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愛憎芸 #3 『好きのもう一歩先』

 私は2019年初からTWICEのファンをしている。人に「いつから好きなの?」と聞かれたら、たいてい「2018年の紅白歌合戦でジヒョに惚れてしまって」という旨を話している。これは真実であるが、TWICEが好きな理由はジヒョのビジュアルに留まらず、ざっくりとした表現にはなるが、箱としての安定感に魅力を感じているというのがもっとも客観的な述べ方のように思える。

 9人でいるTWICEが好き。けれども、Feel Specialのラストサビのナヨンの歌唱が、まるでモーセの海割りのように私たちの視界を開いていくことであるとか、一人一人にしか持ち得ない個性が眩いほどに輝く瞬間が稀にあり、その瞬間を見ることもまた大好きであるとか、実はもっとたくさんの理由を抱えている。しかし、こういう話を共有するのは実は難しい。私たちは「好き」であることを認知しても、分かち合うことを案外しないことがある。

 ひとえに、「TWICEが好き」というのは広義である。たいてい「〇〇かわいいよね!」というビジュアルの話や、「Feel Specialいいよね!」といった固有名詞の話、いずれにせよ表面的な会話に終始する。「好き」「良いよね」の熱量の違いを明確に表すには、表情以上に言葉を要することとなる。そして両者が持てる言葉の全てをぶつけ合ったその先に存在する重なりこそ、本当の意味での共感なのではなかろうか。私たちはその続きに踏み込む必要がある。

 たとえば「ジヒョの顔が好き」という理由に肉付けをする。「ジヒョの顔が好き。ただでさえ顔がいいのに、ここ2年くらいのジヒョは表情管理がメンバーの中でもずば抜けててさすがリーダーだと思うんだよね、この動画とかさ、Talk That Talkのダンスの強度を分けてるんだけど、ジヒョは70%なのに明らかに全力なんだよね、でもこういうところが好き」

 早口とトラップビートが聞こえてくるような字面だ。誰しもこうなる必要はないし、誰しもがこうなってしまったら1日は24時間では足りなくなるのだけれど、「好き」の先にもう一歩踏み出すことはやはり楽しい。

 新入社員と北関東の現場へ出かけた。行きの車、私はその車が社有車であることに構わず音楽を流していた。音楽好きなんですか〜と聞かれてぼちぼち返す。「〇〇くんは?」と聞くと彼は自信なさげに「知らないと思うんですけど、BAD HOPっていうラップグループが好きで〜」と答えた。純朴なおとなしい男の子が!!クリーピーではなくギャングスタラップを!?もうすでに興奮してしまう。

 俺も好きだよHIPHOP、と答える。パブロも高校生ラップ選手権で見たことあるよ、と言うと彼の顔がおそらく入社後いちばん綻んだ。そして「自分の生きてる世界と全く違うんですけど、自分が経験し得ないことを成し遂げているからそこにカッコよさを感じて」と言うのである。流行ってるから好きなのではなくて明確に好きな理由があるのである、わかるよ。私も大学生の時、HIPHOPの魅力をラジオ番組で何度も伝えたことがある。韻やフロウと言った表面的なものではなく、その内面にこそあの文化の本当の格好良さは宿っているのだということを。「職場にこの話できる人が…と解放されている彼をみて、確かに彼の立場からしたら、歳の近い先輩が趣味まで近いとなるとかなり救いなのだろう。趣味は救いにもなりうるのか。

 ところでマッチングアプリの嫌なところは、自分の好きを切り売りしている気分になることだ。pairsで「坂本裕二」と誤植されたコミュニティを見て敬遠していたがそちらの方が参加者は多かった。好きを手段にすることの憂鬱は、ダウ90000の下記のコントが詳しい。

 まあきっかけは手段でも良いのだ。けれども「花束みたいな恋をした」の麦くんと絹ちゃんのように、好きを記号でのみ語るその末路は、どちらかが興味を失った時残るものがないということだ。けれども好きのその先へ一歩踏み込んでいたのならば。その背景を知った時、視界は明らかに開くのである。

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