#創作大賞2023 「AIの瞳に恋してる」第2話
すっかり冷めきった珈琲を啜りながら、画面に映し出された計算結果に目を移す。
「あと少しのような気がするんだが、どうしても感情の生成に至らない。大分ヒトらしい挙動にはなってきたと思うのだけれど。」
私のデスクトップのモニタを横目で見ていた男は、関節の部分が張り出している神経質そうな指先で、モニタに映る計算結果の途中のある部分をコツンと弾いた。
「この部分が上手くいっていないように思う。君は感情をどのように捉えている?」
コウイチは私の共同研究者で、このプロジェクトのリーダーだ。若くして国内はおろかこの分野での世界的な第一人者。伸び切った黒い髪を、ラボの冷蔵庫の横のフックに掛けられている輪ゴムで結わえたスタイルが妙に様になる不思議な男だ。
彼は、私がどう返すか悩んでいるのを察したのか、
「喜びや悲しみ、怒りや楽しいといった様々な状態があり、それらが「感情」という一つの大きな箱にでも入っていると思っているかのようなプロンプト(指示)だね。」と続ける。
「これだと、目の前で起こった事象を認識し、過去のデータを参照した上で評価し、感情のサブオブジェクトである喜怒哀楽といったそれぞれの箱に評価値を振り分けるということが、君の中で常に行われているということになる。果たして本当にそうなのかい。」
「どうでしょうか。」
「君はヒトという動物を随分、複雑に考えているようだね。案外、答えはシンプルなもので、結局のところ、感情の行き着く先は快か不快の二択しかなくて、後付けで意味づけをしているだけ、とかね。」
「―――ありがとうございます。もう少し考えてみます。」
私がそう言うと、彼は自分のラボに戻っていった。
***
「ねぇ、シェイン。このラボの量子記憶(クオンタム・メモリー)はこれが全部?」
「そうだよ、アイ。どうだい?何か手掛かりになりそうなものはあった?」
「いいえ。でも、きっとあれが博士だわ。随分若い頃みたいだけど、珈琲の好みは変わらないものね。香りが一緒だったわ。」
「なるほど。ということは、過去にこのラボにいたことは間違いないようだね。」
「ええ。ようやっと見つけたわ。」
きっとここには、何か手掛かりがあるはず。シェインと二人で今ではすっかり廃墟になってたラボ内を探していると、先程の量子記憶で見たらしき場所を発見した。
「これって、さっき見た場所だよね。」
「そうだと思う。埃だらけで印象が違い過ぎるけど。」
デスクの奥にある書棚から、落ちてしまったのだろうか、床には所々に本が散らばっている。
アスファルトに捨てられて干涸らびたバナナの皮のように見える本の背表紙を摘んで持ち上げたとき、
本の間から一枚のメモ書きのような紙切れがひらりと舞い、床に落ちた。
拾い上げて見ると、そこには―――
(註1)量子記憶(Quantum Memory)とは、物質が一定期間、同座標に存在した場合に物質自身が持つ記憶のこと。
【第三話】(鋭意制作中です。スキで応援していただけたら執筆の励みになりますのでよろしくお願いします!)