だからそれはクリープハイプ
捻くれているんだって。
捻くれているらしい。
「クリープハイプのお客さんは捻くれてる」
他人事のように書いたのは
私がこの言葉の意味を直接受け取ることができなかったからだろう。
もしかすると捻くれるという意味のそのものが自分の想像するものとは違うのかもしれない、
そう思って辞書を引いてみた。
ひねく・れる【捻くれる】
性質・考え方・状態が素直でなくなる。ねじける。
なるほど。
じゃあ素直ってなんだろう。
す‐なお【素直】
①飾り気なくありのままなこと。曲がったり癖があったりしないさま。質朴。淳朴。心の正しいこと。正直。
②おだやかで人にさからわないこと。従順。柔和。
難しい。全然分かんない。
従順で穏やかが正直だとは思えない。
そもそも心が正しいってなんだ。
頭が痛い。
でも分かったような気がするのは''真実''の部分。
だとすれば''それ''は、
''真実''は、
総じて捻れている。
そんなことを、このバンドを通して思う。
この自分の考えを話すと、母はあなたは難しいと言った。これほど近い存在にさえ伝えることができない。この時間がもどかしい。
でも大きい声じゃ言えないけれど、捻くれているや変わっているを聞く度、まだ辿り着いてない人がいることに安心する。
いつからか、変わっている・捻くれているはお守りになっている。
変わってると言ってくれる人がいてくれて良かった。
もしかしたらこの辺りなのかもしれない。
捻くれていると言われるのは。
留まる場所はずっと前から探していた。
探してはいたけれど、欲しかったのはお飾りの居場所なんかじゃない。
拠り所という場所。
ただ流離い、彷徨い、''それ''に辿り着いた。
今だから言える。
''それ''の正体は馬鹿正直の成れの果てでしかなかった。
捻って捻ってもう捻れないくらいまで捻ったら、それは硬く真っ直ぐな一本のロープになった。
だから''真実''は今日も捻くれている。
いつか捻りすぎて真っ直ぐになった真実が耐え切れなくなって、千切れてしまわないか歪んでしまわないか心配になってしまうほど。
私にとってクリープハイプは馬鹿正直。
3月半ば、クリープハイプ公式からクリープハイプとの思い出を語る企画「だからそれはクリープハイプ」の募集が始まった。
出会いも印象に残っているライブも楽曲にまつわるエピソードなんて山ほどある。初めて新曲を聞く前の緊張や興奮、ライブで感じた事、フェスで見たクリープハイプ、それぞれの曲と紐ずく景色や感情、他にもたくさん。その一つ一つが秀でた話ではないかもしれないけれど、一つも忘れたくない大切な思い出。
でも拙い言葉じゃ溢れる想いは到底表現できない。
もしこれらを並べて話してみたとしても、クリープハイプと私の繋がりを伝えきれるほどの言葉を持ち合わせていない。それがとても悔しい。
ただせっかくのこの機会、無駄にはしたくないのだ。
クリープハイプに思いを伝えられる機会二度とないかもしれないのだから、何か言わないと。
だから考えた。
今から自分のことを書こうと思う。
見つけたこと、好きになったことが偶然なのか必然なのか。なぜ聴くのか。CDを買い、ライブに行くのか。
#だからそれはクリープハイプ
これを自分の話を通して伝えたい。
私の人生には何もおこらない。
幼い頃に沢山読んだ絵本の話はいつしか憧れでさえなくなった。王子様は待てど暮らせど私を訪ねてこない。何かになれると信じて止まなかった私はとうの昔に死んでしまった。
夢みたいなことは夢でしかなくて、諦めと安堵の溜息を吐く朝。慣れてしまった生活。
思い入れも愛もない仕事で生きていくための給料を稼ぐ。この場においては何が嫌だとかそういった考えることをなるだけしないようにしている。この分からなくなった頭でどうでもいい仕事に行く。
周りは結婚ラッシュだというのにもう3年も彼氏がいない。欲しいかといえば欲しいし、いらないといえばいらない。それをいちいち説明するのも億劫になって、人に聞かれた時は欲しいとだけ答えている。近況報告の集まりはいつからだったか、つまらないから行かなくなった。
学生の頃の友達からくる久々の連絡はほとんどが結婚報告。「元気ー?実は結婚することになったんだ!」その実はってなんの実はなの?
