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愛憎芸 #31 『なぞり書き、路線図』

 都営新宿線に京王線が乗り上げていてもあまりうれしくないが、半蔵門線に東急田園都市線が乗り上げていたらけっこううれしい。わたしは東京の路線図を見ることが好きだが、乗り上げてくる車両にはそこそここだわりがあるようで、相鉄・東急新横浜線の開通により半蔵門線に入ってくるようになった相鉄線のことはまだ愛するに至っていない。地下鉄の駅にアンマッチな気がするのは色合いか車体のごつさか、なんなのか。

 「すごいよ!半蔵門線だよ!」と喜ぶ母のもとで育ったらしい。東急田園都市線に半蔵門線が乗り上げてくることに喜ぶ親子。そんなわたしは電車になりたかった。電車、そのものに。なにに憧れたのかはよくわからない。その推進力なのか、見た目なのか。当時の自分に聞けば間違いなく「カッコいいから!」と答えるのだろうが、カッコよさを構成するものは様々で、当時、言葉にできないだけで見た目以外の魅力を感じていたのかもしれないが、それは誰も言葉にすることができない感情だ。今のわたしが様々考察して名状してやることはできなくもないが、それらはすべて推測でしかなく、当時のわたしだけが知っている感覚だから、1990年代後半のある幼児の心の中にのみあったものだ。わたしは大人になって、文章を書くことが好きだから今感じることを言葉にすることができるけれど、それが叶わなければ感情は溶けて、ひょっとするとそこにあったかもしれないもの、として自分を構成するかけらになる。そのかけらで構成された自分だからこそ、駅で腕組みしながら、路線図を眺めているのである。

 という話を職場の後輩にしたら「変態っすね」と言われた。変態を誉め言葉として使う人間のことを信じている、星野源のファンなので。なるほどこいつをかわいがっているわけだ。今日社有車乗って帰るので送りますよ、と言われまんまと同乗したが、彼は一度、二度、三度とことごとく道を間違えていき、あみだくじのようだった。結局首都高速をたくさんドライブすることになったがわたしはそれがうれしい。「全然いいのよ~」と言いながら、久々の助手席に心躍る。わたしの大好きな首都高速道路夜景を次々と通過していく。向島線からかすかに見える浅草の街、全然浅草好きじゃないのに心躍る。隅田川はずっと光が灯っていて、まさしく東京のものだった。荒川や江戸川のような無骨さはないけれど、あの時、馬喰横山のゲストハウスで未来へのときめきばかりを抱いてたあの時からずっと、隅田川はわたしにとって東京そのもので、だからこそ首都高速道路向島線を走るたびに、ほらあなたは東京生きていますよと過去の自分に話しかけている。いっときは両国ジャンクションの渋滞に腹を立てたりしたけれど、人がたくさんいるから渋滞が起こるのであって、いまはそれすらいとおしい。わたしが東京を好きな理由の一つに、人が多い、ということがあるから。

 東京で3番目に高いタワーは船堀のタワーなんすよ、と言われ東京タワーの次ってコト!?と左を見るがどこにあるのかよくわからない、これが3番目、その程度なのか。そもそもタワーなんて一つの都道府県に何本も立たない。東京だから3本もあるわけで。自分はもうすぐ東京の東側を離れることになりそうだから、その時までにはそこに上って、この土地で生きたことをきちんと体にしみこませておきたい。西側に住まないと、江戸川や荒川を越える頻度が極端に減るだろう。毎日あったものが普通じゃ無くなっていく、その事に気付かぬまま人生は流れる。

 彼が道を間違えるたびに、次のそこでリカバリーできるよ、とナビも見ずに教えているわたしの頭の中には、電車の路線図だけではなく高速道路の路線マップまでもインプットされていた。長く東京に住んだのだ、そして車にたくさん乗ったんだな。指示を出していくと、首都高速がどこからでもも繋がっていることを実感する。これが、交通網。

 わたしは、辿り着きたい。どこかに。ここではない、どこかへと言ったのはGLAY。そんな思いを慢性的に抱えている。電車はいつも、最寄りを離れてはるか先まで行って、また帰ってくる。高速道路で並走していた車はひょっとすると青森まで行くのかもしれない。路線図のうえで実線が引かれている本線と、その先に続く道。うっすらと書かれた漢字ドリルのお手本をなぞるように、わたしもそこをいずれ通る。

 サービスエリアで休眠している車たち、それをかき分けて食べるラーメン。サービスエリアの建物を出た時に見る空と車たちを見て思うのは、どこまでも行けるということと、それでも今晩も家でご飯を食べているのだろうという想像。また車に乗り込んでアクセルを踏んで、高速道路を走る。ひとりひとり違う人生を生きて、別などこかに進んでいくという事実を、速度もそれぞれに、車たちは雄弁に語る。


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