【読む焚火 その11】森、ダンスフロア、居酒屋、焚火。
昨日友人の経営する居酒屋に行きました。
すごく安くて、大勢の人達が一緒に(ギュウギュウに)飲める大衆居酒屋。
そこで、僕はなぜか「焚火場」を感じました。
不思議に感じているんです。
で、思った。
どうも自分は、どっぷり自然の中よりも、
街の雑踏にもってかれる傾向、というか、
街の雑踏の中に何か森を見ているような傾向が
あるな、と。
当たり前と言えば当たり前で、
よくよく考えたら自分は人への興味(元々は恐れと怒り)から対話の中にダイブしている感覚があって。
それに、僕の中では、
若い頃にクラブでスピーカーの前で爆音に包まれていたことと、焚火を前に佇んでいることとあまり違いが無くって、同じく「対話」なんだと、普通に思う。そしてそれを職業的に表現するならば今の仕事のようになったりもする。
そして、自分は、街と森を分離させたくない。
街は街だし、森は森だし、
焚火の時は静かにしたいし、音楽でダンスしたい時もある。
ただ、そこに自分が自分の足で立ったり、
踊ったりしていることが重要で。
誰かにそうさせられてるんじゃなくて。
五感を使いながら。
僕にとっては、
森の静寂と2001年のUnderworld日本公演の陶酔と昨晩の大衆居酒屋が、
時間越えて溶けて混じってる。
みたいなことを糸口に、
対話を増やしてって、老いも若きも、
それぞれが、1人で始めるしかない人生を1人で始める時に、
「一人だけど、焚火(居場所)はあるよ」
という感じで火守をしていたい模様。
森もダンスフロアも居酒屋も、焚火場。
火守がいれば。
みたいな。
てなことをメッセンジャーグループで書いたら、関東在住のたき火ティーの火守と、
20年前の同じ日にどうやら東京で同じフロアで踊っていたことが発覚した。
ほら見ろ。
焚火の輪っかの中で、すべてが繋がっている。
と、
僕にはとても大事な友達が、伝えることを伝えられるように、短くちゃんとnote書きな、って言ってくれたので書いてみた。長いけどな。
そして、写真は自分ではない。
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