殺せるんですか」には大変同意だが戦闘機で内側から爆破する案も「それで本当に殺せるんですか」と思ってしまう。海上戦で一度頭爆発させているのでワダツミ作戦より微妙な根拠ではないか?特攻にこだわ
いけない、ツッコミどころをあげ続けても心が暗黒面に落ちていくだけなのでここで止めておく。
すなわち「モンスターパニック映画として楽しもうとしたが肝心の好きな要素の部分が足りていなかった」ということになる。本作に対する消化不良感の多くはここにあるだろう。
人間ドラマ
はい出た出た。「怪獣ドラマに人間ドラマはいらない」っていうやつだ。そんなやつはウルトラファイトみたいな総集編でも見てればいいんだ。
そんな風に思う前に俺の話を聞けい。2分だけでもいい。
まず前提として僕は「モンスターパニック作品に人間ドラマは無い方が好き」という価値観は持っている。
いや違うのだ。他の人がどうかは知らんが、僕のいう「怪獣(モンスター)作品に人間ドラマはいらない」という論は「怪獣作品に人間はいらない」という意味ではないのだ。
そもそも人間がいないと共感の持ち場がなくなって困るではないか。誰がゴジラを「デカい」と認識するのか。
話が逸れた。
「人間ドラマは無い方が好き」とはすなわち、
(モンスターをしっかり見据え、向き合い、他の要素には気を取られずに真っ向から挑んで撃破してほしいからその他の要素で感情を浮き沈みさせる)人間ドラマはないほうが好きという意味が正しいのである。
ゴジマイの登場人物を見ていると敷島を初め、皆ゴジラを見ているというより「先の戦争」や「罪の意識」をゴジラに重ねている気がしてならない。脅威に立ち向かっているにはいるのだが、僕が見ていて感じる脅威と少し別の方向を見ており感情移入が難しかったのである。
もっとゴジラという自然の脅威そのものを見据えるタイプの人物がいて欲しかった。なんだかゴジラが人間の成長を促すための舞台装置に見えてしまったのもそれが原因だろう。
「ゴジラに立ち向かう際に、ゴジラとは直接関係のない心の問題(人間ドラマ)を持ち込んでいた」のがノイズであり不服だったのではないだろうか。
モンスターパニックと人間ドラマが上手いこと納得する形で結びつく作品は何があるだろう。
初代ゴジラ、あと映画ではないがウルトラマンのテレビシリーズなどは結構あるかもしれない。
セブンの「円盤が来た!」やティガの「ゼルダポイントの攻防」とか好きなやつ。
あと小説の「荒神」も意外性があって好きだった。
まとめ
好きな作品をただ並べ始めるようになってきたのでそろそろ潮時である。
なんとなく要素が揃ってきたのでまとめよう。
・モンスターパニックものとして見ていたら、
・ゴジラに対して期待していた要素が薄く登場人物との共感も薄れていく。
・ワダツミ作戦あたりからツッコミどころが目立ってドンドン心が離れてしまい、
・最終的に「もっとゴジラのこと見てあげてよ!」という不満が残った。
という感じだろうか。わぁまとめるとめちゃくちゃシンプル。これが「ゴジラ−1.0」になんだかハマれなかった一部始終です。(2023年時点)
色々考えていたがなんとか整理がついた気がする。書くことは大事だ。
批判点が目立ってしまったがこの映画の功績は大きい。途中にも書いたが、ゴジラの恐怖描写や迫力は凄まじいものがあった。
そしてこんなにこだわりが込められた映像作品が日本や海外で評価されるのは他人事ながら嬉しい。
これをきっかけにB級と呼ばれがちなモンスターパニック映画ももっと邦画で増えてくれたらいいなあ。なあガメラ※、君も続いてほしいぞガメラ。
※ガメラはヒーロージャンル
感想というものは個人の感性と人生経験から形作られるものであり、作品の内容が記憶と異なっていない限り自分だけのものとして絶対的に尊重すべき存在だと思っている。
たとえ人と違った感想であってもその時々で抱いた感情は否定せず、自分だけの心の足跡として大切にしていきたい。ときどきふと思い出して羞恥心でうわ〜っと転がりまわりたくなる時があっても。