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大阪 BAY BLUES
私の通った中学は大阪市内の公立学校。
マンモス校なんて言われる時代で1学年クラスは10以上ありました。
おおよそ風紀なんて何も存在しない、ただの無法地帯。
教室のガラスは全て割られ、廊下の壁には落書きだらけ。
授業のほとんどは話し声でかき消され、授業中に教室から
生徒が何人か消えることもしばしば。
・・・なんて改めて思い出すと、よくあんな世界にいたな、
という感じですが不思議とこの中学時代は自分の人生の中でもかなり楽しい時期に属します。
今考えると「教師」の存在はやはり大きい。
授業中に騒いでいても放っておくが、何か悪いこと(人のものを盗むとか)が見つかると普通に殴るし、何よりもとてつもない迫力があった。
本気で怒らせると絶対に敵わない、ボコボコにされるという印象。
だから無法地帯の中でも踏み越えない線があるというか、
根底の「仲間意識」は強かった気がします。
ニュースで見るような「1人をリンチする」「1人から金を巻き上げる」
「全員で無視する」等の一線を越えた陰湿いじめは記憶にありません。
そんな中、私は「まじめ・大人しいグループ」に所属していました。
そして当然クラスの中には「大阪ヤンキーグループ」も存在します。
さて、この2つは交わることがあるのか。
なぜか交流がありました。
とはいえ普段から一緒に遊ぶことはさすがにありません。
でもたまーに、みんな一緒に「海」を見に行くのです。
海と言っても所詮は大阪湾。景色も何もありません。
「南港」と言われる場所です。
当時からフェリーターミナルはありましたが、もっともっと何もない、
「ただコンクリートに座って、汚い漂うだけの海面」を眺めているだけの場所。
まじめグループとヤンキーグループはちょっと距離を置いて
体育座りで海を見ながら雑談していました。
本当にそれだけ。
・・・あれは何だったんだろう。
それから何十年。大阪湾の発展。
海遊館、USJ、コスモタワー、そして万博。
(正確には南港でない場所も入ってますが)
私の知っている「暗くて何にもない南港」は消え失せました。
万博には行くかもしれませんが、自分の思い出とは切り離して
「別の世界」に行くつもりになりそうです。
さて、この記事のタイトルは上田正樹さんの歌う「悲しい色やね」からです。
この歌は私と大阪の仲間の中では誰がなんと言おうとも「南港の歌」なのです。この暗さというのがもう・・・
思うところあって桑田佳祐版を上げておきます。
「湘南サウンド」の桑田さん、南港を歌わせても上手い!