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銭湯へ行けばどうにかなるのか
銭湯へ行けば万事解決すると思っている節がある。寂しさも辛さもどこにも行けないような気持ちも、とりあえず銭湯、番台、カラン、湯船の中、水風呂、カラン、湯船の中、といった具合に目的地が設定されていくことでまだまだ人生余裕っしょ、と解決した気になる。つまり、心の支えである。
銭湯ならどこでもいいというわけではない。わたしの場合「どこに行くか」も重要で、その行先はたいてい東京・高円寺の小杉湯だった。2020年に上京して以来通い詰めて、以前本八幡に住んでいた頃、本八幡に住んでいた頃なのに、番頭の方に「いつもありがとうございます~」と認知されるほど通った(本八幡は広義では「中央線沿い」だが、千葉県市川市で、高円寺は東京都杉並区、23区の西端である)。
2024年の初め、転職に失敗してお気持ちどん底、お先真っ暗、漆黒!というときにも「とりあえず」小杉湯に足を運び、その足で友人と食事をした。友人は「自分が辛い時どこへ行けばいいかちゃんとわかってて、かつそこに行けていてよかった」と褒めてくれた。「最悪の最悪には陥っていない」と安心してくれたのかもしれない。半年経って危機から脱した頃、同じ友人と入浴に対する執着の話になり、「銭湯へ行くこと、風呂に入ることについての文章を書いてほしい」と言ってもらったことを、今日小杉湯に入っている時に思い出した。小杉湯といっても原宿の小杉湯で。
3年半前、風呂についての文章を既に書いてはいた。けれどこの文章はただただ「水風呂に感動した人間」のそれだと客観的にみてとれる。そこから3年半、事あるごとに高円寺まで足を運んで、小杉湯で流れるBGMを鼻歌で歌えるようになり(小杉湯原宿の更衣室で流れるのがJ-WAVEなのはいまだに面食らう)、水風呂とあつ湯を交互に入る「温冷交互浴」が全てを解決してくれるわけではないことを知り、一方で「水風呂に入ったらアイデアが降ってきた!」という経験をしたり、「水風呂に入ってもアイデアが降ってこなくなった…」と落ち込み、「結局ミルク風呂にずっと入っているのが一番の幸せなのではないか」と気づき、翌日腕の匂いを嗅いで「まだミルク風呂にいる…」と言ってみたりした。
わたしは住処を都内に移して、家の風呂がユニットバスからセパレートに変わって、住処が変わっても危機に陥ればやっぱり小杉湯に行って、とにかく体だけは綺麗になるいっぽうで何も解決したわけではなくて、でもその数週間後、数か月後にも同じ場所へ行っているならばもしかするとそれは銭湯のおかげで元気になったところもあるかもしれなかった。そして、そうこうしているうちに小杉湯は原宿に2号店を開業することになり、沿線に小杉湯がある状況が当時想定していたそれ(小杉湯から上がって阿佐ヶ谷の部屋に歩いて帰る深夜のこと:愛憎芸#35参照)とは違う形で実現し、今に至る。なるほど3年半経っている。
風呂に初めて入った瞬間のことを、赤子当時の感動をもって思い出せる人はいないと思う。赤ちゃんが風呂に入れられ「お湯ヤバすぎる!」とブチ上がっていたら、嫌だし。けれど水風呂に初めて入ったあとの感覚を思い出せる人なら一定いると思う。水風呂だけではなくて、銭湯のでかい富士山絵とかもそう。非日常としての出会いから、風呂に入るという日常への移り変わりに、銭湯へ行っても何も解決するわけではないのになお足を運ぶ理由がある。
発見の瞬間は劇的で、できるだけその感覚でずっといたいし、何度だってその感覚と出会いなおしたいのだけど、それを繰り返せば繰り返すだけ日常になって、救われたものに救われなくなってしまうかなしさがある。『ラ・ラ・ランド』と同じだ。人生におけるその一瞬、確実に必要だったあなたという劇的な存在が伴侶足りえるとは限らないように。
でも風呂はそこまでドライじゃない。なんといってもそこにあるのはお湯なのだ。もしくは水風呂。温かくて、その一方で冷たい。強くて鋭くて、それを繰り返せばやわらかいもの。この日、1年半ぶりに水風呂でアイデアが降ってきた。ここ2週間くらい思索していたアイデアに、「いやもう一本この視点がないとおもんないぜ」と刺激を与えるものだった。「たまには救ってやりまっか」という感じ?特番?
通いやすい場所に小杉湯原宿ができたので、通う回数が目に見えて増えた。高円寺とつくりが違うから、ミルク風呂からカランの鏡が見え、さらにその鏡が映すのは富士山絵と、来客の裸体である。まごうことなき、銭湯の景色だ。頭洗って顔洗って体洗って、お湯に浸かって水に浸かってちょっと休んでまたお湯に浸かって水に浸かって休んで上がって体を拭いて髪を乾かす、思えばそれだけのことが万事を解決できるはずもないのだが、わたしはこれからもある程度の期待とともに「とりあえず銭湯」と腰を上げて、まずは番台を目指す。