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自己紹介と目指す先について



どうもこんばんは。

SNSではタキエルという名前で活動してます。

最近ありがたい事に、DMやLINEで
メッセージをいただく機会が増えました。

そこでよく

「タキエルさんは今までどんなことをしてきたんですか?」

「今はどういった活動をされてるんですか?」

って質問をもらいます。ありがたし。

毎度説明してたんですけど、
毎回同じ説明するくらいだったら、
どこかに自分の過去と現在について
ざっくりまとめとけばいいんじゃね?

っていうことで、自分の過去、
SNSで活動している目的など、
そういったのをざくっとまとめる記事を書くことにしたっちゅう訳です。

ひとつひとつ細かく書いていくと
腱鞘炎になるくらい書かなきゃならんので、
ここではざっくりとまとめます。

では始めましょう。

ちなみにここからは丁寧語やめて
かなりフランクな感じで書くことにする。

なんかその方が楽。


幼少期から高校まで

生まれは大阪、育ちも大阪、まあいわゆる生粋の大阪人だ。

ただ、大阪の外の人からしたらどうでもいいことかもしれないが、
ここでしっかり弁解しておきたい。

結構大阪ってのも複雑で、外の人が思い描く大阪は
野蛮で粗暴ですぐに暴言を吐く、そんなイメージだと思うが、

それは基本的には大阪の南の方を中心としたカルチャーであって、
私が生まれ育った場所は北摂と言う、いわゆる大阪の中でも
比較的大人しい、よく言えば上品な場所なのだ。

つまり、他県の人が描く大阪とはあくまで極々一部の大阪であり、
あれが大阪のすべてだと思われるのは甚だ遺憾である。

とは言え、南大阪の人間のバイタリティや色々なセンスに関しては、
手放しにリスペクトせざるを得ない、と感じることもある。

例えば、自分は小中と硬式野球のチームに入っていたが、
南大阪のチームは異常に強い。もちろん北大阪も強いチームは存在するが、
南大阪は平均値が高いというか、全体的にレベルが高いのだ。

得てして中学生の頃までは、ヤンキーであればあるほど野球が上手い、
という謎の法則が存在しているが、それは確かに当たっていて、
その法則にならうと南大阪が強いのも頷けるのだ。

そして南大阪のチームは子どもがヤンキーだけでなく、
親までもがヤンキーと呼ぶに相応しい風貌と雰囲気を纏っている。
試合をするとき、親はそれなりに静かに見守るものだが、
南大阪のチームはもはや親の方がうるさい。

そのくらい、親が子どもに対して情熱を傾けているという事なのだろうが、
おそらく愛情だけでなく「息子をプロにして一攫千金狙い」という層が
割と結構いたように思う。
でなければ、あんなに子どもの野球に狂えない。

ってか、自己紹介のはずが南大阪の紹介で終わりそう。

脱線しすぎた。

まあでもこのままだと南大阪のイメージが悪いまま終わりそうなので
改めて言うが、バイタリティやセンスはすごいと思う。

芸人の輩出率もすごいし、今や知らない人はいないだろう、
アーティストCreepy NutsのR-指定も南大阪出身だ。
そして南大阪の野球のレベルがいかに高いかは、
プロ野球選手の出身が死ぬほど多い、という事実からもわかると思う。

で、そんなこんなで、幼少期、中学までは野球チームに所属していた。

普通は小中に硬式野球を経験していると、
高校は野球の強豪校に進むパターンが多いのだが、
自分はと言うと、大阪の至って普通の公立高校に進んだ。

理由は単純で、勉強が思いの外できたから、
野球で進学する必要がなかったのだ。

というか、野球で進学したとしても、
もしプロになれなかったりしたら人生詰みじゃね、
というぼんやりとした危機感を持っていたがために
勉強で高校に入ったとしても野球はできるしそれでええやん、
と考えた結果、公立高校を選択した。

あと、ぶっちゃけた話中学時代にプロにはなれない、
と思ってしまった、っていうのも大きい。

大阪には野球で規格外の化け物というのがゴロゴロいる世界だったので、
アホで夢見がちな小学生の時には気づかなかったが、
中学に入ると嫌でもレベルの違いを体感するので、
プロに行くようなやつに何人も出会う中で、野球一筋という選択肢は
自然と消えていったというのが正しいところかもしれない。

