そして、また実を

おはようございます。中嶋です。今日は9月7日(火)、天候は曇りです。夕方か、夜ぐらいから雨になるみたいです。

先日洗車しましたが、雨はいつか降るわけで、水垢にも耐えれる撥水効果を期待しましょう。そして、また洗車をすれば良いのです。面倒かもしれないけど、面倒なことこそ本質です。本質にどう向き合うか? 

そんなことが自分を創り出すんじゃないかな? と、思うのです。

さて、タイトルの


そして、また実を


に、繋げてみたいと思います。

色んな木々が山を覆います。中には、実のなる木が沢山あります。木としての恵みを実を手にすることもしてくれるのです。

木はその実を食べることもなく(笑)、木々で争い実を奪い合うわけではありません。ただただ、実をならして、要らなくなったらただ落として終わりです。でも、人間はそれを手にとり口にして自分自身の生に活かすのです。

二酸化炭素を吸い取り、酸素を排出するだけでも有り難いのに、こうやって実をならしてくれるって自然の恵みって有り難いですね。

でも、そんな木の実に文句いう人居ないですかね?

例えば、


・全然実がならないとか?

・他人の木と比較したりとか?

・何でりんごじゃないんだ?とか? みかんじゃないんだとか?

・何で美味しくないんだ?とか?


そんな事を平気に言う人がもしかしたら沢山居るんじゃないかな?


そんな、木々の実に文句言うぐらいなら、どうやったら美味しい実がなるのか?を調べればいいし、そんな環境を創り出せばいい。

木々達は、そんな環境の中でしか生きません。

同じ木々であれば、その中身は生きている環境下がその要因を創り出すんじゃないいでしょうか?  

多少、木々たちに問題があったとしても、多くの問題はその環境です。

問題を木々たちに押し付けたりしてませんか? 

木々達は文句も言わないですし、ただただ、その環境下で木として生きてるだけです。

実がなれば、実をつけ

実がなくなれば、また実をつける。

ただ、それだけです。

勿論、実がならない時もあるわけだし、そんな時に実をならすための準備をしているだけ。

実がならないからといって切ってしまえば、もう二度とその木から実をならすことは無いし、根本が残っていてもその木が大きく成長するのには時間が必要でしょう。


これを人間に置き換えた時に、実がならない(損得や見栄、欲)と言って、そういう風に人と接していませんか? 

自分にプラスがないからと、その人を否定していませんか?

その人は、ただ自分を生きているだけであなたの為にではないのです。

その人の人生を自分らしく生きているだけ。

実がならないから、実が美味しくないから、それはダメな木ではないのです。そもそも、その人の実だけを観てませんか?

大きな日陰を創り出してくれてたり、勿論酸素を沢山排出してくれてるのかもしれないし、爽やかな空気を吸うために働いてくれてたり、木々たちの本質を観ることが出来ていますか?

そんな事を忘れてはいけないと思うのです。

人間も同じです。


人が実をならすのは時間が掛かることも沢山あります。

でも、大事なのはその実は誰のためでもなく、自分の為に自分の力で実をならすのです。

それだけを手にしようとだけしている人が、周りに居たら気をつけてくださいね。

でも、もし実を取られたら....

そしたら...

あなたはその実をまたならせば良いのです。

あなたが実をつけるために費やした時間は、何度も自分だけの実を創り出せる人にしてくれています。


自分は自分。そして、また実をならすべく、今日も生きれば良いのです。


そして、実だけを見ず、あなたの存在を大事にしてくれる人は誰か?


そんな事を教えてくれるでしょう。


本質を忘れないこと。


自分にも日々自問自答して生きていきたいと思います。





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TAKAYUKI NAKASHIMA
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