愛憎芸 #25 『肝機能の数値がFlash!!!』
先週、King Gnuのスタジアムライブを注釈付き指定席で観た。流石に遠すぎて音響が悪く、ライブとしては非常に微妙な経験。微妙、という言葉は便利で様々使えるが、詰まるところ物足りなかった。それならば早いことチケットを取っていい席で観ろよという話なのだが、それができてればこうなってませんから、というやつである。やっぱ、200人のライブハウス最前で観てたバンドがスタジアムまで行くって初めての経験だし、要はそれくらい自分の懐にあったと意識していたものが手を離れること、その最たる例になってしまった、そんな気がするからわたしはKing Gnuに対して向ける目線にブレが生じている。『壇上』の演出は白眉だったがその次の『サマーレイン・ダイバー』で観客がスマホライトを掲げ始め驚愕、いくらなんでもこの景色は2017年に全く想像できなかったものだ。大衆化の最たるもの、あれはキツかった…がキツくなっているのはわたしだけでいいのだ。みんな楽しくてKing Gnuの暮らしは潤うのだから。それでも大好きな『Flash!!!』で終わってくれたのは本当に良かった。あの曲はわたしに『光は屈折する』というラジオドラマを作らせた。あれは大学時代の放送局で作って、学祭での生公演だったからもうどこにも残っていないのだが、部内の試写会みたいなもので流した時に、当時の1年生の2人が泣いてくれて、それが今も何かを書きたいと思うし自分はどうにでもなるのだと思わせる原動力になっている。King Gnuがインディーズ時代に出したこの曲が巡り巡って今もなおわたしに文章を書かせている、その事実は揺るぎなく、だからわたしはぶつぶつ言いながらも未だにKing Gnuのライブに足を運んでいるのだ。
「若いから何もないでしょ」と業務課のおばさまから渡された健康診断結果の封筒を開封したらそこにはなんと「C」が刻まれていた。C…?ほとんどの項目がすこぶる良くて、何が悪いかと思ったら肝機能だった。酒も飲まんのに。シンプルにストレスである。前回も書いたが森道市場を口内炎at舌で完走したようにわたしは今おそらくとんでもなくストレスを抱えている。右の肋骨の下が痛え…と思って調べてみると胃潰瘍の説ありでオイオイ…5月にかけて間違いなく負担はかかっていた。どうにか人生を預けても良いのではないかと思った求職先がゴリゴリのベンチャーだったり、自分のアシスタントにPC操作がままならない人が入ってきて一週間でやめていったり、ツッコミ、粗品に生まれれば良かった、そしたらもっと面白く切り抜けていたのではないか、しかしながらきつい、ということが続きそりゃあ肝臓の数値も悪くなる。まして小説が書けない。小説が書けないことが永遠のテーマになるフェーズに突入しており、とにかく筆を置かないためにエッセイと映画感想を書き連ねている(そろそろ、『アフターサン』の感想が書き上がる)。母に相談する。「花粉症の薬もあるやろなあ」と。確かに。あの時期わたしはステロイド漬けになる。ただそれ、毎年なんだよな。ストレス、抱えがちである。あんまり人に話せんし、人の愚痴ばかり聞いて育ってしまったから、つい聞くモードになってしまって愚痴り忘れてまた次回、そしてそれが流れる、ということが本当によくある。それが蓄積しての肝機能の数値だとしたらあまりにも嫌だ、もうどう思われてもいいからギャーギャー言いたい、助けてくれー!
いま、わたしは『水は海に向かって流れる』の実写化を観た後で、バッドに入っている。なんじゃありゃ。原作がもつ文学性とユーモアが極力削られ、何よりラスト、ラストを描くことからあの監督は逃げた。クソデカストリングスBGMで海を背景に美しい女性を映すことはべつに映画的な感動でもなんでもないでしょうよ。マジで中川龍太郎に撮って欲しかったし朝倉あきに演じて欲しかった。ここでは言いたいこと書きますよ、一番好きな漫画だし。でもあれがひょっとすると「漫画でしかできない表現」なのかもしれないなとも思った。「最高の人生にしようぜ」はあの映画の流れからじゃどうやっても出ないのだ。先週観た『アフターサン』があまりにも素晴らしかったからわたしはまた映画館に足を運ぼうと思えるが、なかなかにショッキング、これは別物…と暗示をかけている。『きみの鳥はうたえる』が早稲田松竹でかかっているが渋谷からは少し遠く断念。くー、正念場です!でもこういうところから生まれる物語があることを、わたしは知っています。