2021年1月27日 機械学習と機会学習
こんにちは 中嶋です。
フットサルのコーチです。普段は長崎、佐世保で活動していて日々現場で楽しんでおります。最近、noteに毎日記事投稿しながら自分自身のアウトプットの学びをしている最中です。
さて、今日も暖かく良い天気です。1月とは思えない陽気です。ここ数日どうしたんでしょうか? 冬なのに部屋では半袖で大丈夫って感じです。こんな時は急にいつもの冬の気温に戻ることを最大限気をつけないといけません。
自分自身でその辺は考えて振る舞うことが大事ですね。
さて、そんな中今日のテーマ
機械学習と機械学習
ブチッとググってみましょう!!
◎機械学習
経験からの学習により自動で改善するコンピューターアルゴリズムもしくはその研究領域で、人工知能の一種であるとみなされている。「訓練データ」もしくは「学習データ」と呼ばれるデータを使って学習し、学習結果を使って何らかのタスクをこなす。例えば過去のスパムメールを訓練データとして用いて学習し、スパムフィルタリングというタスクをこなす、といった事が可能となる。
更に深掘りすると
機械学習とは「機械に大量のデータからパターンやルールを発見させ、それをさまざまな物事に利用することで判別や予測をする技術」のことです。両技術の違いについては以下のようになります。
機械学習
機械学習はデータの中のどの要素が結果に影響を及ぼしているのか(特徴量という)を人間が判断、調整することで予測や認識の精度をあげています。
ディープラーニング
一方、ディープラーニングはデータの中に存在しているパターンやルールの発見、特徴量の設定、学習なども機械が自動的に行うことが特徴です。人間が判断する必要がないのが画期的です。
ディープラーニングで人間が見つけられない特徴を学習できるようになったおかげで、人の認識・判断では限界があった画像認識・翻訳・自動運転といった技術が飛躍的に上がったのです。
とのこと
記事から参照させて頂きました。
深いですね。でも、時代はこういうものが支えていく時代になると思うのです。You Tubeだってお気に入りが好きそうなのが上がってくるし、Google広告では気に入った商品が掲載されます。機械学習の中でこうやって勝手に私達の生活の中に影響を与えているのです。
AIが様々な分野で活躍することは決してネガティブなものではないので、それはとても必要な事だと思っています。
ただ、その仕組を観ると
ただのコンピューターではなく、ただの置物でもなく、彼らは日々学習しているんですよね。
そんな、機械学習の中で
1.データからルールやパターンを発見
2.識別と予測が主な使用目的
3.分析精度は100%では無いものの、従来の手法よりも精度を上げられる可能性が高い
確かにです。You TubeでBLACKPINKを聴いているとBLACKPINKを押してきます。フットサルの動画を観てるとフットサルの試合をお気に入りで押してきます。しかも、観たい感じの動画が来ますからね。流石です。
で、ここからが機会学習の分野に
機会学習とは?
ググります....
でも、出てきません。そう、僕の造語です。機械学習はAIさん達にお任せして、最終的に決断していく我々人間側も機会から学習しましょうって話です。
機会とは?
それをするのにうまいぐあいの時機。とき。おり。しおどき。
人間には様々な機会があります。そこから学習していくこと。
しかも、自分らしく!! と言うか、自分でしか出来ない決断から得る学習が生きていけば多々あるのです。単純に、僕のiPhoneの中身とあなたの中身は違います。聴きたい音楽も観たい動画も違います。そこからどう感じるのか?これも違います。それで体験したこと、試してみたこと、これも違います。
そう、各々が機会から体験した学習をしていこうという事です。
今は便利なので提案はAIさんが機械学習からしていくでしょう。でも、大事なことはその中から自分で決めるということ。
昔こういうこと無かったですか?
お母さん → "ほら、孝行! 風邪引くからジャンバー着なさい!"
僕→ "はーい" でも、実際は寒くないんだよね....