そんなこんなで、高校は大阪の公立高校に入った。
野球自体を辞めることはなかった。
ただ、公立高校の野球部だったので
これまで結構ガチめに野球をしていた身からすると、
なんていうか、全然大したことなかった。

実際に1年の5月からスタメンになり、
夏の大会では1番バッターを任されることになった。

しかし、夏の大会では1回戦負け。
そんな高校1年の夏だった。

野球以外と言えば、とにかく授業に着いていくのがきつかった。
言うてもそれなりの進学校に入ったし、
中学まではかなり勉強のできるやつ、
というポジションに属していたので
自分的にも勉強には自信があった。

しかし、高校というのは自分と同じようなレベルが
集まっている集団なので、その自信は簡単に砕け散った。

何と言っても入学すぐにあった学力テストで、
320人中290位くらいだったのは、それまでの人生で
最もショックを受けた出来事のひとつだった。

「とんでもないとこに来てもーた・・」

自分の世界は狭かった。
最初は負けず嫌いの性格から、何とか食らいついていったが
どう頑張ってもトップにはなれない。

なので、気づいたら、部活に全振りするような生活になっていた。

こんなことになるなら別に野球留学しててもよかったやんけ、
と今でも少し思うが、それ以上に学校生活が楽しかったので
もし今中学生に戻ったとしても、同じ道を辿ったと思う。

そのくらい、高校生活は充実していた。



高校3年の夏に野球部を引退し、そこからは周りは受験一色で、
自分も同じように大学受験に本腰を入れようというタイミングだったが
これまで部活に全振りした2年半だったので、
高1の内容ですらついていけないような事態に陥っていた。

ただ、そういった状況なのは自分だけではなく、
結構うちの高校には部活全振りマンが一定数存在してた。

そういったやつらと「浪人で頑張ればいいっしょ」と
言い合って現実逃避をしつづけ、教室で大富豪をしたり
グラビアアイドルのスリーサイズ言い当てクイズなどをして、
最高に不毛な時間を過ごしていた。

この経験からも思うが、人は自分の意思なんかより
周りの環境に大きく左右される生き物だ、とつくづく思う。

で、案の定現役時代にはセンター試験で無事爆死。
地獄の浪人時代へと突入する。

地獄の浪人時代から大学へ

自分の人生を振り返った時、絶対に戻りたくない時期は?
と聞かれたなら確実に浪人時代の1年間、と答えるだろう。

それくらい、自分にとっては死ぬほどつらい1年間だった。

大学を目指すものの、高校1年生の範囲ですらよくわかってないのだ。

ましてや大学受験レベルの問題など、
何を書いているか理解することすらできない。

しかし、なぜか自分はやればできる、という根拠のない自信だけはあり、
国立大を目指すための勉強を始めるのだった。

本当の意味で1からのスタートだった。
参考書は「サルでもわかる」というタイトルのものを使用した。
参考書にはサルが頻繁に登場し、問題のポイントを解説してくれる、
というものだ。

サルに教えを乞うまでになっていた。

1日の勉強時間は最低でも12時間、多いときは18時間はとっていた。

電車の中、風呂やトイレでも勉強した。
夜に英単語を覚え、朝に復習、そこから数学、現代文、生物、日本史、
ひたすら問題集を解いていた。

親からは浪人は1年まで、もし今年どこにも受からなかったら
その後の人生は自分でなんとかしろ、と言われていたので
プレッシャーもハンパない。もうとにかく必死だった。

受験生には当たり前かもしれないが、夢の中でも問題を解いていて、
毎日寝ている気がしなかった。

友人と会うこともなくなり、声を出すという事がほぼない1日もあった。

この1年で会話をした時間をギュッとしたら多分10時間もないと思う。

今思えば、ストレスを適度に解消するために人と話す、
というのはしておいてもよかったと思う。

そういった生活を毎日24時間続けた。

その甲斐あって、夏の全国模試では第一志望の国立大が
A判定になり、「やればできるやんけ!」と自信がついた。

ここからも気を緩めることなく勉強し続け、
センター試験の本番を迎えることになるのだが、
後がないという重圧によりド緊張。
結果、国立大はかなり厳しい結果となった。

