自己肯定感が高い人が持っている、その”正体”とは何かを知っていますか?
「自己肯定感」とは読んで字のごとく、自分を肯定する感情です。
ありのままの自分を認め、ポジティブに捉えられる人を「自己肯定感が高い」と表現します。
自己肯定感なんて専門用語があったとしても、日常の生活で「ここ最近どうも、自己肯定感が低い」とか、「あの人は自己肯定感が高いよね」なんて使うことは、まずないでしょう。
結局のところ、自己肯定感という感情が高い状態か、それとも低い状態なのかを日常的に置き換えたとき、たとえば仕事でミスをしてしまって落ち込んでいるとき、ただ感情に流されて落ち込み倒すのではなくて、仕事でミスをしたという事実に対して受け入れ認めることができるかどうか。
「どうせ自分はできないから」と、自分を否定的にとらえるのではなくて、「今の自分はできそうにない」、ただそれだけのこと。
事実を受け入れ認めるだけの冷静さがあるかどうかがいわゆる自己肯定感の高さだと僕は認識しています。
少しわかりにくいでしょうか?
もっと簡単に言うと、現時点の自分がダメダメだったとしても、その事実は変わらないわけであるからして認めるだけの潔さがあるかどうかです。
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読んで頂いている途中でスミマセン。👨
僕、たーキンくんの本名である三木基晶は、Twitterでもそこそこタメになりそうなことをつぶやいております。💬
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それでは続きをお読みください。😊
自己肯定感は「高める」感情ではなく「高まる」感情
ですが、ダメな状態を認めてそこで気分が前向きになれるかどうかといえば、やっぱりモヤモヤ感は残ります。
そりゃそうですよね。失敗したら次は成功したいし、ダメな自分を少しでもデキル自分にしたい。
そこで、考えてもらいたいのですが、自己肯定感って感情は、ありのままの自分を認めるから高まるものなのだろうか?
ありのままの自分が明らかに落ちぶれていたり、とてもじゃないが認めることができないなんてことはよくあることだと思います。
そんな状態でありながらも「大丈夫大丈夫。今のままでいいんだ、悲観的になっても仕方がない」と無理やり自分に言い聞かせて歩みだすこの気迫は素晴らしい。
しかし、気持ちばかりが前向きで前へ前へと突き進んでも、いったいどこに向かっているのだろうか?結局どうないたいのか?
このようなモヤモヤとした深い霧の中を彷徨い迷い続け、先の見通しがつかないままエネルギーだけを消耗させてはいないでしょうか。
そう、自己肯定感は無理やり高めるものではなく、動機づけにより自然と高まるものなのです。
「自己効力感」があるかないか
さて、どういうことでしょうか?
たとえば、ひとりの営業マンがいたとします。
この営業マンはいつもこうつぶやいている。
「自分は営業センスがない。だから今季の目標もどうせ達成できないだろうな」
あきらかに自己肯定感の低さが露呈してますね。
とくに営業は心理的な要素が非常に強く関わる職種。自己肯定感が低ければ上手くいかないでしょう。
だが、低いのは自己肯定感だけだろうか?
それでは、同じ営業マンが次のように言えるようになったらどうか。
「自分は営業センスがない。けど、なぜかうまくいく。今期の目標は昨年よりさらに高くなったが、なんだかんだいって達成するだろうな」
どうでしょうか。自己肯定感はあいかわらず低いのに、「自分は能力ないのに、なぜかうまくいく」と考えていることで、営業成績も抜群に良かったりします。意外にトップセールスに多い。
本当は実力があるのに、極めて自己肯定感が低く自分を認められません。
にもかかわらず、自分を卑下したりダメ人間だとは思っておらず、むしろ自信ありげな自尊心の高さを感じます。
この違いはどこになるのでしょうか?
