
【短編小説】のばらの犯した罪とつぐない(2/2)
「佳代ちゃーん? いるー?」
男の声だ。三十そこそこといったところか。
「いるよー。なあにー?」
のばらが答える。
宇野佳代の言葉遣いも、この男との関係性もまるでわかっていないのに、ここは出たとこ勝負だとやってのける。
小松原は、さすがはエカテリーナのばら様だと思った。
のばらがドアを開けると、短い髪を金髪に染め、ダウンジャケットを着た男がにこにことして立っていた。
「なあに?」
平静を装っているが、この男の名前すら知らないのだ。
内心はびくびくものである。
「佳代ちゃん、大根いるかなあと思って。親父の作った、いつものやつさ。形悪いから売り物にはならないけど、味は変わらないから」
男はビニール袋に大根をたくさん詰めて、立っていた。
「あ、ありがとう。こんなにたくさん」
「なあに。この間のパウンドケーキのお礼だよ。美味かったなあ、バナナとくるみのパウンドケーキ」
宇野佳代め! そんな女子らしいものを配り歩いていたのか! と、のばらはこころのなかで舌打ちしたが、表向きは平静を装い
「たいしたことしてないのに、返って悪かったね。今度、大根餅でも作って持っていくね」
と言った。
「わあ、楽しみ! じゃ、またね」
と、男が帰り、扉を閉めたあと、小松原はのばらに向かって
「のばら様、キャラを変えられたのですか? でも、あんなに調子のいいこと言って、大丈夫でしょうか」
と言う。
のばらは
「大丈夫かどうかは、あなたに掛かってるのよ、小松原。いますぐあの男を追って、どこの誰なのか、どこに住んでるのか、確認してきなさいよ。宇野佳代との関係性もわかればなおいいわ」
と言い放った。
はあ、と肩を下げて、小松原はドアをすり抜けていった。と思ったらすぐに戻ってきて
「二〇一号室に住んでいる、袴田漣という男のようですね。おそらく宇野佳代とはご近所さんというだけで、特別な仲ではないのでは。一〇一号室の中年の女性にも大根をあげていました。女性は彼のことを漣くんと呼んでいました。ちなみに漣くんのほうは、女性を緑さんと呼んでいました」
と告げた。
「よく調べたわね。やっぱり小松原は私の右腕ね」
のばらは満足げに言って
「よし! いまから大根餅を作るわよ!」
と腕をまくった。
「もう作るんですか?!」
「こういうのは早いに越したことないのよ」
のばらは冷蔵庫のなかを物色し、魚肉ソーセージを取り出した。
大根を千切りに、魚肉ソーセージはみじん切りにして炒め、塩コショウをして、一旦取り出して薄力粉と片栗粉、水を入れて混ぜ合わせる。
できた種をスプーンですくって、ごま油で両面焼けばできあがりだ。
ラー油としょうゆや、ポン酢など、好みの調味料で食す。
「のばら様、料理がお出来になったんですね」
小松原は驚いた。
「まあね。貧しい少女時代だったから、家族の夕食を作るのは私の役目だったのよ。両親はそれは忙しく働いていてね。ぜんぜん儲からないのに」
のばらは大根餅を、六室あるアパートの部屋すべてに配った。
相手は自分を知っているが、自分は相手をまったく知らない。
見てくれである宇野佳代が、どんなふうに振舞っていたのかもわからない。
それでも、鉄の度胸と愛嬌だけで乗り切った。
小松原は大いに感心した。
あんなに嫌がっていたトイレもお風呂も、文句を言わずに使ったし、掃除当番も念入りにこなした。
安い食材で料理を作って住人に振舞って、お返しになにかもらえたりする。あっという間に住人たちと仲良くなった。
「どうしてそこまでなさるのですか?」
小松原は尋ねた。のばらは言うのだった。
「宇野佳代はもうすぐ死んじゃうのよ? せめて最期は『いいひとだった』って思われて死なせてあげたいじゃない」
小松原が感心したのはそれだけではなかった。
のばらは宇野佳代の勤めていた会社を、体調不良を理由に一か月休職し、自らビジネスを始めたのだ。
ネットのサイトで、美容やメイク、ダイエット、栄養学など、のばらの得意分野のアドバイザーを始めた。
すぐに大きなお金になったわけではないが、元手はただだし、なにより起業するときのわくわくした気持ちを思い出した。
情報が確かで最新なうえ、のばらの大胆な人柄も受けて、依頼はどんどん増えていき、リピーターもたくさんついた。
「さすがです。のばら様にはやはり、商売の神がついておられるのですね」
小松原は言ったが
「私は自分が楽しいことをやりたいだけ。やったことの結果が、表れてるだけよ。神様がいるんだったらさ。あの日に戻してくれってのよ。事故を起こす前の私たちにさ」
とのばらは答える。
その瞬間、辺りは真っ暗になった。
闇のなかを身体が落ちていく感覚があって、のばらと小松原は悲鳴を上げる。
そして、すとんと車のシートに収まった。
あの日の、あのときの、あの紫色の高級車のなかに。
「危ない! たぬきです!」
のばらはブレーキを掛け、塀に車のボディをこすらせはしたものの、塀のなかに突っ込んでいくことはなかった。
たぬきはこっちを見ている。
のばらはたぬきと目が合った気がしたが、たぬきはすぐに右手に駆けて行って藪に消えた。
「宇野佳代は?!」
のばらは叫んで車を降りた。
車の前にも後ろにも下にも、塀のなかにも、宇野佳代らしき女の姿はなかった。
小松原は苦労して車を降りてきて、しばらく空を見上げていたが、降ってきた一枚の紙を手に取った。
のばらも一緒に覗き込む。
そこには『おつかれさま。これにて』と書いてあった。
小松原はのばらに向かってこう言った。
「のばら様。どうやら、わたくしたちはたぬきに化かされたようですね」
静かな冬の田舎町に、のばらの絶叫が響き渡った。
《おしまい》
お読みいただきありがとうございました!