多様と言いながら
おはようございます。中嶋です。今日も1日自分らしく生きていきましょうね。
って、実は今日...
日曜日だし、朝活は休もうと思ったんです。でも、本当怖いぐらいに習慣の力ってやつが、こうやって僕をパソコンの前に向かわせています。ほぼほぼ無意識です。アラームがなる前(5:00)の4時59分に起き、アラームの音を鳴らさずに一瞬で消し去ることが出来ました(笑) 本当、これは凄いですよね。習慣の力を侮ってはいけません。
昔買った本なんですが、そんな自分を更に高めるために最近また読んでいるのが...
これです。
是非、良かったら読んでみてくださいね。
最適な習慣を自分で創ることが、もしかしたら一番生きてく中で大事なのかもしれないですね。それをどういうきっかけで自分の中から生み出せるのか?って、生活環境や社会環境も大事だと思います。
是非、良い習慣を一緒に創り出していきましょう。
さてさて、今日は昨日リンクを貼っといた記事
日本オリンピック委員会(JOC)は日本選手団の行動ルールで、開会式の入場行進時のスマートフォンやカメラの使用を禁じた。
って事について、少し自分の意見を書き綴りたいと思います。
そもそも、JOCは開催国の代表にふさわしく、「感謝の気持ちを胸に、堂々と行進を」
って、事らしいのです。
他国は、ご覧頂いたようにみんな笑顔で自由な服装、自由な振る舞い、勿論スマホだって、カメラだって、持ち込んでその入場を楽しんでいました。これから競技に向き合う選手達にとっては、一生の思い出になるでしょうし、テレビカメラを見つけたらそりゃ笑顔で手を振るでしょうし。そんな純粋な気持ちこそ大事な多様性の1つです。
他国の代表の方々も、そんな姿を観て大きく手を降る姿も僕は良いなぁと感じました。自分の国の選手たちがそんな姿で入場し、その選手達と手を触り合う姿はとても微笑ましくも感じました。
相応しいという社会的な価値
これは、一体誰の目線での誰の価値なのでしょうか??
僕は、日本人選手の笑顔、自由なふるまいの中での入場をとても心地よく感じました。オリンピックは誰のためでもなくそんな日々努力して積み上げてきた彼らのものです。僕らはただそれを無責任に勝ったから喜んで、負けたから悲しんで、時には文句も口にする人も居るでしょう。そんな舞台の中で、その団体がしてやってる感、させてやってる感、出してやってる感を出していくことの意味が分かりません。
相応しいという社会的な価値、思想が、多様に彩りあい、心豊かな社会を創り出す。それがこういう場なのではないか? と、思うのです。
開会式が長すぎで、最初の入った国は座り込んで、マスクも外して、密な状態でスマホを弄ってました。そりゃそうです。夜とは言え暑い中にこれだけの人を立たせて待たせるような式にしている方がどうなのか? と、思いました。
だからかもしれないですが、ブラジルの参加者少なかったですし、参加してない選手も沢山居るんじゃないかと?思うのです。と、考えると一体開会式って誰のための式なのか?? って、思っちゃいます。
子どもたちの活動も同じですよね。相応しさとかそういう価値観で子どもたちを観てしまうと、子供の成長を見過ごしてしまうことがあります。誰かの軸で観るのではなく、その子の多様な感じ方や成長の仕方こそ、本来は大事にしないといけないものです。
コロナ禍の中で、選手の皆さんも良いパフォーマンスを発揮する事が難しい大会だと思います。だからこそ、僕らは暖かくその人の人生にあるものをそっと見守れば良いんじゃないか?と、思います。
相応しいって価値観は、社会でなく、あなた自身の価値観で生きる時代です。