それは、自己肯定感の高さではなく、自分はきっとできると思い込んでいる「自己効力感」の高さにある。
「自己効力感」とは読んで字のごとく、自分が行うことは効力があると信じられる感情です。
先ほどの営業マンで例えてみると、「自分はきっとこの目標を達成させることができる」と思えるのは、自己肯定感の高さではなく、できると信じている自己効力感の高さによる前向きな感情といえます。
当然のことながら、この「自己効力感」が高い人は目標を達成する確率は高くなり、「自己効力感」が低い人の目標達成率は低くなります。
その理由は、行動力に大きな違いが生まれるからだ。
やる気を起こして行動に移せることも当然可能だが、できると信じ切っている状態での行動力に勝るものはない。
いかなることでも、「できるかできないかよりも、やるかやらないかが重要」だといわれてますが、自己効力感が高ければ、やる行動力の高さを兼ね備えているので結果的に上手くいくのです。
いえ、たとえ失敗したとして「それでも次は上手くいくだろう」と自己の効力感情によって行動に移し、結果がでるまでやり続けることができる。
いやいやまてと。そもそも「自分ならできる」なんて思えないから困ってるんだ。やる気が起こせないから行動できないんじゃないのか。
たしかに、おそらく大半の人は自己効力感なんてものが高いとは言えない。
しかし、自己効力感というのも、自己肯定感と同じで高めるものではなくて、自然と高まる動機づけがあるからこそ高まるものなのです。
それは何かというと、
明確な「目的」、すなわち「ゴール」がちゃんと設定されているかどうか。
辿り着きたいゴールがハッキリとわかっていれば、行きたい欲望に駆られ、やる気のあるなし関係なく行動するとは思いませんか?
たとえば、家族で温泉旅行にでも出かけたとしましょう。家族みんな楽しみに待ち望んでいた温泉旅行。
車で旅行先に向かう途中、どういうわけか工事中で行き止まりになっていたら、そこで温泉旅行はあきらめて家に引き返しますか?
そんなことしないですよね。遠回りしてでも旅先に向かうでしょう。
電車で出かけたとして、予定時刻の電車に乗り遅れてしまったとして、旅行を諦めてしまいますか?そんなことするわけがないですよね。
だけど、旅先の温泉旅館が旅行の前日にいきなり休業になってしまったら(そんなことはありえないかもですが)、その際は諦めざるを得ないでしょう。
なぜなら、ゴールを失ってしまったから。家族みんなの温泉に行けるという「目的意識」を失ってしまったからだ。
すなわち何が言いたいのかと申しますと、
「きっとできる」という自己効力感の高さは、やる気によって持ち上がるものではなく、明確な「目的意識」があるかどうかによるものなのです。
ゴールに辿りつこうとする目的意識がより明確にある限り、人は不思議と「できる」と思い込み、自然と自己効力感が高まる心理が働き、何の根拠もない自信が生まれるというもの。
もう一度いいます。
自己効力感が高まる動機づけは「目的意識」があるかないかです。
そもそも自信に根拠を求めてしまうと、ほとんどの人は自信なんて持てません。
また、できるかできないかで考えてしまうと、普通はできないと考えに至ってしまいます。
なぜなら、できるかどうかで迷うということは、「おそらくできないだろう」と思っているから迷い不安になっているからです。
そして、やる気があるから行動に移せるものではない。「目的意識」があるから行動に移せ、気づけばやる気になっていた、というのが正解ではないだろうか。
真の自己肯定感を高めるために必要なこと
自己肯定感を高めようという風潮がありますが、僕的には疑問があります。
というのも、自己肯定感が高い人は、ありのままの自分を受け入れられるポシティブな人ではありますが、ある種、自分の可能性に線引きしていることにも感じます。
ありのままの自分を認めることで自信が持てるというのなら、それは「根拠のある自信」。正真正銘、今ここにいる自分は根拠のある自分。
けど、先ほども言ったとおり、自信に根拠を紐づけようとすると気持ちは楽になるかもしれませんが、はたしてその状態でい続けられるでしょうか?
つまり、やればできるはずなのに、その可能性を閉ざしてしまっているともいえます。
僕が思う自己肯定感の高さというのは、
単純にありのままの自分を受け入れることではなく、心の奥底に誰もが抱いている「自分ならできるのではないか」という正直な感情を受け入れられるかどうかだと思う。
すなわち、自分の中に兼ね備えている自己効力感を信じ認めることができるかどうか。
上辺だけの自己肯定感ではなく、心中に潜んでいる本音の気持ちにウソをつかないで認めることができることにこそ、真の自己肯定感は生まれるものであるはずです。
そのためには、やはり、「目的意識」が必要です。
ゴールなき道のりを漠然と走ったところで途中で力尽きてしまうでしょう。
人間目的なきことにエネルギーを無駄遣いするなんてことはしません。ですよね?
