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愛憎芸 #12 『ビジネス書、ロングスロー、好きの定義』

 青山ブックセンターでここ1年半ほどひたすらベストセラーだった「ビジネスパーソンのためのクリエイティブ入門」を購入し、読んだ。ビジネス書もしくは実用書とされる本を読むのは大学生の時以来で、すっかり忘れていたがこの手の本は恐ろしく早く読める。帰りの地下鉄と風呂の中だけで180ページを読み切ってしまった。1ページに書かれている量が少ないこと、横書きであることなどが要因とみられる。内容自体は興味深く、いちクリエイターの講演会を聞いているような気分。ビジネス書を読み込む人がいるのもベストセラーになるのもわかる気がした。気楽な行為。そら本に食指も伸びる。しかしこれは読書という行為なのか?と、自室に積み上がった文庫本の山を見て思ってしまった。

 高校サッカーの決勝戦を国立競技場へ観に行った。新国立、である。綺麗だけど観客席に暖房が効いているということはなかった。それにしても綺麗だ。ホープ軒や表参道のビルなどが見えて、改めて神宮外苑という立地の歪さに驚かされる。原宿と神宮球場が隣り合っているようなもの。文化とスポーツ、さらには天皇。タクシー運転手の溜まり場まで。ホープ軒のGoogleマップレビュー数は4000をゆうに超えており、あの床のぬめりも積み重ねた年月そのものなのだと納得させた。

 サッカーのコートは陸上のタータンに囲まれているのだが、その陸上のタータンまで下がってロングスローをする選手がいたものだから驚いた。共に観戦していた後輩が「高校サッカーでは見慣れた光景」だという。高校サッカーではロングスローをゴール前に放り込み、強引にセットプレーの機会を生み出すことが定石らしい。実際に後半、岡山学芸館がその流れでゴールを決めてしまった。ワールドカップやJリーグでもまず見ない光景。しかし彼らはやる。おそらくそれ専用の選手が両チームともにいる。彼はひたすらスローインの練習を積み重ねてきた。ボールが宙を舞うたびに彼らの努力は報われていく。「世界に通用するためには即刻やめなければならない慣例」だとされているけれど彼らは勝ちたい。勝たせてあげたい。だから仕方ない。高校野球の球数制限にも同じことを感じる。「未来を守る」前にそこが最後の選手が大半なのである。その最後が、限られた一握りの、プロに進むための選手を守るためのルールに制限されて投げられないなど、とても飲み込めるものではないだろう。スローインで取れたかもしれない点が取れない、それで負けたとしたならば——サッカーは野球と比べてリベラルなスポーツである。練習も短い。このスローインだって野球なら禁じられている気がする。スルーパスにしたってそうだが、創造性において見応えのあるスポーツだと改めて感じるのである。

 好きを言語化することに腐心してきたが先のビジネス書で本当の好きは言語化できない部分にあると書かれていて、正直本当にその通りだなと思ってしまった。そりゃ、ここ数週間狂ったようにLaura day romanceを聴いているのは井上花月さんが書く知的な歌詞やメロディの良さだったりするのだけれど、ではなぜそのメロディが好きで、とか突き詰めていくと全然ムリ。小説にしたってドラマにしたってその無意識に訴えかける行為で、皆が好きを言語化できていると構えるのはかなり傲慢だった。去年の5月にback numberを観た時の、いまだによくわからない上昇した体温——そしてそれは計測できない——そういう類の感覚を一つ一つ思い出していく。

 2週間飛ばしました。しょっぱなから、という感じですが相変わらず味噌汁を愛でて、誤って2人分作っていたら腹が出てきたのでしばらくお昼はおにぎりにしよう、と思ったのですが18時を回ったくらいから全く頭が働かなくなりました。今年は、傷つけることを厭わないこと・超然的な部分の存在を受け入れること このあたりを意識しつつ、たくさん生み出せる年にしようと思います。ライブが素晴らしかったずっと真夜中でいいのに。のMVを貼って、今週は畳みます。

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