一応滑り止めとしての私大も受けさせてもらえたので、
そちらは全部合格したが、国立は不合格となった。

高1の範囲ですら解けなかった自分にしてはよくやった方だと思うが、
不合格という現実はやはりショックではあった。

ショックと同時に、私立だと学費も高いし、
親にも申し訳ない気持ちもあった。
ただ、親からは「私立なら学費は自分で出しなさい」と通告され、
すべて奨学金とバイトで賄うこととなった。

そんなこんなで、1年の浪人生活を経て、同志社大学に入学する。

大学で燃え尽き。そしてネットワークビジネスに沼る。

死にもの狂いで勉強し、何とか大学に入ったものの、
よくよく考えれば大学で何をしたいのか、明確に考えてなかったので
入学してから目標を見失ってしまった。

そもそも学部ってのも調べたものの、そこまで興味がある分野がなかった。

唯一興味があった経営学部だけ受験することにし、
入学した同志社でもそれに準ずる商学部に入ることにした。

ただ、今の大学はわからないが入学して1~2年は
一般教養とかいう分野の授業が多く、全然興味のない
宗教学やら大学の歴史やら芸術について学んだり、
そもそも英語も完璧ではないのに第二外国語とか言って
英語以外の言語を学ばなければならなかった。

それが個人的には全然おもんなくて、
しかも教えている教授も声が小さいし講義時間も90分と長いし、
とにかく面白くなかった。

そして、1年間人とほぼ会話しない浪人生活を経たことにより、
完全無欠のコミュ障ニキに転生してしまっていたので
大学デビューの波に乗りそびれた。

気づけば完全にぼっち。
当時ネットで便所飯とかいう言葉が流行っていたが、
まじでその気持ちがわかるくらい、ぼっちだった。

なんせ食堂にはすでに大学デビューを果たし、
男女入り乱れてキャッキャしている集団しかいないのだ。

そんなところに突撃するのは
竹やりで戦闘機に特攻するも同然、爆死確定だ。

なのでできるだけ人目に付かないような場所で
コンビニパンをむさぼるようなことをしていた。

大学でぼっちになりやすい原因は、高校までのように
小さなクラス単位の授業が極端に少ない事も原因だと思う。

とは言え、数少ない少人数の授業もあるにはあったので、
1回生を終える頃には何人かとは仲良くなることもあった。

ただとにかく授業がつまらない。それはずっと感じていた。

なのでこれから大学に入る人がもしいるなら、
本当に大学、学部選びはちゃんとした方がいいと言いたい。

明確に目標がないなら、とにかく友だちを作れ。

大学は情報戦だ。

ぼっちはどれだけ頑張っても試験時に情報量が少なすぎて死ぬ。

対して陽キャどもは授業に出ていなくても、
圧倒的な情報網を駆使して試験を難なくこなしていく。

この時に人脈とコミュ力と情報の重要性を強く感じた。
理不尽だと思う事もあったが、大学以降の世の中の構造も
意外に同じようなことが言える。

社会人になれば、誰も積極的に無償で自分に何かを教えてくれる、
という事はないので、自ら情報をキャッチしなければならない。

情報をキャッチするときに、恥や外聞や世間体なんかは
気にしている場合ではない。

ただ、大学時代はそのことに気づけず
ひたすら陽キャどもを嫌悪していた。

そういったかなり暗い生活を送っていたものの、
何人かは友人と呼べる存在もいたので休み時間や講義の合間に
下宿してる家に行ったり、学内のフリースペース的なところで
だらだら過ごしていることもあった。

そんなある日、その1人から
「めっちゃおもろいビジネスあるんやけど、話聞きに行かん?」
とおもむろに誘われたのだ。

今考えれば典型的なマルチの常套句ではあるが、
当時はそういったことに果てしなく無知だったので

「おもろいんやったらええやん!ヒマやし行くっしょ!」
と軽く受けてマルチの総本山へ出向くこととなった。

そこで聞かされたのはまさにマルチもマルチで、
権利収入が欲しくないか~
誘った人も幸せになれるシステムがあって~
今やらないと手遅れになる~
といった話を延々と聞かされた。

しかし、そこでも無知さを発揮し、
「いや、ほんま最高のビジネスモデルですやん!」
「やらなどう考えても損ですやん!」
とテンション上がり倒して、
めちゃくちゃカモとして優秀なムーブをかましてしまった。

