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【短編小説】ハーモニー

 和江お姉さんは相対音感というやつをもっているようだ。
お姉さんはどんな音階に対しても、瞬時にハモることができるのだ。
だから私は毎日でたらめな歌を歌っている。
でたらめなメロディーを何回か歌っていると、和江お姉さんがそこにハモってくることになる。
そんな遊びを、もう10年以上もやっている気がする。
いつも、ホテルの部屋のなかで。
黒いワンピースに白いエプロンという揃いの衣装で。

ふたりでベッドカバーを替えながら、掃除機をかけたり、拭き掃除をしたり、タオルを替えたり、アメニティを新しくしたりしながら。
伝統と格式のある、この帝王館ホテルで。
私たちは、客室清掃員なのだ。

和江お姉さんが43歳、私が41歳。
いい年をしてなにをやっているのかと思われるかもしれないが、歌でも歌っていないと単調なこの毎日をこなしてゆけないのだ。
「きょうもきれいね、おひさま鳥はー」
 私がいつものようにバスタブを洗いながら歌っていると、和江お姉さんが物言いをつけてくる。
「ちょっとまって、緑さん。おひさま鳥ってなに?」
「おひさま鳥はおひさま鳥よ。こう、おひさまの鳥みたいなやつよ」
 和江お姉さんは一瞬思案したのちに
「鳳凰みたいなやつってこと?」
 と訊いてくる。真面目なのだ、和江お姉さんは。
「そうそう、それよ。鳳凰みたいなやつのことよ」
 実際には私の歌の歌詞に、意味なんてほとんどない。

それでも数分のちには、私たちはハーモニーを奏でている。
「きょうもきれいね、おひさま鳥は
 くるくる回ってまた回る
 かっとばせー、鳳凰
 寝なけりゃ食べちゃうぞー」

 ふいに入り口のあたりでくすくすと笑いをこらえる声が聞こえたと思ったら、ドアのところにコンシェルジュの小山内さんが立っていた。
私たちは動揺を隠せない。
なんせ小山内さんは帝王館ホテルいちのイケメンなのだ。

「いい歌ですね。素晴らしいハーモニーだ。歌詞もすごくいい」
 小山内さんは褒めてくれた。
ありがとうございます、と、私たち姉妹は頭を下げる。
恥ずかしい。頬が熱くなってしまう。あんな適当な労働歌なんかに。

「あのー、噂になってます。おふたりの歌のことは。それで、ちょっとお願いがあって」
 イケメン小山内のお願いを無碍に断れる私たちではない。なんでしょうか、と、かしこまった。
「うちのホテル、結婚式場もやっているでしょう? 新しいサービスを提供できないかと考えているんですよ。で、ホテルから新婚さんへのプレゼントとして、おふたりに歌をお願いできないかと思って」

 私はとても驚いた。なんというか、私たちの歌はそんな晴れがましい席でご披露するようなものじゃないのだ。
「私たちの歌なんて、ただの素人の遊び歌ですよ。とんでもないことです」
 和江お姉さんは言った。ところが小山内さんは相当に思い入れがあるようで、なかなか譲らなかった。

「おふたりの歌は本当に素晴らしいです。プロ並みです。ザ・ピーナッツも顔負けです」
 ザ・ピーナッツ? 小山内さんは30代の半ばくらいであろうに、なんでザ・ピーナッツなんて知っているんだろう、知っててもここで引き合いには出さないよね、と私はとても可笑しくなってしまって、真面目な顔をするのに必死だった。

「もちろん清掃の持ち場は減らします。ほかの従業員を入れます。作詞作曲の準備や歌の練習もあるだろうから」
 さくしさっきょくのじゅんび? 私はこらえきれなくなって笑いだしそうになったが、和江お姉さんに脇腹を小突かれる。
「ワンステージいくらでボーナスも出します!」
 イケメンの小山内さんにここまで言われて、断れる私たちではない。結局引き受けてしまい、数週間後にはピンクのロングドレスを着て、舞台に立っていた。

「雪乃さん、おめでとう
 孝之さん、おめでとう
 とってもとっても素敵なふたり
 なんてお似合いなのかしら
 いついつまでも、いつまでも
 仲睦まじく、しあわせに
 楽しい家庭を築かれますよう
 うんとお祈りいたします」

 ステージが終わったあと、裏で衣装から制服に着替えながら、和江お姉さんはめずらしく不機嫌だった。
「なんで私たちがあんなに若いカップルをお祝いしなくちゃいけないのかしら。こっちは結婚のけの字すら、いまだに浮かばないっていうのにさ」
「お姉さん、それは言いっこなしよ。こっちは仕事でやってるんだから」
 私は和江お姉さんを慰めた。

 そんなこんなで、客室清掃員と歌うたいを掛け持ちでやって3か月ほど経ったある日、また小山内さんがやってきた。
「素晴らしいです。おふたりの歌、とっても評判いいです。帝王館ホテルで結婚式を挙げたいというカップルも増えました」
 どうも私には、それだけのことをやったという実感がないのだけど、小山内さんはべた褒めしてくれた。

そしてこんなことを言い出したのだ。
「今後、帝王館ホテルもネット配信で宣伝を打っていこうと思うんです。おふたりにはぜひ、ホテルのウエディングソングを考えていただいて、歌っていただきたいんです」
 私は和江お姉さんの顔をちらっとみた。やはり難色が浮かんでいる。
小山内さんは引き下がらなかった。
「まあ、プランを聞いてください。宣伝は何パターンか撮ろうと思っているんです。そのうちのひとつで、おふたりにウエディングドレスを着ていただいて、バージンロード歩いて指輪の交換をするっていうのをやりたいんです。ミュージカル調に、歌いながら、華やかに」

 お姉さんと私は顔を見合わせた。ウエディングドレス? この私たちが?
「あまり予算も掛けられないので、僭越ながら新郎役は僕、小山内と、帝王館ホテルいちのイケメンと言われている安藤という男がいるんですが、そのふたりでいかがかなと思っているんですが。どうでしょう」

 私とお姉さんは顔を見合わせたのち
「やります! ぜひやらせてください!」
 と答えた。
そんなわけで私たちはいまや、帝王館ホテルのちょっとした顔となったのだ。

《了》

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