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森とのアポイント(とGPT)

今週、最初っからなんか変な感じがあった。自分が参加しているオンライン会議の録画を見ていて、自分のせわしなさ、動きにすごく変な感覚を持った。「何かおかしいなあ」とは思っていた。翌日、やっぱりモヤっとすることが起きた。

「ああ、やっぱり。」と思う。これはよくない。一度撤退(リトリート)だ。そう思って、午前の予定を変更し、「森」にアポイントを入れることにしました。

お久しぶり。新緑ね。

久しぶりの近所の森。新緑、眩しス。仙台は1週間後に「緑化フェス」で盛り上がっていますけれども、森は誰に言われるまでもなく「緑フェス」です。

真ん中に吸い込まれますな。

体をはい回る蟻と戯れながら、2時間ばかり、しばしジーっとする。ふいに木々の枝に興味を持った。

何か、幹の肩にちょこんと乗っかっているだ。

同じ木の枝なのは分かるが、何か、誰かの肩にでものっかるように見えた。
ふと思う。枝はいつ枝になろうと思うんだろうなあ。そして幹の方はいつ枝を生やそうと思ったんだろう?幹はこれ、どんな気持ちなんだろうなあ。

なんのこっちゃ、だが、そう思ってしまったんだもの、仕方がない。そんな風に木々を眺める。

この子は随分とねじれたものだなあ。誰かさんのようだ。

樹形図ちゃん。

樹形図の見本になった、みたいなやつもいる。樹形図はちょっと違うか?

ザ・枝。

ザ・枝、って感じのやつ。

2人で1人、の木

この子は2人で1人?いや、何人?擬人化したあたりで、次第に思い始める。「木」って何?(笑)。

そもそもこの子たちの根っこは、見えていない地面の中で「幹と枝関係」以上に、なんか枝も幹も根もなく果てしなく拡がって繋がってるのよなあ。「何人?」どころか、地下に張り巡らされた無数の根っこのニューロンの網の上に乗っかっている自分。そうだよ、今、自分は神経細胞の上を歩いて乗っかっているんだった。この小山が一つの生き物だったねえ、と理解する。そんな事言ったら、この小山、毛穴ほどの大きさも無いにせよ地球の表皮でもあるけども。※余談だが、この小山がネバーエンディングストーリのモウラ(でっけーカメ)のように動いたら愉快なのになあ。

閑話休題

そして、不意に湧いてくる思い。この子たちはきっと、自分よりも、ゆっくりとした、大きな、何と言うべきか「拡がった時間」の感覚の中に生きているんだろうなあ、と。そして、自分よりもずっと長く世界に在るんだろう。なんだかそれは羨ましいなあ。

長く?いやいや。自分が感じているこの「長さ」と、この子らの「長さ」はきっと違う。いや、違わなくて一緒か?違う時間の流れの中で、同じように流れているって感じか。だから、木にしてみれば森にしてみれば、「いや、一生とか、時間の感じ方は、お前と大して変わんねーから」という感じだろうか?

そして、そうなんだね、なんにせよ、そんな別の時間の流れが、たまたま、今ここで出会っているんだなあ、と。どうですかねえ、人間の1分て、木の時間で言うとどれ位なのかなあ。コンマ数秒って感じかなあ。なんだか前提が全然違っている者として、自分はこの森に今いるんだなあ。森は乗っかられていることすら覚えてないんだろうけど。今、自分の体を自在に動き回っている蟻たちを、自分が気にも留めないように。

蟻の世界の緑化フェス。会場入り口付近。

出会っている。ただ、まったく違う世界、まったく異なる前提の上にのっかって。おやおや、これ、もしかして人間同士も一緒じゃないか、と思う。まったく同じ種族の、結構近しい動物のように見えて、まったく違う前提を生きている。せいぜい似ているのは、地球の上に立ってるってこと位で。

そうだね。自分たちは、他人をまったく分かり合っていない。そして好きだの嫌いだの、訴えるだの訴えないだの、結婚するだの離婚するだの、幸せだの不幸せだの、上場するだのしないだの、飲みに行くだの行かないだの、正しいだの正しくないだの、と言っている。おう。わからないことばっかりだよ。ふう。

それにしても風、すごい風。すごい音。風って、例えば葉っぱとか、もし物がなかったら音がするんだろうか?

まあ、わからない。何がなんだか分からないから、わざわざ森と対話をしに、アポをいれてここに来るんだろうねえ。

なんとなく、詰まりが流れてきたのだろうか?どうかな。よくわからない。とはいえ、時間は流れているし、空気も流れている。風は吹いている。流れは、流れそのままに流れている。とりあえず、流れそのままに流れていけばよい。では。

と、特にオチがなかったので、この文章をchatGPTに論評してもらいました。

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以下の文章を論評してください。

「この文章は、自然に身を置くことで、人間の感覚が豊かになることを表現したものです。文章の流れは、最初は忙しい日常に疲れ、撤退(リトリート)して自然の中に出ることを決断するところから始まります。森の中で木々を眺め、自分の身体感覚や周りの自然に気づきを得て、自然界の時間の流れや生命の循環に思いを馳せるようになります。
文章は、自然の美しさや不思議さ、そして自然に包まれた心地よさを、豊かに表現しています。著者は、自然に身を置くことで、人間が持つ感覚や感性が磨かれることを伝えており、読んでいる人にも同じような体験を味わってほしいという思いが感じられます。
一方で、文章の中には、主に木々について語られる箇所が多いため、読者によっては少し退屈に感じるかもしれません。また、文章の前半と後半でテンポが異なるため、流れがつながっていないように感じることもあるでしょう。
総じて、この文章は、自然に親しむことの大切さや、自然が人間にもたらす様々な恩恵を表現している素晴らしい文章だと言えます。」
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チーン。



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