そこからはひたすらに勧誘してきた大学の友人同様、
知り合いに声をかけていった。

当然ながらネットワークビジネスを知っている人は
すぐに「それどう考えても怪しいやん。やめとくわ」
と断られたし、「そんなん辞めた方がいいで」と止めてくれる人もいた。

ただ、その時はすっかり信じ切っていたので
「なんでわかってくれないんだ!」と思っていた。

でも、だんだんとかつての友人たちから距離を置かれるようになり、
大学でぼっちだけでなく社会からもぼっち認定されるような存在に
なり始めていることに気づき、自分のやっていることは
良くないんじゃないか・・・と感じ始めた。

そして、1年ほど活動したネットワークビジネスからは
きれいさっぱり足を洗うことにした。

しかし活動時に使った初期費用の借金の返済をしなければならず、
その間大学に行くこともほとんどやめていたので大学にも
留年してしまうことになった。

この時ほど自分の人生の選択に後悔したことはない。

あれだけ努力して手に入れた学歴を簡単に傷つけ、
更には誰も幸せにできないような時間を使い、
借金だけ残るような生き方をしてしまい、深く反省した。

しかし時間は取り戻せない。
そこから心を入れかえ、真っ当に生き始めた。
学校のない時間はとにかくバイトをし続けた。
学費も稼がなければならないので、本当に毎日働いた。

それでも首が回らなくなり、
親にいくらか援助してもらった。
これも自分の中では恥ずかしく情けない過去だ。

そんなことをしているうちに周りは就職活動を始めていたが、
自分は大学の単位の取得とバイトに明け暮れていたので
まったく就活の準備をしていなかった。

気づけば本格的に就活期間に突入したものの、
エントリーシートの書き方はもちろん、業界分析や
企業分析なんかもまともにできていなかったので
とにかく数を撃って当てていく作戦を取ったが、

当然ながらそんな学生はすぐに大人には見透かされるので
採用するメリットがあるはずもなく、1社も内定が取れずに
ただ時間だけが過ぎていった。

しかし、書いていて思うが生き方下手すぎるやん。。笑


そんな感じですべてが裏目に出てしまうようなことになり、
とはいうものの何年も大学に居続けられるほど金銭的余裕もなかったので
内定は0のまま大学を卒業することとなった。

なんとか就職。しかし超絶ブラックでまたしても死ぬ。


大学を卒業してからも就職活動を続けたが、
既卒というのはなかなか厳しくて面接にたどり着くことすらままならない。

とは言え生活はしていかないといけないので、
就活の合間にバイトをしているような生活を半年ほど続けた。

しかし一向に事態が好転する兆しもないので、
就職支援スクールみたいなところに入ることにした。

そこでは社会人としての基礎知識を2週間かけて学びつつ、
最終的に10社ほどの採用面接が受けられる、というシステムだった。

そこで1社から内定をもらい、ようやく会社員として
一歩踏み出せるようになった。この時はやっと社会に認められた、
という気持ちになり、とてもうれしかったし親も喜んでくれた。

ただ、これがまた地獄の入口だったことは
このときまだ知る由もなかったのだ。

晴れて会社員になり、ここから心機一転これまでの遅れを
取り戻すべくコツコツ頑張っていこう、と思っていたが、
入社した会社はそんな希望を打ち砕く、とんでもねえブラックだった。

ただただ根性論の営業。

商品についてもセールストークについても何も教えてくれない。

むしろ社長がよくわかっていない商品を勝手に仕入れてきて、
それを売ってこい、というようなスタイル。

売り方もさることながら、商品自体がどういった特徴があって
どういう強みを持っているのか全くわからない。

なので販売元に問い合わせして、カタログを手に入れて、
そこから何とか情報を仕入れるがそれが精いっぱい。

それでいて売れなかったら会社に帰れない。

1日に1つでも売れなかったら社長から

「お前は何もできない給料泥棒だ」

と罵倒され、いつも会社からの帰り道は放心状態だった。

そんな日がつづいていたが、
自分を拾ってくれたという恩義だけ、
ただそれだけでなんとか辞めずに踏みとどまっていた。

ただ、あることが最後のトリガーになって退職を決意することになる。

ブラックからの脱出、転職そして

今の会社にはもういられない、と感じたのは1年経とうとしてた頃。

社長がよくわからん自己啓発系のセミナーにハマり、
それに強制的に参加させられることになった事がきっかけだった。

詳細は割愛するが、ほぼ新興宗教のマインドコントロールのような
時間が延々と続くセミナーだった。

これはあかん、と完全に冷めた瞬間だった。

セミナーから帰った日に転職サイトに登録した。

1年前までは就職することが目標だったのに、
もう転職するなんてさすがにどうかしている、
これ以上経歴に傷をつけたくない、と思い何度も葛藤したが、
これだけは言いたい。

