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愛憎芸 #22 『En attendant Godot』

 自然発生的なものを尊んでいる。それは例えば、予期せぬダブルアンコールのような。音楽ライブにおけるアンコールが当たり前になっているから、back numberのライブで見られるような、スマホライトを照らすだけでアーティストを待つという怠惰が生まれてしまう。怠惰。それは怠惰なのである。怒りを以って伝えよう、私たち観客は、いつから労せず20曲以上の楽曲をライブで聴けるようになったのか?演奏があまりに良すぎたから手を叩く、まさしく幸せなら手を叩こうの如く。スマホライトもTikTokも根本にある何かは同じなんじゃないか。バンドのライブに行くことの本当の幸せ、それをわたしはHomecomingsのライブで感じていた。演奏のクオリティと楽曲の持つ力が合わさった時に放たれるとてつもないパワー。人生で一番痺れたライブ、リキッドルームで。そういう瞬間に出会うたびに、私はやっぱり創っていたいと思う。いい映画を見た時何より思うのも早く書きたい、ということ。私がもし魚だったら、早いこと釣られて人間に捌かれてしまっていると思う。それに縋って思い出すのはいつも、自分がほんとうにやりたいこと。そしてもう一度深く潜り込むのだけれど、世界が閉じないように、閉じないように……

 『最高の離婚』を完走した。コロナ禍、本社での研修期間中に一度全て見た覚えがあるのだが全然話を覚えていなくて、須く新鮮な気持ちで観ることができた。坂元裕二最高傑作でしょうこれは。大豆田やカルテットと比較しても、本の面白さでは圧巻だと思う。名台詞を挙げようとすれば枚挙に遑が無く、ずっと光生さんが愛おしい。そして真木よう子がこんなに上手かったなんて。釣られて『問題のあるレストラン』を見始めた。どストレートにフェミニズムドラマ。どうなっていくんだろう。


 それにしても『最高の離婚』。人間のスイッチの切り替えというか(大豆田とわ子「そんな、エアコンみたいに」)、分人主義のことを思い出すのが光生と灯里の笹塚デートのシークエンス。「灯里」「光生くん」と呼び合う2人、作品の中で永遠に悪態を突いている光生が柔らかい口調で話すところ、灯里にとって光生は紛れもなく大好きな人間だったとわかる口調、雰囲気、気だるさ…坂元さんの真骨頂はやはりこういう時に出るよな、そして自分もそれを描きたいな、とずっと思っている。たった2人、この世でもしたった2人になっても。笹塚に落とされたアダムとイヴ。わたしが『天気の子』を愛してやまない理由。居酒屋の隅に弾かれた2人の終わらないおしゃべり。それは永遠には続かないし、それをまざまざと見せつけられてしまったのが『花束みたいな恋をした』だったけれども、それでも坂元さんはたいていこういうシーンを作る。光生と結夏の2人きり徒歩道中だってそう。カルテットの巻夫婦、大豆田とわ子の小鳥遊との散歩、花束の麦くん絹ちゃんの甲州街道、初恋の悪魔のつみきっつぁんと馬淵…愛の示し方として美しいな、とほんとうに思う。

 部署に後輩が入ってくるらしい。そのOJTやらなければならないのだと。わたしは彼にどうにかして幸せになって欲しくて、あの手この手を尽くすのだろう。それが果たして彼のためになるかは彼次第であり。多分いつも考えすぎなのだと思う。けれどもうそれがデフォルト、どうやってもそこから抜け出すことはできない。それを変えたくもない。そんな人間が久々に野球部だらけのパーティへ向かおうとしている。結構しんどい思いするんだろうなと思うけど、たまにはそういう思いをしておかないと、書けるものも書けなくなる気がする。セーフティーゾーンからの観察では物語が生まれないということはなんとなく肌感覚で知っている気がした。ゼミの教授に言わせればそれは『ゴドーを待ちながら』の状態にあるという。何か起こるかもと毎日同じ場所に通う、何幕も同じ物語が繰り返される、ベケットの不条理演劇のような人生なんてごめんである。みんなで笑った。意義のある芝居ではあるけど2度も3度も観にはいかないよね、と。時折思い返そう、人生が芝居なのだとしたら——

 4年前に書いた物語の登場人物たちを生まれ変わらせていく、というよりかは彼らを実存させるための作業にここ1週間は取り組んでいたのだが全く違う物語が浮かんできて、ようやく脳みそが創る頭に戻ってきて本当に良かった。

※久々に小説を掲載したのでお時間ある時にぜひ。

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