真っ先に浮かぶのは枕言葉に揚げ足取るような思考で今日も落ち込む。
結婚式は会費3万円の同窓会に行くようなものだと思っている。別に行かなくてもいいのだけど、同じ部活の他の子の結婚式に行ったから今回行かないのもおかしいという理由で参加する。相手だってこの子だけ招待状送らないのはおかしいからという理由で招待してきてるだろう。この状態が変だと思いながらも行く。ダサいサプライズ動画の企画も何か言ってしまえば任されかねないのでリーダー気質の人の言う通りにやる。
おめでたい儀式に最悪の心持ちで友達という役を全うする。よくあるブルーベージュのドレスはこんな私に似合っている。そんなことに気づいてしまうからもう招待しないでほしい。行ったら行ったで、盛り上がらない話を必死に取り繕ってしまう事にも懲り懲りしている。とり立てて仲良いわけでもない人を結婚式に呼ぶ側にも、行く側にもなんだか腹が立ってくるけど、そう思う自分が尚更最低最悪。自分に一番腹が立つ。どうでもいい仕事に行くより疲れる。
つい先日、学生時代に一番仲の良かった友達からの二人目を妊娠したという連絡がきた。おめでとうおめでとうって心からのおめでとうだった。「本当におめでとう!体調に気をつけて!」と返した。
凛としていた。
ただそれは外側の話。
私の中の方は直ぐにまた変な感じになった。
つまらない仕事をして結婚相手もいない自分。もうずっと前から比べられるほどの距離にもいないはずなのに、また遠くにいってしまった。言葉にするとそんな感じだろう。実際はもっと変な感じ。
なぜだか親に申し訳ない気持ちにもなった。
この申し訳ない気持ちもきっと親になったら分からなくなる。
この感情があろうと、誰かと結婚したいとか子供が欲しいという気持ちにならないのはどこかおかしいのだろうか。そこに嘘も見栄もない。誰も信じてくれないけれど。誰も信じてくれないからまたしょうもない嘘をつかなきゃいけない。人に会うのが億劫。
連絡ついでに来週会おうという流れになり、待ち合わせ場所に行くと、彼女の家族が勢揃いしていた。実家の犬までいた。登場人物はみんなとにかく良い人だった。
私は、私は。間違い。場違い?
幸せなんだろうと思った。違う国の話に思った。
全部思っただけ。映画やドラマに持つ感想と大差ない。
その実家の犬を抱いている時だけ安心できた。
てくてく歩いてきて私の膝の上にちょこんと座り込んだダックスフンドとトイプードルのミックスだというその犬にだけは全部見透かされているような気もした。
数日間引きずった。
夜になると泣いているのが分かった。
涙にも言葉にもならなかったけどワタシは泣いていた。
薄っぺらい画が綺麗なだけの映画を見続けた。
なんとか気を紛らわせようとした。
ついこの間まで一緒に働いてた職場の先輩は来月から自宅を改装してお店を開くらしい。3人の子育てを終えてなおやりたいことを実現させた。すごいことだし、何より嬉しい。ラインに書いてあった、私に言いたかったんだ!というメッセージはとくに嬉しかった。嬉しくて、しんどくなった。私は何も変わらず老いているだけ。今のところ。
今日も自分だけ取り残されてしまったみたい。
明日はどうだろう。
比べる必要のないものにまで手を広げて得る劣等感。この劣等感をマイルに交換できたら私は世界各国、行き尽くしている。きっともう行きたいとこなんてないのだろう。でも実際はこの手広さはただの無駄遣いでどこにも連れて行ってくれない。当たり前か。どこにも行けない。行くところもない。
何かしないと変わらない。
何かしたって変わらないのに。
何かやらないと。
置いてかれちゃう。
疲れる。
終わりが見えない。
それでも少しずつ生き方のコツみたいなものも身に付けてきた。
落ち込まないためやイライラしないため。これは結構便利で期待しないことや人に興味を向けないこと、それは自分とはかけ離れた考えを持つこと。
大事MANブラザーズバンドがどこからともなく降りてきてそれが一番大事と歌っているけれど大事なことって一体。こうやって多少おちゃらけてないと話せないのが恥ずかしい。大事MANブラザーズバンドは今全然大事じゃない。こんな情けない感情全てが恥ずかしい。