経歴よりも大事なのは、自分の精神と肉体だ。
それを犠牲にしてまでやらなければならない仕事なんてものは、ない。

だから、もしこれを読んでくれている人で、
今の仕事がどうしてもつらくて辞めたいと思ってるのなら、覚えておいてほしい。

新卒で入った会社だからとか、3年未満で辞めると根性がないと思われそうとか、転職できなかったらどうしようとか、そういったことを考えてしまっている時点で、もうその場にいる必要がないサインなのだ。

自分の心が疲弊しきってしまう前に、自分の心の声に耳を傾けて、
今の環境にいるべきかどうかを一度しっかりと考えて、
もしどうしても気持ちがついてこないなら環境を変える、
という選択肢を取るべきだと強く思う。

自分も、自分の声を信じて環境を変えることを決意してから
人生は大きく好転していくことになった。

仕事の合間を縫って転職活動を行い、運良く今の会社に転職できた。

新卒での就活とは違い、転職活動は意外にもあっさり決まったので
意外にこんなものか、と拍子抜けした。

あっさり内定が出た理由は色々考えられるが、ひとつは
ブラック会社であると見切りをつけてすぐに切り替えて
行動に移している、そのスピード感を評価されたことを後で知った。

そういった意味でも、ヤバいと感じる環境は早めに抜け出した方がいい。

でないと、自分の中の常識や良識があやふやになり、
ブラックな環境でもそれが居心地よく感じてしまう事になりかねないから。

そうして、少々辞める時にひと悶着あったものの
無事ブラック企業から脱出することに成功した。

そして転職した会社は今も所属しているのだが、
働き始めてなんやかんやで今年2024年に13年になる。

社員数400人程度の、
決して有名な大企業ではないが、
これまでの環境と比べると天国のような場所だ。

更に最初に上司に恵まれたこともあって、
自分にとってすべてが新しい学びの連続だった。

これまで一切学んでこなかったセールストークの流れや
仕事に取り組むうえでのマインド、
既存顧客、新規顧客それぞれへの販売戦略、
商品販売後のアフターフォロー、
見積の作り方、
社内の人とのコミュニケーション術・・・

いわゆる普通の会社ではこういったことは
普通に学ぶ事なのかもしれないが、
当時の自分にとってはすべてが初めての学びだった。

しょっちゅう怒られたり仕事ができないと言われたりもしたが
今までの環境と比べると何てことない。
全然続けられた。

成果を上げ続けた先に見えたもの

気づけば会社員としてトータルで14年近く働いた。

2017年頃からは営業としてトップの成果を上げ続け、
気づけば最年少で管理職を任されるまでになった。

大学でぼっち、就活は失敗、最初にはいった会社は超絶怒涛のブラック企業。
そんな挫折だらけの私でも、ただしい環境に身を置き、
新しい知識を吸収し続け、実践と反省を繰り返し、
失敗しても立ち上がり続ければ必ず評価してくれる人が現れた。

