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ポケモン剣:とある心理職のホップへのクソデカ感情【前編】

 1カ月ほど前、なけなしの金でポケットモンスターソードとニンテンドースイッチを購入した。久しぶりにポケモンをプレイしたが、バトルシステムやストーリーなど、幼少期にポケモンに触れて大人になったからこそ楽しめる要素が多かった。

 その中でも私が最も感銘を受けたのは、主人公のライバル・ホップである。彼は主人公の良きライバルであり、ガラル地方のチャンピオン・ダンデの実弟である。ホップは少年ジャンプの主人公が如く明るくまっすぐな性格であり、ゲーム内で葛藤を経て成長していく姿が描かれている。しかし、彼を一人の十代の少年として考えたとき、私はホップが向き合わざるを得なかった葛藤や苦しみに思いを馳せずにはいられない。もう感情がすごい。私はホップの親か?ホップは何を思い、悩み、どのように自分の答えを出すに至ったのだろうか。

 そもそもこのnoteのアカウントを作成したのは、ホップに対する私のクソデカ感情を吐露したいという思いがきっかけである。編集者の親友とオンラインで酒盛りをしながら、あらかじめWordにまとめていた私のホップへの思いをぶちまけたところ、彼女に「その気持ち悪いまでの熱い思い、発信してみなよ」と勧められ、この文章を書くに至る。架空の人物に対する感情をここまでの長文にしたためるのは若干危うさを感じるが、情熱とは正確に言語化するほどに何か気持ち悪い感じになるものだ。ここで正気に戻った者は負けである。暇な方はしばし私のクソデカ感情の発露を見守って欲しい。私個人の偏見、独断を交え、独りよがりながら考察していきたい。

ホップのアイデンティティ

 ホップの第一印象として、私はまず、「こいつ大丈夫なんか?」と危うさを感じた。それは、ダンデへのやや過剰な憧れの強さである。ホップは兄であるダンデに対する理想化・同質化が非常に強い。公式にホップの年齢は公表されていないが、キャラクターの等身や、マサラタウンのサトシらの年齢を鑑みて、およそ10歳~13歳と仮定すると、彼は思春期に差し掛かる年齢である。発達心理学において、10歳~12歳は前思春期、12歳以降からは思春期にさしかかる時期であり、自我の芽生えによって幼児的な万能感が薄れ、現実がよく見えてくる。そのため、周囲と自分を比較し、自己肯定感が下がりやすいのが小学校中学年以降の子ども達である。

 チャンピオンの兄を持つホップの境遇であれば、ダンデに劣等感を覚えてもおかしくはないのだが、ホップは兄へ強く憧れ、まるでそうなるのが当然とでもいうように「ライバル達を倒し、兄と同じようにチャンピオンになる」と主人公へ豪語する。ハロンタウンに子どもの姿が少ないこと、バトル未経験であることを考慮すると、ホップは主人公以外の同世代の子どもと関わる経験が少なく、周囲と自分を比較する機会がなかったのかもしれない。彼の精神的な幼さや、幼児的な傲慢さはそのような社会経験の乏しさからくるものと推察される。幼児の精神世界は傲慢ながら輝かしく美しい。ホップのダンデへの憧れは、仮面ライダーに憧れる幼児の如く、純真で現実味の薄いもののように感じる。当初の彼のアイデンティティは「兄と同じようにチャンピオンになること」だったのではないだろうか。そして、兄からもらったポケモンで戦い、ホップは初めてのバトルで主人公に敗北する。主人公との関係性を考えると、何かにつけて主人公を置いて衝動的に走り出していく様子や、ポケモンをダンデから受け取る前は、主人公のことをライバルとして扱っていないように受け取れる発言があることから、これまでのホップと主人公の関係性は、決して完全な対等の関係ではなく、ホップがリーダーシップを取っていたように解釈できる。自分がリードしていたと思っていた相手に負けたこと。これはホップが初めて対面する現実である。そして、落ちてきた二つのねがいぼしを持ち、主人公とホップはそれぞれチャンピオンを目指すことを誓ってハロンタウンを出発していく。

 この日のホップの敗北は、ホップが主人公をライバルとして正しく認識した瞬間であり、本当の意味での彼の葛藤の始まりである。こんだけ書き散らしておいて、やっとハロンタウンから旅立ったばかりだが、私はもうすでに書くのがつらい。ホップの旅路での挫折を思うとめちゃくちゃつらい。子どもの挫折は成長のための必要な痛手だが、得てして子どもの挫折とは、見ている者が目を背けたくなるほどに痛切なものでもあるのだ。

 こんなところまで読ませておいて大変恐縮ではあるが、後編は更に激重の文章となっていることをご了承いただきたい。何せオタクの感情はめちゃくちゃデカいので…。ホップの旅路やいかに。後編へ続く。

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