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「人と人」「人と火」

Yukiさんの下記の記事を読んで、なるほどなと思うところがあったので、私も忘れないうちに、今感じたことを書いておこうかと思います。

Yukiさんのような文才はないので、そこはご容赦ください。


私も結論をすぐに求めるようなせっかちな人が苦手です。
なんそんな急ぎよるん?もっとのんびりいこうよと思っちゃいます。

で?で?
って迫って来られちゃうと、もうどうでもいいよってそっぽ向きたくなっちゃいます。


今は昔と違って、車もあるし、新幹線もあるし、飛行機もある。
仮に直接会えないにしても、電話やビデオ通話で話すこともできる。

人と人のコミュニケーションにかけられる時間でいえば、昔の人たちよりも今の私たちのほうが時間があって恵まれているのではないでしょうか。

時間があるんやし、そうそう急ぎなさんな。
タキビストとしては、のんびり焚き火でも囲もうぜって話ですよ。


「わかりやすさ」を求めがちっていうのも、焚き火に置き換えても想うところがあります。

火着きがよくて長く燃えるような着火剤、簡単に火がつくライターやガスバーナーなど、「火のつけやすさ」を求めると色々と便利な道具があります。

もちろん、時と場合によっては、そういう便利な道具も使います。

けど、時間があってのんびり過ごせるときは、「火のつけさすさ」は求めずに火熾しを行います。

現地に着いたら、まずは自分の足で歩いて、乾いていそうな杉の枯葉や小枝を拾い集める。
地面の枯葉をかき分け、穴を掘り、リフレクター代わりの石を積んだりして焚き火場を整える。
そして麻ひもをほぐせばようやく準備完了。
ファイヤースターターで、ほぐしてほわほわにした麻ひもに火花を飛ばし、その火種を徐々に徐々に大きくして焚き火を育てていく。

何でそんなめんどうなことをするのか?

それは、この過程が好きだから。

どうやったら火がつきやすいかな?さっきは何で消えちゃったんやろか?
この拾い集めた木の枝は何の木だったのかな?(見ても考えても分からないことが多いけど)

こういうことを色々と考えながら火を熾すと、より一層その焚き火に愛着が湧きます。

人も同じじゃないですかね。
わかりにくい人、物事でも、こうやって色々と考えたりやりとりしていくうちに、仲良くなったり愛着の湧く道具になったり。

色々やってみた結果だめだった、仲良くなれなかったそういうことも多々あるとは思うけど、それはそれで自分の経験となるし、まったくの無駄ではないと思う。

焚き火でも、いくら熱を当て続けても、全然炎があがらずにくすぶるだけで煙たくてしょうがない薪もありますからね。


ちょっと上手にまとめきれないのですが、私が感じたのはこんなところです。

人と火、漢字似てますね。
人と人、人と火の関係も似ているのかもしれません。

わかりにくくても、火がつきにくくても、それを乗り越えられたときには、どちらもそれまでの過程も含めていい関係になれるのではないでしょうか。

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