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いつも言い訳しながら生きる
「言い訳」というものは何歳頃から始まっているのか。
全く記憶にありません。
子供の頃は文字通り「子供の言い訳」をしていました。
「勉強ちゃんとやりなさい」
「なんで?●●君なんか、授業中に寝てるのに」
「宿題やってないの?」
「昨日はとてもしんどくて寝てしまった」
・・・確かにやりました。こんな感じ。
いや・・でもいろいろ思い出していると
社会に出ても不思議とこの手の言い訳(「あいつだってさぼってるのに何で俺だけ言われる」)を聞いた気がする。
・・・いやいや、そういう自分も会社で遅刻した時
「遅れそうなので早く行こうとタクシー乗ったら
踏切で足止め食らいました」なんて言ったことある。
(だったら何でもっと早く起きない?)
ろくでもないですね。
さて、今現在はどうでしょうか。
「子供の言い訳」は無くなった(と思いたいです)
でも相変わらず「言い訳だらけ」の人生です。
なぜ現在でも、いや現在だからこそ言い訳が必要なのか、
「言い訳が無いと生きていけない」くらいに思っているのか。
言ってしまえば「人生大変だから」でしょうか。
人生真っすぐに、迷いなく突き進められればいいんだけど。
どうしても障害は立ちふさがるし、周囲の人間の意向も関係して
自分を曲げなければいけないこともある。
では、真っすぐに歩けないとしたら
・意図的遠回り
・誰にも見られないような近道
・場合によっては逆行
・歩くだけでなく2,3歩おきにスキップ
などなど、様々な戦略が必要。
そこには「言い訳」は必要。
今でも存在する「真っすぐに進もうとする、自分の計画通りにしようとする自分」に対して
「うん、真っすぐ行ければかっこいいんだけどね。でも無理せずこっちの道もあるんだよ。最近疲れてるでしょ?こっちでもいいんだよ。時間も無いしね。こっちでも別にずるくはないし」
なんとか前進させるため言い訳を利用する。
極めて「確信犯的」です。
(この言い方も言い訳っぽいですが(笑))
ストレスとか、メンタルヘルスを考えても
精神的なものが病気など体調に直結する年齢になってきたこともありますね。無理矢理でも自分を誤魔化さなければいけない。
・・・・この記事を書きながら思いましたが、
noteでの「言い訳」は結構多いですね?
たとえば、最初はダッシュボードばかり気にして
「スキ数とビュー数」が伸びないのはなんでだ?と思いましたが
「まあまだ始めて間もないし」と考え、
「スキ数は記事の内容とは関連性がない」なんて記事を必死に読んでいました。
何とか自分を納得させる。
あと、自分の意見の補足として「他からの引用」を使いますが、
この引用も(自分が記事を書く)言い訳になっている時があります。
・・・まあ言い訳だらけで生きています。
でも何事も続けるのが肝心です。
前に進んでいくのです。