自己肯定感を無理やり高めようとする前に、あなたにちゃんとした目的があるかどうかをもう一度考えてみてください。
目的とはいっても、一億円プレーヤーになるとか、ビジネスで成功して世界を変えるといった大それた目的でなくてもいい。
たとえば、老後は自適に暮らせればいいというありふれた目的もあるでしょう。
自分が何を望んでいるのかを見つめ直せば必ずだれにでも目的はあります。たとえ小さなくだらないことでもあなたがその目的に辿り着くことがゴールなら、唯一無事の立派な目的だ。
目的は世間一般の人達が決めるわけではないし、デッカイからいいわけでもない。
あなただけのその目的を「明確に意識しているかどうか」の方がはるかに重要です。
すれば、自然と「自分ならできる」という可能性を引き出す自己効力感を読み覚まし、本当の意味での自己肯定感を高めることができるでしょう。
目的意識に引っ張られるように、やる気を起こし行動に移せるのです。
目的達成にかかせない「目標」について知っておくべきこと
さて、目的意識を持つこともが大切なのはわかりましたが、残念ながら目的さえ明確にすれば順調に走り続けられるほど甘い人生ではない。
目的(ゴール)に辿り着くまでには、何度も何度も失敗して、場合によっては振出しに戻ったりして立ち直れないほどの挫折に間違いなくぶち当たります。
しかし、先ほどの温泉旅行の道中が工事中だとしても、温泉に行く目的がある限りどうにかしてでも辿り着こうと試行錯誤します。
悩んだり諦めたりしないで、ゴール目掛けて行動に移せるのは、回り道をすれば辿り着けることが分かっているから。
つまり、今の自分でも達成可能な、小さな「目標」を設定して、確実に達成感を味わうことができるからこそ、諦めないで行動に移せるのです。
目的が明確にあるのなら、その間の小さな目標を細かく設定して、やり遂げたときの「達成感」が自己肯定感を保ちづづけるために重要で、小さな目標をクリアしたときの「達成感」の積み重ねがさらなる自己効力感を持ち上げる秘訣といえます。
ところで、「目標」って何ですか?
目標とは、ゴール(目的)に辿り着くための通過点(目印)だということは知っているでしょう。
そこでもっと大切なことは、
目標というのは「少し頑張れば、必ず達成できること」です。
できそうにない、今の自分には到底無理なことは目標とはいえません。少しだけがんばれば必ずできる、達成感を味わうことができることが目標です。
たとえば、英単語100個覚えるためには、1日10個という目標は、ちょっとキツイですよね。
でも、2日で3個という目標なら、やり遂げることができるはず。達成感を味わうことができるはずです。
そう、この積み重ねによって、あなたは根拠のない可能性を信じれるようになっていくのだ。
ただ、気を付けなくてはいけないことは、目標は目的ではないということ。
年収1000万、ユーチューブのチャンネル登録数1000人、アクセス数5万PV、フォロアー数2万人。
目指しているものが「数字」だとしたら、それは目標です。
数字は他人との比較の中で成立する他人軸の価値観であり、数字ばかりを追っていると、自分で「目的」を見つけることが苦手になる。
目的とは最後の最後に立ち返る正直な自分の欲望。
目標としている数字をクリアしたいのは「何のため」なのか。
間違った努力をしてしまう人の大抵は、目的のない数字に踊らされている。
そこだけは誤解しないようにしよう。
さぁ、あなたが本当に辿り着きたいゴールはどこですか?
目的意識がない状態で自己効力感を高めても、それは自分を騙しているといっても過言ではない。
もっと自分に正直になろう。
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またまた最後にスミマセン。👨
僕、たーキンくんの本名である三木基晶は、Twitterでもそこそこタメになりそうなことをつぶやいております。💬
もしよろしければ、ちょこっとだけでものぞきに来てみませんか?
もしかすると、あなたにとっての気づきを見つけることができるかもしれません。お越しいただければ、僕、たーキンくんも泣いて喜びます。😭
最後まで読んで頂き、
本当にありがとうございました😊