まさに、今の僕!
冬だけど、寒くないからまだ半袖で活動しています(笑) お母さんに見つかったら、
冬だから寒いから風邪を引くかもしれないから暖かくしときなさい
有り難い提案です。でも、寒くないものは寒くないのです。
それは、自分しか分からないこと。その提案だけが決断の要素であればジャンバーを言うこと聞いて着るけど、自分が体験し感じ取り決断すること。そして、そこから得る学びの積み重ねが、機会学習だと思っています。
機械学習と同じように
記事を観ると、3つに機械学習を分類されるとのこと。
教師あり学習
教師なし学習
強化学習
僕が作った機会学習の中でも、この3つはとても重要だし、同じように分類されるんじゃないか?と思います。日々の中で常にこの3つの学ぶ環境を作ることが大事ですね。
教師あり学習では 既に分かっていることに対して正しいデータやそのルール、パターンを理解して学ぶということ
教師なし学習は 教師あり学習と違い、教師なし学習は膨大な教師データを学習しません。代わりにデータそのものが持つ構造・特徴を分析し、グループ分けやデータの簡略化をします。自分でそれを分類して見極めて整理してみろってやつですね。
強化学習は 簡単に言うと「機械(マシーン)がとる行動の戦略(指針)を強化(改善)する仕組み」を学ぶ手法になります。この試行錯誤がとても重要で僕が言う機会学習の肝になります。自ら試行錯誤して出来るようになっていく家庭から学び得る成功体験の積み重ねこそ、機会学習から成長していくものになるからです。
一連の行動をとった結果ごとに報酬を設定し、その「報酬が最大化」するように機械が試行錯誤し、学習することで精度をあげていきます。つまり自分でどんどん学習強化していくイメージです。似た例として、自転車に乗れるまでのプロセスをあげています。
例)自転車に乗れるようになるプロセス
乗ってみる
倒れる
乗り方を変える(強化学習の”戦略”に相当)
少し乗れる(強化学習の”報酬”に相当)
さらに乗り方を変えて徐々に乗れるようになる
この試行錯誤の繰り返しで最終的にスイスイ乗れるようになる
(記事から引用しています)
機会学習は機械学習と同じような学びが必要です。それは、自らが生きていく中で、自分の意思を決めていく事がとても重要だからです。自分が決めることで、機械学習も変わります。決めたものがデータとして学習していくのですから...
だから、あくまでも主体は自分にある。そして、自ら決めると言う事が機会学習として、ある意味自分の人生として彩られていくんじゃないかな?と思うのです。
機械学習は、機会学習の決断の先にあるものだし、機械学習から得られたものは人の機会学習の決断の方が優位に立たなければいけないはず。
自分が体験したもの。その中で感じたもの。そして、自らが決めて行動した結果。それが学びになるのです。
でも、僕も50年生きた経験の中で、夕方半袖で過ごすことは無いでしょう。間違いなく夕方は寒くなりますから〜
自分自身が主でなければ....
"お母さんがジャンバー着なさいって言わなかったから!!!!"
そのまま、半袖で過ごすのかもしれませんね(笑)
そうならないように、主体的に能動的に機会学習をしていくこと。そんな環境を創り出すこと。特に親も環境も機械学習されたAIみたいなものに取り囲まれる時代だからこそ、必要なものだと感じています。
でなければ、機械学習側が主になってしまい、自らの意思は?何処かに消えてしまうかもしれないし、人生の選択、責任も機械学習側になってしまいますからね....
みんなと同じが主になってしまえば、あなたはあなたでは無くなります。それでは、自分の人生とは言えない人生を過ごすことになってしまいます。
だからこそ、主体的に機会から沢山の体験を通じて学び得ることの大事さを感じて欲しいと思っています。
さて、今日も長々と読んで頂きありがとうございました!!! また、明日お会いできたら嬉しいです。
この機会に感謝♪