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TWICEは泣ける

また泣いてしまった。なぜ、他人の物語なのにこうも涙が出るのだろう。もうかつてのように、毎日熱心に彼女たちのことを追っているわけではないのに、わたしの涙腺も随分ガタが来たのか。いや、涙がドバドバ出るならむしろ涙腺は機能していて、本当に涙腺にガタが来たときには、もう涙は流れないことになるのか。歳をとると涙もろくなるとはなんだったのか。歳をとっても些細なことで涙を流していたいな。「おじいちゃん涙脆いから」ってめちゃくちゃ言われたい。

歳をとった、そのときのことを思う。NHKのTWICE特番、画面越しの、同い年のジヒョが軽やかに笑って言う、「やめるつもりはない、やめるとしても、20年後とか?」と。20年後、48歳。そのカッコ良さにまた震え上がり、また泣いた。なぜ、人は泣くのか?なぜ、わたしはTWICEで泣くのか?

毎日日記を書いている。気が付けば書き始めて1年。もう少し細かい話をすると、日記を読み合う関係ができてから、1年が経った。わたしは「日記屋月日」という東京・下北沢にある日記本専門店のワークショップ「日記をつける三ヶ月」に参加して、そこで、お互いの日記をGoogleドキュメントで読み合う仲間ができた。ワークショップから1年経った今もなお交流は続いているし、多くのメンバーがいまだ日記を書いている。誰かの日記を毎日読んで、時折現れる人生の断片に、滑る目が留まる。きらり、と光るのはその文章であり、わたしの目でもある。

唐突に日記の話を引き合いに出したのは、わたしがTWICEを通して泣くとき、その涙の理由が、彼女たちの人生の断片を垣間見たことにあるからである。オタクは、自分が体験していないはずの、誰かの人生のワンシーンを想像して涙を流すばけものである。

ジョンヨンが活動休止中の難しい状況にあった時、ナヨンが贈った手紙の1行目が「久しぶりだね」だった、それでジョンヨンが泣いたという話でわたしは「あ〜〜」とひとしきり漏らしてから、やはり泣いた。

「久しぶりだね」。

それはエピソードトークなどではなく、こぼれ落ちた断片だと思った。彼女が日記を書いていたとしたら、わたしの目はそこで留まっていた。

「久しぶり」というのは、単にその言葉通りの、活動休止していたことによって時間を共有していない事実以上の意味を含んでいることだろう。ジョンヨンがその話をする前置きとして「わたし達はあまりに長く友達」だと言ったこと。ナヨンとジョンヨンは、TWICEデビュー前に「6mix」というグループで共にデビューするはずだったくらい、長い関係にあるということ。何よりナヨンはTWICEのセンターで、彼女が歌い出すとモーセの海割りみたいに道が開けるように錯覚すること。きっとジョンヨンの視界にかかっていたもやも少しだけ晴れたのだろう、とわたしが勝手に思うこと。そして涙を流すこと。

『Feel Special』から5年が経った。NHKの特番では、ミナがこの頃のことを「あの頃」として語っていた。それくらい時が経った。『Feel Special』は、ミナへのメンバーの想いを代弁するかのようなコンセプトに思えるけど、ミニアルバム制作というのはもっと長いスパンでやるはずで、それが起こる前にコンセプトは決まっていた、つまり結果論だったのだろうと思う(実際はサナのための曲だったという話をJYPがしていたはず)。タイミングが物語を生んで、オタクは勝手に涙を流し、勝手に熱狂した。誰かの苦しみを消費して流れる涙。それがわたしたちがやっていることの本質と言われればそれまで。

誰かの感情の起伏を肴に涙を流すばけもの。何度もそうやって内省を繰り返して、そんなことを繰り返すもんだから流石に距離もできてしまうけれど、もはや星座みたいなところがあって、地球が回ればTWICEに出会う。自転によって巡り合っては、変わり続ける変わらないTWICEのみんなを見てやっぱり泣いてしまう。ずっとそこにいてくれる気がする、ということが彼女達の大きな価値の一つだと思っていて、そのことが尊いと思って結局また泣く。これだけうだうだ考えても、結局のところ涙は問答無用にやってくる。人生における止められないもののうちの一つ。衝動。ダンス・ザ・ナイト・アウェイ!匙を投げるけどペンライトは投げない。あえてはっきり言おう、『TWICEは泣ける』と。

この、ミナ正式復帰ステージがコロナ禍前ギリギリに行えたか行えなかったかが、その後のTWICEを大きく左右したのではないか、と今なら思う。(ミナが観衆の前でFeel Specialを踊ったのはこの時が初めてだった)

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