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私の就活

2007年に大学4年生になった。
実際、就活は大学3年生の2月には始まっており、
エントリーシートやいくつか会社説明会に参加。

選ぶ業界も、アナウンサー、航空業界、大手メーカー、商社など、ミーハーな自分が全面に押し出され、結構楽しく就活をしていた。

私の大学はそこまでかしこくないため、
どちらかというと一般職向きの大学。
なので、ことごとく総合職募集の会社からはエントリーシートの時点で脱落😭
唯一、地元信金(全国でみても信用金庫ランキングトップ3)は総合職として内定。
とりあえず親も私も心は安定した。

でも金融系・銀行系がゴールとは思っておらず、
愛知県出身ということもあり、絶対にト○タ系に入りたいという強い願望があった。

基本、ト○タ系の御三家(大手部品メーカー含む)は、一般職は基本短大から取っており、4大卒の私は総合職枠で受けるしかなかった。
絶対受かるわけがないと思いながらも、インターンも参加したり、総合職向けの説明会にも参加し、そこで、後々私が入社することになる人事のお偉いさんと知り合う機会があった。
(男性の中に私がいたからか?目についたのかもしれない)

今の悩みを正直に吐露。本当は一般職希望だが、4大の採用枠がないということを。
そうしたらその人は、
「そういえば今年の採用から4大の一般職も採用することになったよ」
と、びっくり発言をした。
本家も4大の一般職を採用することになったらしく、その波に乗って続々と他の関連メーカーも4大を採用することにしたらしい。
私たちの時代は、基本4大に行く人のが多く、短大人口が縮小していたのかもしれない。

なんてラッキーなんだ、私。
私の年から4大の一般職採用が始まるなんて。
就職後は、結婚して子供を産んで、長く働きながら
子育てをしていける環境に身を置きたかった。
なので総合職よりは一般職として長くゆるゆると働き続けたいと思っていた。

大学4年生の4月から情報解禁されるということを知り、常時情報をチェック。
母にも協力を仰ぎ、まずは説明会に参加するというミッションをこなさなければならない。
説明会参加者のみエントリーシートをもらえるという難儀。

申込日当日、パソコンの前にスタンバイして申し込み。
数えるほどの日程しかなく、あっという間に満席御礼。とりあえず第一ミッションクリア。
※この時代はことごとく説明会という名の第一採用試験が瞬殺で満席になるのだ。

説明会後の流れを調べると、試験も2回しかない。
SPIと適性検査、小論文、集団面接と個人面接を2日に分けて行うのだ。


私は並行して本家のト○タも受けており、なんと最終面接にまでこぎつけた。
最終では、ディスカッションや集団、個人面接があり、ディスカッションはまぁまぁよかったのだが、個人面接がイマイチだったのが、自分でもよく分かった笑。
背伸びして受けてたため、思うような回答をできなかった。

この反省を活かして、後々入社することになる我が社の面接はしっかり対策をし、かつ、自分の言葉、本音を言うと決めて挑んだ。
今思えば、嘘なんて簡単に人事の人は見破れる。
本音ベースで話すのが1番相手に伝わるということを
就活で学んだ。

面接は緊張しながらも自分の言葉で話し、
さらには個人面接はくだけすぎもいいところだったが、いい人(おじさん)にあたり、「出産しても働き続けたい」ということを伝えた。

この時代の就活の合格は電話連絡が多く、
非通知設定は絶対に取らないといけないという空気があった。
数週間後に非通知から電話。
ちょうど車の運転中で、大雨の国道を走っている最中、ハンズフリーで電話を取る。
「合格のご連絡です」
大雨で聞こえづらかったけど、希望する会社からの合格の連絡はとても嬉しかった。
「嬉しいです〜」と私が言うと、
「僕も嬉しいです〜」とノリの良い返事が返ってきた。

これは7月の話。
私の就活はこれでおわり。
他にも進んでいる会社がいくつかあったが、辞退の連絡をいくつかして終わった。
内定式まで行ってしまった、地元信金にも連絡を入れたが、決まった会社名を言うと「おめでとうございます」と言ってくれた。
どこもいい会社だな。


就職先で自分の人生が決まる。
1個決まったからって、簡単に就活をやめた友達が何人もいるけど、適当に決めてはいけないと思う。
人生悔いのないように、頑張るところでは頑張るべきだし、手を抜いてもいいところは手を抜く。

今もなお、16年目としてまだ働いている。
育休中に流行ったコロナで時代が変わり、
働き方がさらに変わった。
どんどん環境が良くなっていると言ってもいい。
辞めずにきてよかった!

これからは目まぐるしい勢いで、
さらに変わりそうな予感。
私の就活は大満足で幕を閉じた。

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