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「社会の歯車」ではなく「社会の一員」で
前々回の記事で
「映画監督を目指してコンビニでバイトしていた女性の
その後」を書きました。
この記事では「女性のその後」に焦点を当てましたが、
元々は下記の部分に対して考察を書こうと思っていました。
そもそもなぜ映画業界に入ろうと思ったのか?から質問が始まったのですが、ひとつの理由として「社会の歯車になりたくない」とのこと。
とにかく、人に使われるのが嫌だ。
会社員なんかになったら、会社のいいようにこき使われる。
上司にペコペコして、得意先にペコペコして、お世辞ばかり。
何ひとつ自分の人生を出せない。自由がない。
これはある雑誌に載ったインタビューで、
彼女は社会の歯車(主にサラリーマンに対して)の反発を
延々と語っていました。
そこを読んだ疑問。
「コンビニのバイトも歯車だよな?」とまず思いました。
普通に仕事して、給料をもらう。
上司や客にペコペコすることもあるはず。
サラリーマンではないが。
つまり彼女の「歯車」は主に「サラリーマン」に対しての、
極めて表面的なイメージでしょう。結局コンビニも一緒なのに。
でもそもそも、「歯車」とは何でしょう?
大小さまざまな歯車がお互いにかみ合い、連携し合って大きな機械を動かしていく。どの歯車一つを失ってもその機械は動くことはできない。
世の中を生きていく以上、どんな生き方をしても「歯車」ではないでしょうか。
国民として。社会人として。会社員として。
お互い知らず知らず連携し合って世の中を生きていく。
テレビタレントだって、会社の社長だって、国会議員だって
歯車なわけです。
では「歯車ではない人」はどんな人でしょうか?
山奥に住み、自給自足生活の生活をしている人?
自身で食料を生産して。
病気になったらどうするか。
歳を取って介護が必要になったら?全部自分で賄いきれるか。
今の時代だと「どこの事務所にも所属しないyoutuber」なんかも
「歯車ではない人」になりそうですね。
でも大変です。
プランニングして、自分で動画を撮って、編集して、プロモーションして。
定期的な収入を得るためには、それを半永久的に続けなければいけない。
(とてつもない才能を持った一部の人は別にして)
おそらく寝る暇もない。サラリーマン以上に仕事量は多いでしょう。
つまり、「歯車」にならない生き方とは
「他の歯車の人?がやってくれることを全部自分がやらなくてはならない状態」と言えるのではないかと思います。とてつもないジレンマです。
だからもう、「歯車になりたくない」はあまり意味のない言葉に思います。
「歯車」ではなく「社会の一員」とか「社会の構成員」と言ってしまえば
マイナスイメージも無いでしょう。
再度言いますが、みんなお互いつながって連携して生きています。
「歯車」と言うなら、この世に生きている以上「歯車」です。
みんな「歯車」だからこの世の中成り立っています。