そして管理職になったら給料は上がる一方で、
プレイヤーとしての仕事が減ったために仕事時間もそれに合わせて減っていった。

なので、何か空いた時間で面白いことをしたいな、
と思い、今は本業だけでなく副業としていろんな人に
人生を好転させるための手段を提供している。

人生を好転させる手段と言うのは、主に2つ。

お金を稼ぐ能力
そして、
コミュニケーション能力だ。

自分の過去の苦労と挫折は間違いなく、
この2つの能力が欠如していたことにより起こっていた。

金を稼ぎたいが手段を間違えて多くの人が周りから離れた。

コミュニケーションスキルが足りないがために、
想いや情熱、やる気はあるもののそれを上手く表現できずに

まわりから「アイツはだめなやつだ」

とレッテルを貼られる事も多かった。

これまでそれなりに結果を出してきた
部活や勉強ならコミュニケーションスキルはさほど重要視されない。

自己管理とそれに伴ったパフォーマンスを出していればいいだけだから。

また、学生の身分の場合は言っても親の保護下にあるので
金を稼ぐ能力はそこまで必要と感じたことはなかったし、
ましてやそれを磨くことなんてしようとも思わなかった。

しかし社会人になれば、急にルールチェンジが起きる。

社会人のフィールドでは、金を稼げるやつ、
コミュニケーションスキルが高いやつが評価される。

就職活動でも、まじめで真摯な者よりも、
コミュニケーションスキルが高く、話術が長けている者が勝つ。

男女関係でも、稼ぐ能力があれば多少不細工でもモテまくる。

これを認めたくない時期もあったが、
抗いようのない事実なので、もはや受け入れるしかないのだ。

しかし、現実は非情でそういった能力に長けているものが
決していいやつであるとは限らない。

いやむしろ、狡猾でサイコパス気味なヤバい奴の方が
何かと世渡りが上手くなるようにできている。

そういった状況に対して、非常に歯がゆい思いがある。

自分はそういった人間になりきれなかったからこそ
これまで苦労してきたし、つらい経験を繰り返してきた。

でも、そういった人間にならなくても、ちゃんと正しい情報を受け取り、
正しい環境で正しく学び続ければ、社会で結果を出せる人間になれる、
ということを自らの体験を通し証明してきた。

結局何が言いたいかというと、
根はいいやつだけど、コミュ力とか稼ぐ力とかが乏しくて
人生に苦労している、かつての自分に似たような人の人生を
1人でも変えていきたい、と思って今SNSを活用している。

てか自分で根はいいやつと言ってるようなもんだなこれ。

いやでも、多分いいやつだと思う。笑

結婚式に誘われたら断ったことはない。

かれこれ40~50回は行った気がする。

本当は断っても良いのもあったけど。

なかなかそういうのって断れないんだよね。

いいやつなのか、都合のいいやつなのか議論が分かれるところだが、
まあいいやつということにしておいてほしい。

さて、話は逸れたが。

そういった思いで、1人でも人生をよくさせる事ができれば、
こうやって発信していることに意味があるので、とてもうれしい。

というか、実際にこの1年間で90人ほどと関わり、
実際に収入を増やさせることに成功したり、
会社員としてスキルを向上させた人も出てきている。

そんな活動をしている中で感じた事がある。


今日本では会社員だけの収入ではまともに生活できない、
副業が当たり前の世界になりつつある。

というのは大体の日本人が聞いたことがあり、
実際に肌で感じている社会の変化だと思う。

それでも副業をしている人は社会人の10%程度、という統計も出ている。

これに関しては私が思うに、
単に情報リテラシーの欠如という問題ではなく、

今の仕事がつらくてしんどくて、副業どころじゃない、

という状況の人が多いから、
という事に少なからず原因があると考えている。

現に自分もそうだった。

前の会社で過酷労働を強いられていた時は、
「副業」をしようと思ったことなんて1ミリもなかった。

今の会社に転職できてからも、
ちゃんと安定した成果を出し続けられるようになるまでは、
副業の存在と重要性は理解していてもやろうと思ったことはなかった。

そういった経験もあり、今副業に取り組めないのは
まずはしっかりと地に足をつけられるように仕事ができ、収入がそれなりに安定してからでないとなかなか難しいものだ、と思っている。

だから私はまず、
今の仕事を楽に成果が出るようになるか、
今の仕事を続けながらもできるような副業への着手、あるいはその両方を推奨している。

それができるような発信をこれから続けていきたいと思っている。

何度も言うように、過去の自分のような人間を
本気で救いたいと思っている。いやまじで。

でないと、今のままだと世渡りだけは上手い
というやつだけが甘い汁を吸い続けてしまう。

本当はもっと実力もあるし、誠実な性格で、
真面目な人に光が当たるような世界にしたい。

もし今くすぶっていたり、
本来の自分はもっとやれるはずと思っていたり、
もっといい会社に転職したいと思っていたり、もっと社会に認められたいと思っていたりしているなら、私のこれからの発信を見て、何か1mmでも学びになれば幸いである。


というのが私のこれまでと、今目指していることについて、だ。


ていうか長すぎるわ!

文字数見たら10,000文字超えてるやんけ!
どうりで指が痛いおもたわ!!


でも、まだだいぶ言いたいことはしょった。

他にも伝えたいことはあるが、それはまた別の機会に。


長文失礼しやした。





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