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青天の霹靂(2/3章)/小説

◆前回のお話
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四、

 平穏な日々が続いていたある日、夜中にすごい物音がして目が覚めた。

 ――まただ。

 時計を見ると朝の三時。ペドロの部屋のほうから、数人が大声で話している声と床をドンドンする音が聞こえる。一体何をしているのか。残業続きで疲れていた私は、ベッドから出て壁を叩く気力もなく、もう一度寝ようと目をつぶった。
 
 しばらくすると、ドタンドタンという音に続いて、何かを引きずっているような音が聞こえてきた。何だろう。話し声が一段と大きくなったと思ったら、玄関のドアが開いてバタンと閉まる音がした。

 ペドロ達は外に出かけたようだ。やっと静かになって、さあ寝よう、とベットに横になると、また玄関のドアが開く音が聞こえた。数人が大声で笑いながらペドロの部屋に入っていったようだ。また話し声が続いた。

 起きてまた壁を叩くしかないか、と思ったと同時に、ピンポーンとドアベルが鳴った。こんな夜中に友達でも呼んだのだろうか。友達も夜中にドアベルを鳴らすなんて非常識すぎる。
 ペドロの部屋からはコソコソ声が聞こえるが、応える様子がない。ドアベルの音が聞こえなかったのか。
 またピンポーンとドアベルが鳴った。

 しばらくコソコソ声が聞こえた後に、ペドロが「ハーイ」と言って玄関のドアを開けるのが聞こえた。

耳を澄ますと、男性が怒っているような声が聞こえる。しばらく怒り声が続き、ペドロの「ごめんなさい」という声も聞こえた。
 ドアが閉まると、ペドロは自分の部屋に戻ってコソコソ声で話し始めた。数人のクスクスという笑い声も聞こえる。彼らの声は段々大きくなって、高らかな笑い声となった。

 ――もう我慢できない。

 寒い中ベッドから出て、ペドロの部屋に向かう。

 ペドロの部屋のドアは空いていて、ペドロとペドロの友達二人がビール瓶片手にタバコを吸いながら笑っている。

「静かにしてよ! 夜中の三時だよ! こっちは明日朝から仕事があるの」
 三人が驚いて私を見た。その目はうつろで、部屋からはマリファナとタバコがまざった匂いがぷんぷんしている。

「あーごめんねぇ」
 ペドロは、申し訳なさそうな顔をして謝る。これも口だけなのだろうか。暖房や掃除代の件でペドロに対して不信感が募っているので、謝りの言葉を素直に受け入れられなくなっている。
 数秒間、ペドロをにらみつけた後、背をむけてペドロの部屋のドアを閉めた。少しでも眠るため、自分の部屋に戻るとベッドに入った。

 数日後の朝、キッチンでカミラにばったり会った。
「ペドロ、また夜中に大声で話していたわね」
「また眠れなかったよー。もう嫌になっちゃう」
「本当、子供よね、あの人。ところで知ってた? 下の階の人がアパートの大家に文句言ったらしいのよ」
「えっそうなの?」
「なんかね、夜中に、ペドロがベッドのマットレスを五階の階段の踊り場から裏庭に落としたらしいの」
「はっ?」
 ベッドのマットレスを五階から落とすって。一体全体どうなっているんだ。全く理解ができない。

「落とした物音がすごい大きかったみたいで、下の階の人、起きたらしいのよ。踊り場に行って下を見たら、ベッドのマットレスが落ちてたんですって。」
「あ、そうか。だからあの夜、誰かがアパートに来たんだ」
「マドカ、知ってるの?」
「いや、あの夜にペドロの部屋から何かを引きずる音が聞こえて、その後にドアベルが鳴って、誰かが怒っているのが聞こえたんだ。何なんだろうとは思ってたけど。そのことだったんだね」
「頭おかしいわよね、ペドロ」
「本当だよ。なんで夜中にマットレスを落とすんだろう」

 ペドロは働き者で信心深い人だと思っていたのに。暖房や掃除代の件、今回のマットレスの件で、彼の本性がわからなくなった。


五、

 暖かくなって日も少しずつ長くなってきたある日。夕飯の買い物袋を抱えてアパートの階段を登り切ったところで、ドアから出てきたペドロに出くわした。

「はーい、マドカ! ちょうどよかったわ。伝えたいことがあったんだけど、マドカと会う機会がなくて。ちょっと急いでるんだけど。今、数分話せるかしら?」
 空色のスーツを着て黄色とオレンジ色のネクタイをしたペドロが可愛げに聞いてくる。

「いいよ。何の話?」
「実はね、マドカの部屋とカミラの部屋の間の壁を取り壊して一部屋にすることになったから。もうマドカは住めないのよ」
「……えっ?」

 壁を取り壊すってどういうこと? 住めないって? 一体何を言っているのか。開いた口が塞がらないまま、ペドロを見つめる。

「壁を取り壊すのは二週間後だから。それまでに出て行ってね」
「はっ?」
 笑顔のペドロ。二週間後って......冗談でしょ。二週間じゃあ次のところなんて見つからない。

「壁を取り壊すってどういうこと?」
「大家の都合よ」
「都合ってどういうこと? アパートの壁って取り壊していいの?」
「詳しいことは知らないわ」

  納得がいかなくて、根掘り葉掘り質問をする私。ペドロはイライラしているのが顔に出ている。私が、はい、わかりました、とすぐに受け入れるとでも思ったのだろうか。そもそも、壁を取り壊すというのが本当かどうかもわからない。

