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愛憎芸 #9 『長友のブラボー、矛盾を覚悟して生きること』

 カタールW杯。長友の叫ぶ「ブラボー!」に心かき乱された。その通り「ブラボー!」と叫びながらも、そういうのもうええって、と辟易ともしていた。
 「ブラボー!」を大歓迎している自分がいた。かつて運動部――その中でもとりわけホモソーシャル的な――野球部に所属していたことによりそりゃその時出る言葉は「ブラボー!」になるだろうな、ということが直感で共感できる。競泳北島康介の「チョー気持ちい」、2009WBCイチローの「ほぼイキかけました」…世界の舞台から放出されるインタビューではたびたび独特の感嘆詞が名言に昇華されていく。わたしは野球部だったから、そういうノリがわかる。わかる。

 かたやうんざりもしていた。長友の「ブラボー!」は上記北島イチローと違って少し振りかぶっていると思う。長友が年長の選手であること・前半で交代していることも関わっているのだろうか。パスワードは1万年ブラボーよろしく、国のそこかしこで「ブラボー!」と叫ばれる、そういう光景に徒労感を抱く人たちが少なからずいることも知っているしわたしもちょっと疲れている。夢とか希望よりその瞬間の興奮が好き。私はいつもその事象に対して純粋に心動かされていたいのに、結局みんな消費しちゃうんだもん。
 あと、表敬訪問するんだ、とか素で思ってしまった。表敬訪問、敬意を示しているのは政治家ではなく競技者の側らしくて、それって彼らがこうやって結果を残せたのもみなさんが国家を保ってくれているからですってこと?そうですか。まあそういうものだってわかっているし。そこに異を唱えたところでなのだというのは3年もJapan Traditional Companyで正社員をしていればわかることではある、けれど私は今どきの若者なのだった。ずっとなんだかなあ、と思い続け、選挙に行ってる。そしてこうやって文字にしている。国際大会が盛り上がっているときはどうしても、ナチスドイツがナショナリズム高揚のためにスポーツをうまいこと利用したという件が頭をよぎる。だからこうやって文化を刈り取られないようにする。

 こうやってたいそうなことを言ったけれど、来年のWBCの時、同じように冷静でいられるのだろうか。サッカーだから客観的に観れているのではないか?あんなにうんざりしていた東京五輪だって、野球だけは欠かさず見ていた。村上のバックスクリーンへのホームランを見てバンザイしたことを無に帰していないか。ドイツ戦の長い笛が吹かれた時も同じことをしていたよな?それでいいんだよ、人生に足枷をつけるつもりはない。インターネットの見知らぬ人への筋なんて通す必要はない。けれど自分の中では筋を通すために、せめてこの矛盾に自覚的でいたい。自分はどこで矛盾しているのか。すべての感情を紐解けよ。ほどくという行為があったから気づく新たな結び目があるはずなのだ。

 職場でのふるまいだってそう。野球やホモソーシャルで蓄積してきた経験を活かしうまく立ち回りつつも、自分の絶対に譲りたくないことはきちんと主張をする。それは例えば深い思考は人間どうしの信頼につながるとか、上が不実だと思わないことを自分が不実だと思うのであればそこをはっきり述べることであるとか。そういう自分の心の核をきちんと認めさせるために、私は営業職だから数字をあげている。「なんか俺とは考え方が違うけど、あいつはあいつで頑張っとるのは明らかだし数字も出てる」という状態を死守する。自分の尊厳をぎりぎりのところで守っている。

 ▪︎今週良かったものたち(備忘録として)

・Storm feat. KMC / STUTS

・破局 / 遠野遥

・LOU@中野

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