仕方がないと言い聞かせながら楽になったものの、これは私じゃない。
私じゃないのか私じゃないと思いたいのかもわからないから複雑。
これでまたいつもの変な感じになるのだけど、死にたいほどに落ちていかずに済むのならそれで良い気もする。命にはかえられない。それで良いんだ。
良いはずなのに。
考えることを切り離して生きやすい自分は退屈。退屈なくらいならやめてしまいたい。元も子もない。そんなことを考えて今日もまた夜になった。
どうにもこうにも何かを成し遂げた人ばかり目につく。幸せとか夢とか希望とか、言葉にすると薄っぺらいのに。
人生が華やかで幸せに溢れているという愛の刷り込みは今では絶望になって私の首を締めている。
現実がこっちを見て離さない。必死に目を瞑ったけと、瞼の裏ではそれよりもっとじっと目が合って逃げ場なんてない。
もうずっと前から醒めてしまった夢の中にいる気がする。
生活にもミュート機能がほしい。
早く夢から覚めたい。
なんでもいいから、今はどうでもいい底辺に触れたい。自分より恥ずかしいものを見ていたい。
嫌だ。嫌な感情。失望。。嫌んなっちゃう。
これを消し去ってぶっとばしてしまいたい。
ザラザラな心をツルツルに戻して。おねがい。
だれかお願い。
誰にも聞こえない声で叫んでる。
でも体が連動されない。
でも
声にしてくれる人を知っている。
クリープハイプを聴く。
息がしやすくなる瞬間。
歌詞を読む。
口ずさむ。
もう一度読む。
口から吸う。鼻から吐く。
呼吸が浅くとも吸って吐いた。
生かされる。
家についても付けたままのイヤホン。
まだ外したくない。
ここはクリープハイプと私の世界。
最近頭から離れない曲がある。
カップリングという曲。
私の人生ってカップリングみたい。
取るに足らない何か。終盤の歌詞にならない叫び声が自分の中身とリンクした。
どうってことない、
本当の事が嘘みたいに光る瞬間。
どこかで諦めながらも、どこかでまだ希望を捨てきれずにいるらしい。
隠れた感情をまた曲に気付かされる。
これも本当のことが嘘みたいに光る瞬間。
答え合わせは狂気にも救いにもなる。
この程度の矛盾とはもう長い付き合い。
これは私の曲だ。
今私は掬ってもらった手の上にいる。
いつ落ちてしまうかも分からないその上に気付けばもう何年もいる。
ライブを見に行く心持ちは、行き始めた頃の特別よりもっと軽くなった。
もちろんライブでしか満たされない高揚感はあって、これは何にも変えられない。
でも辛いことから逃れるようにライブに行くわけじゃない。現実逃避がしたいわけでもない。
日々生きてるだけで直面する悲しいことや難しいこと。喜びや怒りも。
これらの日々の中にライブがあって、その時持ち合わせた感情で行く。
身体中に想いと痛みと願いを染み込ませる。言葉にできないもの、目に見えないものも全部。
その場所を通った体でまた次の日から日常を送る。
至って普通。
クリープハイプが染み込んだ普通に生かされている。
ただそこにあって当たり前に思えるほどの
あゝ好きだ。にこれからも甘えていたい。
こんなふうに思わせてくれる
今のクリープハイプと、
これまでのクリープハイプが愛しい。
いつだって添えておきたい、
この至って普通の特別。
普通や当たり前いう言葉を使っているけど、見せない部分の葛藤や努力にも感謝と敬意を込めて。
だからこそ普通にライブに行くよ、当たり前に必要なんだ、と声に出して言っておきたい。
伝えられるなら伝えたい。
そばに居てくれてありがとう。音楽をくれてありがとう。
クリープハイプを見つけた私もすごい。
そう思ったら満たされない心が少し軽くなる。
クリープハイプがクリープハイプである限り、
私が私でいる限りこの関係は続くのだろう。
これからもどうか見えるところにいて下さい。
今日も行きたくないけど仕事に行く。
だからそれは真実を聴きながら。
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