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愛憎芸 #17『バッティングフォームかく語りき』

 サークルが同じだったほとんどかかわりのない先輩が元地下アイドルと結婚したということを聞いて、結婚式での二人の馴れ初め紹介、その光景を想像した。職場でもなくサークルでもなく「現場」で二人は出会った。私にとってはジヒョである。ジヒョと初めて出会ったのはインテックス大阪のハイタッチ会だ。いつかのnoteでも書いたが、あれ以降私は推しとの接触をタブー化した(何があったというわけではないのだが、眼前にジヒョが現れたとき、彼女が同い年の女の子であることをようやく判って、罪悪感がひたすらにこみ上げ小声で「ファイティン…」と言うにとどまったのであった)。必ずステージ越しに応援すること、接触イベントには申し込まない、熱愛は応援する。それらを粛々と守り、一定の距離を保ちながらもTWICEというアイドルを応援し続けてきた自分にとって「推し」と結婚まで行くというのは想像もつかない行為で、なんというか超ド級の支配欲だと思ってしまう。「推し」は一線どころか百線くらいを自分との間に引いているから「推し」足りえるのであって、いくら引退したからといって自分の世界に引きずり込んでしまったら、それはもう「推し」と結婚したということにはならないと思う。ジヒョが引退する。ジヒョがなぜか日本にいる。ジヒョと飲む機会が生まれ、なぜかジヒョと結婚し、時折カン・ダニエルの話が飛び出す…?はずがないのだが、やはり地下アイドルの世界は奥深い。友人が「地下の地下」と言うので「地底…」と言ってしまった。私にはわからないがでも幸せならOKです…

 WBCの強化試合をABEMAで見ながら代々木八幡へ向かった。佐々木朗希が162キロのストレートをインコースギリギリに決めて柳田を三振にとっていた。まだ2月である。意味が分からなかった。

 高校の野球部のチームメイトと久々に会う約束をしていた。うちのエースだったし、公立高校としては非常に珍しい、140キロ前後を記録するストレートを投げる左腕だった。のだが小6の時点でWikipediaを読み漁り様々な雑学を脳みそに叩き込んでしまったせいでいろいろ変で、とても野球部らしさはない男であった。だからこそいまだに話が合うし、渋谷のイベントで来ていたランジャタイを遠目に「あれは小学生が笑うもの」と言ってこき下ろしていて面白かった。ランジャタイのアンチを初めて見た(しかし平場でのランジャタイ、めちゃくちゃスベっていて驚いた。ネタは「世のズン」だったのだが…お笑いの難しさを感じる)。彼はクラフトビールが大好きなので新宿ISETANに新しくできたクラフトビールコーナーへ連れて行った。バテレビールが普通に並んでいるレアな光景、おすすめです。そのあと新宿バッティングセンターに行き、何も意識せずに彼の後ろに立った。

 後ろ姿。8年が経過していた。バッティングフォームというものは不思議で、ボールをただ打ち返すだけの動作のはずなのに、人によってずいぶん違うものだ。左打席に入った彼はオープンスタンス気味に、重心は低くして構えて、弓矢を引くようにボールを引き付けてノーステップで振りぬく。引っ張られたボールは恐ろしい勢いでライト方向へ飛んでいく――8年ぶりに観る姿だった。私たちは同じ投手だったから、フリー打撃に入るタイミングは前後になることも多く、同じような視点から彼のフォームは良く見ていた。8年が経っていた。しかし繰り返した運動は体に染みついていた。手が震えながらもいざコンセントをつなぐとなると震えが止まる、傘寿を超えた職人のことや、あれほどいろいろなことがあって人間的に限界かと思われるのにキャッチボールでは美しいボールを投げていた板東英二のことを思う。

 わたしたちは、8年経てば遠くまで来てしまっている。実際私たちは二人とも、京都ではなく新宿のバッティングセンターにいるわけだし、10代後半だった私たちは27歳になろうとしている。変わらないバッティングフォームを見て、心からこぼれ落ちそうになってしまっていたあの頃の光景をとどめることができた気がする。確かに存在していた時間。あの日々が結局今日の自分を生かしているのだった。


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