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【エッセイ小説】ろくでなしたちの狂想曲 物書きゼロ号
宮崎天音は子供が苦手だ。さいわい、なのか、子供を産むことなく、女としての人生は終わりそうだ。そのことにちょっとほっとする。「幸せの象徴」としての子供をもつことに憧れを抱いた若い頃もあったけれど、そんなことで産み落とされたのでは、あんまり子供がかわいそうだ。子供の人生は、親のアクセサリーや優越感をもたらすものなんかではないのだから。
天音が子供が苦手なのは、その眼差しが怖いからだ。透き通るような濁りのない瞳で、彼らはなにを見ているのか。
天音のすべてを、人間としての自信のなさや、器の小ささ、ずるさ、卑怯さを、見透かされているような気になってしまうから、怖いのだ。
子供たちはそれを言葉にはしない。ただ、じっと見て、察しているだけで、なにも言わない。だから余計に恐ろしい。
『ピーター・パンとウェンディ―』という児童文学作品が、小学生の頃、大好きだった。ピーター・パンのお話を知らないひとは、ほとんどいないのではないかと思うけど、もともとはロンドンで人気の演劇作品だったのだ。公演を繰り返すたびに、物語はブラッシュアップされ、それを文学作品にまとめたのではなかったか、と記憶している。
作者であるジェームズ・バリは、子供向けの作品の前に、ほんの少しだけピーターの原型のような少年が登場する、大人向けの作品を書いている。
なぜ、ピーター・パンはおとなにならないのか。永遠の少年でいられるのか。その理由が、児童文学作品のなかに書き綴られている。書籍が手元にないので、記憶をたどれば、要は、ピーターは、学ばないから子供でいられるのだ。
普通の子供(おとなになってゆく子供)は、おとなから理不尽な扱いを受けると、そのことを決して忘れない。
理不尽な扱いをしたそのひとの前で、彼らはその後、もうもとの子供ではない。そのひとに対してなにか言うことはなくても、彼らは変わってしまうのだ。それが「学ぶ」ということだ。
ピーターは学ばない。すぐに忘れる。ピーターは実になんでもすぐに忘れる。永遠に子供でいられるネバーランドに、あちこちからピーターが連れてきた子供がたくさんいるけれど、彼らは学ばない。すぐに忘れる。恍惚として、ぼーっとしているのだ。
もはや、永遠に子供の国、なのだか、頭が弱ってきた老人たちの国なのか、よくわからないさまになっている。
そのなかで、ウェンディ―だけが、魔法がかかりきっていないのだ。
彼女はピーターを夫に見立て、たくさんの子供たちを自分の子供に見立てて、おままごとを始めるのだけど、ピーターにとってはそんなのはめんどくさいので、相手にしないのだ。
ピーターときたら、ウェンディーの名前すら覚えていないときがあるので、彼女はダメ夫にいらいらしだす。
ウェンディ―だけが魔法にかかっていないから、やがて彼女とその弟たちは、現実の世界に帰ることになるのだ。
そんな作品に書かれたことが忘れられないから、天音は子供が苦手なのだ。
天音が、子供が苦手な理由はもうひとつある。こっちのほうが、たぶん大きい。
天音は幼少期に自分が考えていたことを、わりとよく覚えているのだ。
その理由として、日記をつけさせられていたことがあると思う。
母は、天音に毎日、日記を書くように命じた。幼稚園に入る前から、小学校一年まで、天音は毎日、日記を書いていた。
「日記をつけていたからよく覚えている」と言っても、日記に書いた内容なんてすっかり忘れてしまった。実にろくでもないことしか書いていないからだ。
日記のなかで、天音は良い子でありつづけた。なぜなら、毎晩、母が日記を読み、厳しく添削したからだ。
「〇〇ちゃんとけんかした。〇〇ちゃんなんてだいっきらい。」
そんなことは日記に書けない。
「お母さんが自分の都合で怒った。ほんとうに腹がたつ。そういうとき、お母さんは『マクドナルドに行きましょう。』って絶対言うから、わかるんだ。
ほんとうは、『ごめんね。』って言ってほしいけど、そんなこと言えないよ。マクドナルドで和解しておかないと、私は生きていけないし。食べ物で子供が釣れるとか、思わないでよね。
でも、マクドナルドに行っても、やっぱりお店で食べるのは許されてないし、いっつもお母さんは言うの。『フィレオフィッシュにしなさい。フィレオフィッシュ以外は美味しくないから。』って。
自分で選びたいよ。なんでお母さんが決めるの?」
そんなことも書けない。
「美術館に行きました。おとながいっぱいいて、すごく混んでてつぶされそうだった。絵なんて見ててもつまらない。
特に、国展に出てる、お母さんの先生の絵はぜんぜんわからない。真っ黒で、ちっちゃい仏像が立体でひたすら並んでて、気持ち悪いし、すごく恐い。
でも観終わったらお父さんとお母さんに感想を求められるから、ふたりの気に入るようなことを言わなくちゃ。怒られるし、嫌われるし。そんなのつらいし。
もっと、動物園とか、遊園地とか、おそとごはんとか、そういうところに行きたいのに。
映画だって、字幕の外国の暗い映画じゃなくって、アニメのやつが観たいのに。みんなはやってるのに、美加ちゃんちはそうなのに、なんでだめなの? うちだけ、だめなの?」
そんなことも書けない。
「もっと女の子らしいことしたい。髪の毛伸ばしたい。結ってもらいたい。なんでショートカットにお母さんは切っちゃうの?