「二週間で次に住むところ探すなんて無理だよ。明日から一週間出張だし。っていうかこんな大事なこと、今、口で言われても……」
「口頭で伝えたことは、法的に有効なのよ」
「そんなわけないじゃん! 書面にして」
「いやよ。今、口頭で伝えたから。二週間以内によろしくね」
「いやいや、こんないい加減なやり方ありえないよ。私、会社の弁護士に相談するから」
 
 住むところがなくなったらホームレスになってしまう。会社の弁護士なんて存在しないのに、とっさの判断で嘘をついた。アメリカの人はすぐに訴えるからこの国では弁護士は必須、と友達が言っていたのが頭の片隅に残っていたのかもしれない。

「私、もう行くわ。じゃあ、口頭で伝えたから。よろしく」
 表情から笑顔が消えたペドロは、冷たく言うと階段に向かってスタスタと歩いていった。

 向こうの勝手で壁を壊すことになって住人に退去を依頼しているのに、二週間しか猶予を与えないなんてありえない。しかも、こんな大事なことを伝えるのに、たまたま会ったから口頭で、といういい加減な対応。今日会っていなかったらどうするつもりだったのか。それに加えて、口頭で伝えたのは法的に有効という、意味のわからない主張。
 
 こんなやり方おかしい。ペドロの話を鵜呑みにしないで、出張から帰ってきたらもう一度ペドロと話し合う。そう決めた。

 出張先では忙しくて、ホテルに帰ってくるとすぐに寝てしまい、次に住むところを探す暇のないまま日々が過ぎて行った。

 出張先から戻ってアパートの玄関を開けて中に入ると、私のスーツケースの音が聞こえたのか、キッチンからカミラが顔をのぞかせた。
「マドカ。久しぶりね」
「カミラ、久しぶり。今、出張先から帰ってきたんだ」
「あら、そうだったの。お帰り。疲れたでしょ」
「そうね。強行突破だったから、ちょっと疲れたかな。それより、立ち退きの件聞いた?」
「聞いたわ。壁を壊すなんてありえないわよね」

 立ち退きの件について、出張前日のペドロとのやり取りを身振り手振りを交えながらカミラに伝えた。私の中にまだ怒りの感情があるのを感じる。

「そんなことがあったの。ペドロの対応ひどいわね」
「だよね!」

 カミラは悲しそうにしながらも、顔には怒りの表情は見えない。

「マドカには悪いんだけど......実はね、私、婚約してね。ちょうどいいから立ち退きのタイミングで彼氏の家に住むことにしたの」
 カミラはそう言うと、はにかんで左手の薬指の指輪を見せた。

「えーーっ! カミラ、おめでとう!」
 嬉しくて思わずカミラに抱きつく。カミラも私をぎゅっと抱きしめる。

「ありがとう。彼氏に暖房とか立ち退きの件で相談している間に、もう結婚しよう、という話になったのよ。こんなに悪いことが続くってことは、別の道に行った方がいいっていうお告げなのかなと思ってね。結婚はもうちょっと後でいいと思ってたんだけど、勢いで決めちゃった。」
「うん、うん。いいよ。そういうタイミングだったんだよ」

 前にカミラの彼氏がアパートに来たときに何度か会ったが、カミラよりも年上の優しそうな人だった。二人が一緒にいると、もう既に結婚しているような落ち着いた雰囲気で、お似合いのカップルだ。

「だけど、ペドロの言っていることおかしいわね。私も、マドカが言うように、口頭ではなくてきちんと書面にするべきだと思うわ。二週間の猶予っていうのもひっかかるわね。前に友達が大家ともめたときに相談しにいっていたから、どこにあるのか聞いてみるわね。マドカも一回相談しに行ってみるといいかもしれない」
「そうだね。ありがとう。カミラが結婚するのは嬉しいけど、一緒に住めなくなるのは悲しいな。いつ出るの?」
「明後日よ」
「えっ、そんなにすぐ! 悲しいな。じゃあ、明日夕飯一緒に食べよう。お寿司はどう?」
「あら、いいわね。私、寿司好きなのよ」

 翌日、ニューヨークにある食材で手巻き寿司を作って、二人で食べながら夜中まで話続けた。

 そして、カミラが出ていく日。

 玄関の前でハグをする。カミラは、泣いている私の頭を優しくさすりながら、「一生のお別れじゃないんだから、大丈夫よ。近いうちに遊びにきてね」と言ってウィンクをした。優しそうな彼氏がカミラのスーツケースの取っ手をつかむと、カミラは彼氏と腕を組んで玄関から出て行った。
 
 夜になって、今月の家賃を払うために、ペドロの部屋のドアをノックすると、「はーい。ドア空いているから、入って」とドアの向こう側からペドロの声がした。 

 ドアを開けると、ペドロがスーツケースに荷物を詰めている。

「ペドロ、これ。今月分の家賃」
「あぁ、ありがとう」

 ペドロは笑顔でお金を受け取ると、またすぐに荷造りに戻った。

「あ......あの、領収書をもらえるかな?」
「あっ、いけない! 忘れてたわ。ごめんごめん」

 ペドロは領収書の紙を引き出しから取り出して、急いで金額と日付を書いてサインをすると、私に差し出した。領収書を忘れるなんてペドロらしくない。

「ありがとう。どっか行くの?」
「ええ、メキシコに行くのよ」
「そ、そうなんだ。楽しんできてね」
「ありがとう」

 そう言うと、ペドロは忙しそうに荷造りの続きをし始めた。荷造りに集中しているようで、立ち退きの件を言ってくる気配がない。メキシコに旅行に行くと言っているし、ペドロから催促されるまでは、立ち退きの件には触れないでおこう。ドアを閉めてそそくさと自分の部屋に戻った。

***
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・第3章


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