愛憎芸 #26 『壁新聞と東京タワー』
小学校高学年になったくらいのころ、わたしが夢中になっていたことといえばもちろん野球、だけではなかった。わたしは「新聞」という名目で、A3くらいの用紙に様々な書き物を掲載し、教室の壁に展示していた。所謂「壁新聞」である。発行ペース週に3度程度。思えば人生で一番文章を書いていたのはあの頃だったのかもしれない。どの学年かでは「新聞係」をできていたような覚えがあるが、係はある程度ローテーションさせなければならず、わたしは「音楽係」になったりしたがそれでも新聞を書き続けた。新聞係の妨害にならないようわたしの新聞をあくまで「音楽新聞」とした。もちろん小学生、音楽評論をしていたわけではないし、音楽の授業で必要な持ち物などの告知のような、申し訳程度のみの音楽要素しかなかった(「音楽係からのお知らせ」の名目で、新聞を作ることの許しが出ていた、ような。週3で更新されるお知らせ…)。もう15年以上前のことでほとんど覚えていない。小説「スライダ―」(主人公:松田高志。同姓同名のバタフライの選手がそのころ台頭して、競泳を見るたびにあわあわしていた)を連載していたことは覚えているが、それ以外いったい何を書いてページを埋めたのか、よく思い出せない。
このように週に何度も更新されては、壁新聞そのものに物珍しさがなくなりいずれ誰も触れてくれなくなる。それでも当時のわたしはそうとうな長さあれを書き続けて、ナンバリングが〇号、と増えるたびに快感を覚えて、それはいまの愛憎芸が26回目を数えていると気づいたときの喜びに少し似ている。わたしには反応がなくとも書き続ける才能があり、それは何年も地下文筆家として力を蓄え、いつかのその時を待ちながらエッセイや小説を発表し続ける、そういう大人を生み出した。わたしは何かしらの形で自分が貢献できていないとしんどい、だからサラリーマンをやれていて本当に良かった。そんなことを思いながら22時台の首都高速道路を走っていると、東京タワーが自分が認知しているよりもぼやけた光を放っていて綺麗だった。オレンジ色というのはなんとも絶妙で、気色悪い色になることの多いスカイツリーにも見習ってほしいわ、と率直に思う。昔好きだった人はスカイツリーより東京タワーが好きで、君はどちらが好きかと聞かれたわたしは「スカイツリーが好き…思い出が…詰まっているから…」などとセルフ郷愁モードに入ってしまい、思えばそういうところが、ちょっと違ったのでしょうね。セルフ郷愁モードは自分の心を癒すのに便利だし、エピソードトークのスイッチとしてもときに優秀なのだが相手に寄り添いにくくなる。これに切り替わる頻度を減らすためには様々な景色を見るほかなくて、今日の景色を知っていたならば、わたしはあの場で東京タワーの魅力を語らいあうカードを切ることができたかもしれない。しれない。
東京タワーが1958年竣工と知り驚く。Wikipediaを見ながら、東京タワーを作った職人も当然たくさんいるのだということを思い直す。こういうことをわたしはほんとうに忘れがちで、意識的に胸に刻んでいくしかない。もう正直、誰かの人生に思いを馳せるのがそんなに得意ではないかもしれない…と最近は自覚していて、それでもやっていくしかないわね、のモード。それを意識せずともできる人間がいることは知っている、そうでないなら意識的にやるしかない。そうすれば化学反応が起きるでしょうきっと。そうやってゆるやかに変わっていければいい。想像、する。わたしの身近には「俺が東京タワーを作った」と豪語する人はいなかったが誰かの人生にはいるかもしれない。大きいプロジェクトってそういうことだろ。母親が生まれる前からあるその塔の光を瞳に映しながら、ハンドルを左に切ったそこは谷町ジャンクションだった。夜の首都高速は車がスムーズに流れていく。それこそがわたしにとっての東京だった。スカイツリーだけが好きなのではなかった、両国ジャンクションから見る景色が好きなんだった。いつの日か見ていた景色を自分が構成している気持ちはいかがなものですか?もちろん最高です(岡本和真)!
東京タワーではなく壁新聞の話だった。あれは多分わたしがいまなお文章を書いていることの初期衝動だったのだろう。ずっと国語の授業の「つづきの物語」を書いたことがそうだと思っていた。でもたぶん壁新聞だ。壁打ちになってもかまわず物事を続けるということはそのことにそれだけ夢中になっていたから。ラジオもそうだ。誰も見てくれていなくていい(ことはないから見られる努力はする)、けれど自分の納得いくことをちゃんとやりたい。
くどうれいんさんの文章に出会った。
いまの自分のために書いてくれているのですか?と思った。くどうさんの文章は飾らないし、特異な文体というわけでもないのにずっと読んでしまう。主観と客観のバランスが絶妙だから?まだその答えは見えてこない。けれどすごく好きだ。自分が信じているおもしろいエッセイというものの基準まんまであるように感じる。日常を拾っているところとか、もろもろ。文章にすることで面白くなる世界のことを思い返しながら、それが「書き手」が介在することの醍醐味であるな、目の前のこと、全部おもしろくなるかもしれないな、と希望に満ち溢れている一方で今日は風邪をひいて一日部屋で臥せっていた。その単純でなさに人間の不完全さを見出して、コリを取るために必死に首を回しながら、この文章を書いている。