ピンクとか、白のかわいいお洋服が着たい。なんでいつも、グレーとみどりばっかりなの?
男の子にきょうも間違われて、かなしい。」
そんなことも書けない。
「お母さん、私が小学校にあがるのに、黒のランドセル買うって言ってる。なんで? 女の子はみんな赤いランドセルしょってるのに、私は赤がいいのに、なんでそんなこと言うの?
ひとりだけ黒なんて、絶対いやだ。」
そんなことも書けない。
「お母さんは、私がとっても喜んでいるときに、『興奮してるのよ。』って周りのひとに言う。私が怒っているときには、『眠いのよ。』って言う。
ちがうもん。喜んでるから、喜んでるし、怒ってるから、怒ってるんだもん。眠くなんかないもん。」
そんなことも書けない。
「おばあちゃんは、私が産まれたときのはなし、すぐする。『お母さんはあなたの顔を見て、ほんとうはお父さんに似た大きな二重の眼と、お母さんに似た筋の通った鼻をもった、可愛い子が産まれるはずだったのに、って言って、ため息をついたのよ。』って。
あとおばあちゃんは『赤ちゃんの天音を見て、あら、この子、顔にごみがついてる、と思ってこすったけど取れないの。天音のほくろを、ごみだと思ったのよ。』っていうはなしも好きなんだ。
げらげらげらげら、笑うんだ。
やめて、って言えば言うほど、おばあちゃんは面白がっておなじはなしばっかりする。もう百回くらい聞いた。お母さんも、おばあちゃんも、だいっきらい。」
そんなことも書けない。
「お母さんは、私と妹の優菜が喧嘩して、優菜が泣いたらぜったい私を怒るんだ。『言い訳は許しません。泣かせた天音が悪い。』って。
なんでごめんなさいしなくちゃいけないの?
優菜は知ってるよ? わかってるよ? いくら分が悪くても、泣いたらぜったい、勝てるんだって。
なんでそれが、お母さんにはわからないの?」
そんなことも書けない。
ちなみに優菜は、四十を越えたいまでも、都合が悪くなると絶対泣く。天音のほうは、もういい加減うんざりなので、泣けば泣くほど許さない。
「お母さんはお風呂で身体を洗ってくれるとき、私の股の間を、ものっすごくきつく洗う。痛いよ! って叫んでも、絶対痛くする。
なんで? 恨みでもあるみたいに。ほんとうにやめてほしい。お風呂に入るのが、毎日怖い。」
そんなことも書けない。
「お父さんは……私、ほんとにお父さんの子供なのかな。全然似てないし、いつも難しい顔して不機嫌だし、しゃべんないし、遊んでなんてくれるわけないし。
お母さんがなんでお父さんなんかと結婚したのか、全然わからない。」
そんなことも書けない。
そんなことを書く代わりに、天音はいつも『楽しかった。』『おもしろかった。』と日記を結ぶ。
嘘っぱちの日記を書くから、天音のこころに、誰にも言えなかった自分の暗い側面、不満や愚痴や、その他の汚い側面を、いつまでも忘れられない。
A面の裏のB面だけを、天音はずっと忘れない。
幼稚園の頃、天音は一作だけ小説を書いたことがある。
その内容ははっきり覚えている。なぜなら母親に否定されたからだ。
フィクションのなかにこそ、ほんとうが現れる。天音はもう二度と、小説は書くまいと思った。
いま思い返しても、幼稚園児が書いたとは思われないような内容で、びっくりしてしまう。
そしてその頃の天音が、ほんとうに溺れていたのだということがよくわかる内容だった。
それはこんなおはなしだ。
主人公の女性が、赤ちゃんを抱いてバスに乗っている。しばらく乗っているうちに、赤ん坊がぐずりだし、ついには泣き出した。周りのひとたちは眉を顰め、ひそひそと悪口を言う。ついには男に、「降りろよ!」と言われてしまうのだ。
いたたまれなくなった彼女は、目的地まではまだなのに、バスのチャイムを鳴らす。逃げるようにバスを降りようとするけれど、去り際に、運転手に「助けて。」と目で訴えるのだ。
無情にも運転手も助けてくれず、彼女は子供を連れてバスを降りる。目的地までまだ遠いのに。路上に赤ん坊と取り残されて、去り行くバスの後姿を見ている。
哀しみが込み上げてくるけど、自分ひとりでなんとかするしかないのだ。
おしまい。
そんな天音の小説を読んで、母は
「なにも言わずに助けてもらおうなんて、あまいんじゃない?」
と言った。
天音は、自分の卑怯さを胸に焼き付け、もう小説は書くまいと思った。
それから長い時間が過ぎて、天音は小説を書き始めた。
最初は明るくて希望のある、夢みたいなはなしをずっと書いていた。それこそなにもかも、オールハッピーエンドな恋愛ものばかりで、ものすごく下手くそなハーレイクイン小説みたいだった。
当時の天音の抱える闇とのコントラストがすごすぎる、と友達に言われたけれど、闇のなかにいるから、光しか書きたくないのだ。
長いトンネルを抜けつつあるのだと、いまやっと思える。闇も光もすべて抱き込んで、ほんとうの愛を教えてくれたひととともに、命尽きるまで書いていきたいのだ。
〈おしまい〉
お読みいただきありがとうございました!